飯綱山とも書く。長野県北部,長野市,上水内(かみみのち)郡飯綱町の境界に位置する火山。標高1917m。第三紀凝灰岩層上に噴出したほぼ円錐形の二重式成層火山。有史以来火山活動は静止している。外輪山の東半部は飯縄山頂から霊仙寺山まで半月形の尾根をなすが,西半部は新しい爆発やそれに伴ってできた瑪瑙(めのう)山,怪無(けなし)山,天狗山などの火口丘群のため原形を残していない。南部の笠山など数個の寄生火山もみられる。飯縄山は鎌倉時代以降修験道の霊地としても名高い。火山のすそ野は広大で,南東部に飯縄高原,北西の戸隠山との間に浸食の進んだ戸隠高原が標高1000m内外に発達する。戸隠高原には,古くから修験道道場として開けた宗教集落戸隠中社,宝光社があって,戸隠神社の門前町をなしている。飯縄高原は第2次世界大戦後開拓されたが,1953年以降は集約酪農地として本格的な乳牛飼育が行われている。65年に長野市街と宝光社を結ぶ有料道路戸隠バードライン(1997年無料開放)が開通し,高原の観光地化がいっそう進んだ。
執筆者:中村 三郎
飯縄(綱)権現,飯縄(綱)大明神をまつる山は各地で〈いいづな山〉と呼ばれているが,その本山格の山がこの飯縄山である。飯縄(綱)信仰は,イヅナ使いと通称される修験者,行者,巫者達の信仰が特徴的であり,中部・東北地方に濃厚に伝承されている。飯縄山には,飯縄神社の里宮がある長野市荒安と同市の旧戸隠村との二つの信仰の中心地があり,里宮は千日(せんにち)太夫と呼ばれた仁科氏が奉仕してきた。一方,戸隠修験は近世期に本院(奥院),中院,宝光院の3谷に分かれていたが,なかでも宝光院で飯縄山萱宮,同石宮がまつられていた。飯縄信仰の普及という点では,関東,中部をはじめ各地に講を結成させた戸隠修験の布教によるところが大きい。飯縄権現の神体は通例キツネに乗った烏天狗であるが,この信仰は農民が農業の守護神として信仰するというよりも,修験者達がイヅナの法を修するために飯縄権現をまつるという傾向が強く,信仰の中心として修験者達を考えることができる。
→飯綱(いづな)使い
執筆者:宮本 袈裟雄
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長野市の北西部にあるコニーデ型火山。飯綱山とも書く。標高1917メートルであるが、裾野(すその)一帯の飯綱高原が1000メートルほどあるので麓(ふもと)からは2時間ほどで容易に登れる。妙高戸隠連山国立公園に含まれる。第三紀凝灰(ぎょうかい)岩層の上に噴出した山で、山頂近くに飯縄神社があり、高原の凹地には大小十数個の池が散在している。鎌倉時代から修験者(しゅげんじゃ)の道場になった。また飯縄忍法の発祥地とされる。山頂には雑木の小木しかないが、山麓(さんろく)はカラマツ樹海をなす。頂上からは、浅間山、八ヶ岳連峰、北アルプスの全容が眺められてすばらしい。山腹にはスキー場が開設され、山麓は一大別荘地帯をなし、長野市民のレクリエーション地をなす。
[小林寛義]
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…飯綱使いの多くは,修験系の男の宗教者であったが,いたこなどの巫女もこれを用いることがあったらしい。イヅナの語は明らかでないが,信州の飯縄(綱)(いいづな)山はこれと関係があるのではないかと考えられている。高知県物部村の陰陽道系の宗教者の間に〈ユヅナの法〉と呼ぶ延命の法が伝えられていることから推測すると,イヅナとは〈命綱〉のことであったかもしれない。…
※「飯縄山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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