長野市の旧戸隠村にある山。標高1904m。広義の戸隠山は八方睨(はつぽうにらみ)を主峰とする表山と,北西に一段と高くそびえる高妻山,乙妻山などの裏山を指すが,狭義には表山だけをいう。凝灰岩質集塊岩からなる山体の山容は険しく,東の旧戸隠村側は奇岩,急崖の連続する絶壁である。西側は裾花川の源流部をなす深い谷が発達し,一帯はブナの原生林地である。登山道は,すべて東側の戸隠高原からのもので,戸隠の集落から戸隠神社奥社を経て八方睨へ至るルートが一般的である。途中には〈蟻の門渡(とわたり)〉と称する険阻な登山道もあり,鉄の鎖にすがって登山するスリルとすばらしい眺望をもとめる登山者も多い。八方睨からは,北アルプス,八ヶ岳,菅平高原,志賀高原などを一望におさめることができる。
執筆者:中村 三郎
《戸隠山顕光寺流記》という縁起には,850年(嘉祥3)学門行者が飯縄(いいづな)山で修行した後に戸隠山を開いたことや,三院の由来と祭神,戸隠領の四至牓示(しいしぼうじ)のほか,三十三霊窟などが記されている。縁起にみるように三谷(三院)に分かれる戸隠山は,地主神である九頭竜(くずりゆう)神(本地大弁才功徳天)をまつる農業の守護神として信仰されたが,中世には戸隠三千坊と誇張されるほどの繁栄をみた修験道の山でもあり,これは近世にも継承され,文政年間(1818-30)には山伏総人数133人,末寺32ヵ寺を抱えるとともに,著しく御師制度を発達させ,本坊-師家-配下の山伏という関係を軸として,中部,関東,東北と広範な信仰圏をもっていた。多数の信者を獲得しえたのは,修験道だけでなく,古来の農業神としての九頭竜神の霊験があわせ説かれたためである。この点は,村中安全・災難消滅,三社九頭竜,巳待(みまち)などの神札や,近世末期に書かれた《戸隠霊験談》収録のつごう32話の霊験譚のなかで,水難よけ,降雨,病気治癒,蛇のたたりよけなどの話が多いことからも明らかである。
執筆者:宮本 袈裟雄
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長野県北部、新潟県境に近い長野市戸隠地区にある山。標高1904メートル。戸隠連峰の主峰で、戸隠山と南西方の西岳(2030メートル)を戸隠連峰の表山といい、戸隠山の北部に連なる五地蔵(ごじぞう)山(1998メートル)、高妻(たかつま)山(2353メートル)、乙妻(おとつま)山(2318メートル)を裏山とよんでいる。凝灰岩質集塊岩からなる戸隠山の山容は東側からみると、絶壁の急崖(きゅうがい)で山稜(さんりょう)は鋸歯(きょし)状をなしている。山岳信仰に発した神仏混交の霊場で、平安時代から山伏の修験場(しゅげんじょう)として知られた。山頂直下南東方に戸隠神社奥社があり、山麓(さんろく)に中社と宝光社がある。戸隠という地名は天岩戸(あめのいわと)伝説にちなみ、戸隠神社の祭神の一つ、天手力男命(あめのたぢからおのみこと)が投げた岩戸がこの地に飛んできたことから生じたといわれる。戸隠山の中心である八方睨(はっぽうにらみ)へは戸隠奥社から約2時間の行程であるが、蟻ノ戸(ありのと)渡り、剣ノ刃渡りなどの難所があって危険を伴う。八方睨からは北アルプスなどの展望がすばらしい。妙高戸隠連山国立公園の一部。
[小林寛義]
『戸隠公明院著『霊峰飯綱山戸隠山縁起』(1968・戸隠村)』
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