( 1 )秋の七草が観賞の対象であるのに対し、春の七草は七草粥の食材である。正月七日に若菜を粥に入れて食べる習慣は、延喜年間頃に始まるらしい。新春の若菜の生命力にあやかって、これを摘んだり食べたりする習俗は古来からすでにあった。
( 2 )中国、梁の宗懍の「荊楚歳時記」には正月七日、人日に、災厄を払い、不老長寿を願って、七種の菜の羹を服するという記事がある。七草粥の習俗は、この中国の行事の影響の下、日本古来の風習が淵源となって広まったものと思われる。
( 3 )七草の種類は時代や土地により一定せず、「壒嚢鈔‐一」(一四四五‐四六)には「せりなつな五形たひらく仏の座あしなみみなし是や七種」とあり、御伽草子「七草草紙」には「芹、薺、御形、たびらこ、仏の座、すずな、すずしろ」が見えるが、天明四年(一七八四)の「やしなひぐさ‐前編」には現在も知られる「せりなづな五ぎゃうはこべら仏のざ、すずなすずしろこれぞ七くさ」という歌がある。
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正月7日に7種の草を入れたかゆを食べて健康を祈念した年中行事がいつごろから始まったものかは定かでないが,その七草がゆに入れられる若菜を春の七草という。古く短歌の形に詠まれた7種がセリ,ナズナ,ゴギョウ,ハコベラ,ホトケノザ,スズナ,スズシロであるが,これらのうち,ゴギョウはハハコグサ,ハコベラはハコベ,ホトケノザは現在この名で呼ばれているものではなくてタビラコ,スズナはカブ,スズシロはダイコンであるが,正月7日に使った若菜は時代や場所によって必ずしも一定しなかったようである。春の七草は若菜としての意味が強いので,どちらかというと観賞を目的に選ばれたようにみえる秋の七草とくらべると,花に華美さはみられない。
→七草
執筆者:岩槻 邦男
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正月7日の「七草粥(がゆ)」の中に入れる7種の野草。秋の七草が観賞を目的としたものであるのに対し、春の七草では食用とされる植物が選ばれている。緑の乏しい寒中にとって食べ、邪気を払い、縁起を祝った中国の古い風習が日本にも伝えられ、春の七草になったといわれる。時代によっては12種のこともあったといわれるが、現在では、鎌倉時代の『河海抄(かかいしょう)』にみえる「芹(せり) なづな 御行(おぎょう) はくべら 仏座(ほとけのざ) すずな すずしろ これぞ七種(ななくさ)」の歌に詠み込まれている7種類が春の七草とされる。なお一般には、御行は「ごぎょう」、はくべらは「はこべら」と呼び習わされている。この七草をいまの植物名に当てはめると、芹=セリ(セリ科)、なづな=ナズナ(アブラナ科)、御行=ハハコグサ(キク科)、はくべら=ハコベ(ナデシコ科)、仏座=コオニタビラコ(キク科)、すずな=カブ(アブラナ科)、すずしろ=ダイコン(アブラナ科)となる。
[杉山明子]
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※「春の七草」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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