日本歴史地名大系 「山中郷」の解説
山中郷
やまなかごう
三河高原の
永禄元年(一五五八)の「実暁記」の京鎌倉六十三次の中に「矢波木二里、作岡五十丁、山中五十丁、赤坂二里」とある。歌枕や紀行文などに「二村山」「山中の里」として詠まれる地は、尾張と三河の境にあてられる一ヵ所と、三河国額田郡と宝飯郡の
山中郷
やまなかごう
郡の中央北部、
山中郷の初見は貞応二年(一二二三)一一月日付備後国大田庄地頭大田康継同康連連署陳状案(高野山文書)で、「康継之知行山中郷公文職事」「山中郷善福寺」「山中郷内黒淵村」とある。「和名抄」にみえる
山中郷
やまなかごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報