日本歴史地名大系 「御館跡」の解説
御館跡
おたてあと
信越本線直江津駅の西方約一キロ、国道一八号の陸橋「おたて橋」の北西一帯にある。一帯は住宅がぎっしり立並び館跡の面影はない。わずかに内郭の一部が公園として残されているにすぎない。ここからは
明治年間までは、御館跡の周囲に土塁と幅一八―二〇メートルの堀があった。しかし北陸本線敷設工事の際、館跡の南東部分が線路敷と線路盛土用に削られ、それと前後して土塁が崩され、堀が埋められて水田と化した。第二次世界大戦後、御館跡が宅地造成のため埋立てられることになり、昭和三九年(一九六四)より三ヵ年間にわたって発掘調査が実施された。その結果、全国でも屈指の館城跡であることがわかった。発掘調査当時、内郭は畑で周囲の水田より約八〇センチ高かった。郭周囲の土塁は跡形もなくなっていたが、南東隅を除く他の三隅にはわずかではあったが土塁の痕跡が確認できた。
内郭は東西一三五メートル・南北一五〇メートルの四角形で、南北の中軸線は約七度東偏していた。多くの遺物が出土したが、そのうち陶磁器類が圧倒的に多く、金属製品・木器類・石製品なども一部出土した。陶磁器では外来の青磁・染付・白磁・天目・高麗三島や日本製の須恵質陶器・かわらけ・常滑質陶器・黄瀬戸・瀬戸天目・灰釉瀬戸・三島手・唐津・古備前などが出土した。これらは甕・壺・鉢・碗・皿・炉・香炉・硯・水滴・擂鉢・茶碗・灯明皿として使用された。とくに越前焼と珠洲焼の大甕の破片が多かった。船で運ばれたもので、日本海の交易が盛んであったことを物語る。
御館跡
おたてあと
御館跡
おやかたあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報