命と、天日鷲命などの忌部五部神を配する。また摂社の下の宮と称する社殿には天忍日命と安房忌部氏の祖神天富命を祀る。この下の宮に対して本社を上の宮ともいい、この構成は伊勢神宮の内宮・外宮に倣ったものという。天富命が阿波国の斎部氏を率いて当地に上陸し、房総一帯を開き、上陸の地に祖神天太玉命を祀ったのが当社の始まりで、はじめ太玉命社、のち安房社と称したという(古語拾遺)。その折天太玉命が天上からもってきた神宝を納め、天富命の娘飯長姫命に奉仕させたと伝える(「安房忌部本系帳」高山家文書)。「高橋氏文」によれば、景行天皇が安房
などの進上に対する礼状が度々出され、晴氏からは当社内への張陣が免除されている(年未詳四月二一日「足利晴氏書状」同文書など)。文亀三年(一五〇三)三月一三日の小山成長判物(晃程文書)によると
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千葉県館山市大神宮に鎮座。本社(上宮)に天太玉(あめのふとだま)命を主神とし,妃の天比理刀咩(あめのひりとめ)命と斎部(いんべ)五部神を配祀し,摂社(下宮)に天富(あめのとみ)命をまつる。《古語拾遺》に,神武天皇東征ののち,すでに阿波国に入りその地を開拓していた斎部氏(忌部氏)の天富命が,さらに阿波国斎部をひきいて東国に至り,安房郡を開拓し,そこに祖神天太玉命をまつったのが本社の創建としるす。859年(貞観1)正三位に叙され,延喜の制で名神大社,のち安房国の一宮とされる。中世以降武将の崇敬あつく,領主里見氏は社殿造営,社領寄進をし,徳川幕府も朱印領30石を安堵した。例祭8月10日。
執筆者:鎌田 純一
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千葉県館山(たてやま)市大神宮に鎮座。祭神は、天太玉命(あめのふとたまのみこと)を主神とし、后神天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)を配祀(はいし)する。摂社(せっしゃ)に弟神天忍日命(あめのおしひのみこと)、孫神天富命(あめのとみのみこと)を祀(まつ)る。『古語拾遺』によれば、神武(じんむ)天皇の御代に天富命が阿波(あわ)(徳島県)の忌部(いんべ)を率いてこの地に至り開拓を始め、やがて天太玉命を祀ったのが濫觴(らんしょう)という。付近に天富命上陸の地などの口碑も残る。『延喜式(えんぎしき)』で名神大社に列し、長く安房国一宮(いちのみや)として信仰を集め、明治の官制では官幣大社に列した。8月10日に行われる例祭浜降(はまおり)神事は名高い。また年末から新年にかけて行われる神狩(みかり)神事は物忌(ものいみ)の厳しい祭りとして有名。
[茂木貞純]
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