愛宕山古墳(読み)あたごやまこふん

日本歴史地名大系 「愛宕山古墳」の解説

愛宕山古墳
あたごやまこふん

[現在地名]榛原町大字下井足

丹切たんぎり古墳群の南、愛宕山にある直径約二六メートルの円墳で、榛原石(斜長流紋岩)を積上げた槨墳。明治三二年(一八九九)一面の神人画像鏡が鉾・鎗などとともに発見された。鏡は径二〇・七センチ、「王氏作竟佳且好 明而日月世之保 服此竟不知老 寿而東王公西王母 山人子高赤松 長保二親宜孫子」の銘帯があり、後漢の後半期の鋳造と推定される舶載鏡。岡山県邑久おく長船おさふね町の西須恵築山にしすえつきやま古墳からも同笵鏡が出土している。

〔刊行後の調査の進展〕

平成一三年(二〇〇一)刊「大和前方後円墳集成」の調査で、当墳に対する見方が大きく変わった。

愛宕山古墳
あたごやまこふん

[現在地名]板野町川端

川端かわばた地区の西部、字芦谷の阿讃あしだにのあさん山脈から南に延びる尾根上に築かれた前方後円墳。全長六五メートルの墳丘を有し、主体部のある後円部を南に向ける。墳丘には葺石があり、前方部正面に壺形埴輪のめぐることが知られる。主体部は主軸を東西方向にする竪穴式石室で、全長六メートル、幅一・一メートル、高さ一・二メートル。結晶片岩を小口積みにするもので、礫床による床面を有する。

愛宕山古墳
あたごやまこふん

[現在地名]前橋市総社町総社

総社そうじや古墳群を構成する大型墳の一つで、二子山ふたごやま古墳の南東二〇〇メートルの台地上にある。墳丘は現状で径約五五メートル、高さ約八メートルであるが、方墳のようにもみえる。周堀跡は西北方に幅約二〇・五メートルで残る。葺石・円筒埴輪がある。

石室は南東面して基壇上に開口する巨石巨室の横穴式両袖型で、自然石を巧みに積上げる。

愛宕山古墳
あたごやまこふん

[現在地名]保原町柱田

阿武隈川の氾濫原前面にした丘陵先端部に位置する。六世紀代の円墳で、環頭大刀が盗掘によって出土した。昭和五四年(一九七九)の調査で、東西一一・五メートル、南北一三・五メートル、墳高一・五メートル、幅一―一・五メートルの周溝をもつことが判明した。内部主体は無袖式の横穴式石室で、玄室の奥行約二・四メートル、奥壁幅一・〇七メートル、中央部で一・三メートル、羨道長さ約二メートル、幅一メートルを測る。

愛宕山古墳
あたごやまこふん

[現在地名]村田町関場 愛宕山

あら川のつくる沖積盆地に突出する標高約九〇メートルの丘陵上にある。主軸長約八二メートルの前方後円墳で、前方部の長さ約三七メートル・高さ約六メートル、後円部の径約四五メートル・高さ約一一メートル。後円部には築段と考えられる段がめぐり、前方部には山石からなる葺石が認められ、円筒埴輪の破片などが採集されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報