妙満寺(読み)ミョウマンジ

デジタル大辞泉 「妙満寺」の意味・読み・例文・類語

みょうまん‐じ〔メウマン‐〕【妙満寺】

京都市左京区にある顕本法華宗総本山山号は、妙塔山。開創弘和3=永徳3年(1383)。開山日什。京都布教の中心寺院として発展。昭和43年(1968)現在地に移転

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精選版 日本国語大辞典 「妙満寺」の意味・読み・例文・類語

みょうまん‐じメウマン‥【妙満寺】

  1. 京都市左京区岩倉幡枝町にある顕本法華宗の総本山。山号は妙塔山。永徳三年(一三八三)開創。開山は日什(にちじゅう)。日什は直授日蓮・経巻相承を主張し、この派を妙満寺派・日什門流(のちに顕本法華宗)といった。昭和四三年(一九六八)現在地に移転。境内の中川の井は京七井の一つ。

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日本歴史地名大系 「妙満寺」の解説

妙満寺
みようまんじ

[現在地名]左京区岩倉幡枝町

昭和四三年(一九六八)京都市中京区榎木えのき町から現在地に移転。妙塔山と号し、洛内二十一ヵ本山の一つで、顕本法華宗総本山。本尊釈迦多宝仏。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔草創と日什門流〕

永徳三年(一三八三)五月、日什が六条坊門室町ぼうもんむろまち(現京都市下京区)の富商天王寺屋通妙の外護を得て、その邸内に法華堂を建立したのが草創という。日什は奥州会津あいづ黒川くろかわ(現福島県会津若松市)に生れ、正慶元年(一三三二)一九歳のときに近江比叡山横川上智よかわじようち院の慈偏に師事して出家、玄妙と改名。康暦二年(一三八〇)玄妙六七歳のとき法華宗に改宗、名を日什と改めた。下総市川真間弘法いちかわままぐぼう(現千葉県市川市)で帰伏状と起請文(弘法寺蔵)を書き、勉学。また中山法華なかやまほつけ(現市川市法華経寺)の日尊に師従し、ことごとく口伝をうけた。その場所は日什屋敷にちじゆうやしきと称される。永徳元年上洛して天王寺屋を宿所として洛内伝道に努め、関東と京都をしばしば往還し、とくに東海諸国に活発な折伏伝道を行った。永徳元年七月六日には、関白藤原良基や鷹司中将などの好意もあって、洛中弘法の綸旨と二位の僧都の口宣を受けた(日穆記・日運記)。この頃、将軍足利義満に執拗な折伏を行うが成功しなかった。


妙満寺
みようまんじ

[現在地名]堺市櫛屋町東四丁

南御坊みなみごぼう(難波別院支院)の東側に位置する。顕本法華宗、山号取要山、本尊十界大曼荼羅。永正九年(一五一二)智覚院日誠が開創。日誠は本山京都妙満寺一七世であったが、本山が天文五年(一五三六)の法華の乱で比叡山延暦寺に焼かれたため難を逃れて当寺に入った。その頃は照光しようこう寺と号していたが、日誠入寺後妙満寺と改め本山となる。同一一年京都本山が再興されて寺基は移転されたが、当寺はそのまま妙満寺を称した。


妙満寺
みようまんじ

[現在地名]西尾市大給町

大給おぎゆう町のほぼ中央に、広い寺域をもつ。法華宗陣門流、妙高山と号す。十界勧請を本尊とする。本城ほんじよう(現新潟県三条市)のもと末寺。永禄八年(一五六五)富永右京太夫忠安が、一族の慰霊のために創立、生善日奥を開基としている。

のち西尾城主本多下総守俊次の乳母が深く帰依、また俊次の娘の病気の平癒を祈願し効のあったところから、参詣の便を図り、元和七年(一六二一)寺を伊文天王いぶんてんのう下に移す。

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改訂新版 世界大百科事典 「妙満寺」の意味・わかりやすい解説

妙満寺 (みょうまんじ)

京都市左京区岩倉にある顕本法華宗総本山。妙塔山と号する。宗祖日蓮の宗旨を公武に奏聞するため下総から上洛した日什(にちじゆう)(顕本法華宗の開祖)が,天王寺屋通妙ら町衆信者の援助のもと,1389年(元中6・康応1)室町六条坊門に開創。そののち〈諸宗は堕獄の根源,法華宗ばかり成仏なるべし〉を標榜して折伏(しやくぶく)の布教を伝統とした日什門流の拠点となり,京都二十一ヵ本山(近世には十六ヵ本山)の一つとして栄えた。上総七里法華の基を築いた日泰,慶長法難で不受不施(ふじゆふせ)を主張して徳川家康に弾圧された日経は,当寺の僧である。寺地は中世には下京地域を転々とし,1583年(天正11)豊臣秀吉の命により寺町二条に移り,廃仏毀釈で寺勢を減じたが,明治期には塔頭(たつちゆう)4院,末寺550ヵ寺があった。1965年現地に移建。寺宝では,安珍・清姫で有名な紀伊道成寺の鐘が近世から伝蔵されて有名。松永貞徳が造営したという洛中三名園の一つ,塔頭成就院の〈雪の庭〉は古形のまま現地に移されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「妙満寺」の意味・わかりやすい解説

妙満寺
みょうまんじ

京都市左京区にある顕本法華(けんぽんほっけ)宗の総本山。妙塔(みょうとう)山と号する。本尊は釈迦(しゃか)多宝仏。1383年(永徳3)日什(にちじゅう)が富商天王寺屋通妙の外護(げご)を得て邸内に法華堂を草創した。日什は関白藤原良基(よしもと)らの好意もあって、洛中弘法(らくちゅうぐほう)の綸旨(りんじ)を受け、1389年(元中6・康応1)現在の寺号に改め寺勢を伸ばした。1532年(天文1)後奈良(ごなら)天皇の勅願所となるが、天文法華の乱(1536)で焼かれ、1583年(天正11)豊臣(とよとみ)秀吉により寺町二条に移転再建された。1595年(文禄4)方広寺大仏開眼(かいげん)供養への出仕を拒んだ不受不施(ふじゅふせ)派は弾圧を受け、同派祖日奥(にちおう)に私淑していた当寺の27世日経(にっきょう)も耳・鼻そぎの刑に処せられた。18世紀には92世日受が宗学を大成。1968年(昭和43)に現在地へ移転された。鎌倉時代の法華(ほけ)経要文和歌懐紙(国重要文化財)を所蔵している。紀州(和歌山県)道成(どうじょう)寺正平(しょうへい)14年(1359)銘の梵鐘(ぼんしょう)を有する。

[田村晃祐]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「妙満寺」の意味・わかりやすい解説

妙満寺
みょうまんじ

京都府京都市左京区岩倉幡枝町にある日蓮宗の本山。山号は妙塔山。元中6=康応1(1389)年に日蓮の高弟日什が開創した。その後幾度か兵火などにあい,今日の堂宇は元治1(1864)年以後の再建。庭園と井戸が有名。

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百科事典マイペディア 「妙満寺」の意味・わかりやすい解説

妙満寺【みょうまんじ】

京都市左京区にある顕本法華宗総本山。1383年日什(にちじゅう)の創建。日什門流の拠点で,上総七里法華の日泰,不受不施を主張した日経らも当寺の僧。以後,火災でしばしば寺地を移し,1583年現地に移る。現在の堂宇は1864年の完成。寺内成就院の庭園は〈雪の庭〉と称する名園。

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