( 1 )古代には、カシワの葉は食器として使用されており、その古い生活の名残ともいう。古くから行なわれていたチマキにならってカシワの葉で包むものとして発達し、①は中世末頃から作りはじめられたか。
( 2 )カシワの葉は東北地方に多いが、西日本には少ないので、俗にサンキライと呼ばれるサルトリイバラの丸葉を代用する地方も多い。長野県や奈良県の一部では朴(ほお)の葉が用いられている。
( 3 )中の餡は、ふつう小豆餡を用いるが、味噌を入れたものもある。白味噌は砂糖がふんだんに使えなかった時代には甘味料としての役割があった。包む葉の裏と表で餡を区別することもあり、ふつう小豆餡は葉の裏を見せ、味噌餡は葉の表を見せるように包む。
餅菓子の一種。楕円(だえん)形扁平状の新粉餅でみそ餡(あん)や小豆(あずき)餡をくるみ、二つ折りにしてカシワの葉で包み蒸した餅。端午の節供には粽(ちまき)とともに供物(くもつ)に用いる。江戸時代は、東海道白須賀宿(しらすかしゅく)と二川宿(ともに静岡県)の中間猿馬場(さるがばば)の茶店に、名物の柏餅があった。『万葉集』に「家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕(くさまくら)旅にしあれば椎(しい)の葉に盛る」とあるが、古代は堅い葉が簡便な食器として使われた。ツバキ、ササ、サクラ、カジ、カキ、ナラの葉なども用いられている。とくに「かしは」が葉椀(くぼて)、葉盤(ひらで)の類とされ、膳夫(かしわで)がそれをつかさどる人とされたのは、カシワの葉がしなやかで、食べ物を盛るのにはもっとも都合がよかったからである。しかし柏餅の記録は椿餅(つばきもち)ほど古くない。推定されているところでは中世以降で、端午の節供に柏餅を食べる慣習は、江戸時代初期からである。1680年(延宝8)の『俳諧向之岡(はいかいむこうのおか)』には、柏餅にちなんで「餅なりけふ世人はをみがく玉がしは」としゃれた一句が収載されている。一方『天正(てんしょう)日記』の7月23日に「五郎兵衛嬶(かかあ)、かしはもちくれる」とあり、この菓子が端午の節供以外にもつくられたことがわかる。また、お盆の供物に使う地方もある。
男子の節供である5月5日に柏餅が使われたのは、夏の新葉が出るころに古い葉が落ちる、つまり跡継ぎができたという意味で一家繁栄を祈り、祝う心情がこめられている。中身の餅に小豆餡を入れるのは室町時代のまんじゅう以後のことだが、みそ餡のほうは、原型を平安時代の花びら餅までたどることができる。さらに古い形は奈良時代の伏兎(ふと)(唐菓子の飳(ふと))であった。その花びら餅に似ている柏餅の形が、前記のように判じ物的な江戸川柳(せんりゅう)をつくらせたのである。
[沢 史生]
餅菓子の一種。5月5日の端午の節供に,ちまきとともに供えられる。〈かしわ〉は上古食物を包んだりおおったりした植物の葉の総称で,炊葉(かしぎば)の転じた語とされるが,そうした点で柏餅は古態をとどめる食物といえる。ただし,文献に名が見えるのは浅井了意の《東海道名所記》あたりかららしい。同書では,遠江白須賀から三河二川に至る間の猿が馬場の条に,〈柏餅,こゝの名物なり。あづきをつゝミし餅,うらおもて,柏葉にてつゝミたる物也〉としている。現在の柏餅は,上糝粉(しんこ)を湯でこねたものを20~30分蒸してから,すり鉢にとってつく。これに少量の片栗粉か葛粉(くずこ)を水溶きして加えてさらにつき,それを1個分ずつにちぎり,二つ折りにしてあんを包み,強火で5~6分蒸し,冷めたところをカシワの葉で包む。カシワの葉は湯に通してから水につけ,あくを抜いておく。あんは小豆あんとみそあんとがあり,ふつう,小豆あんのものは葉の裏を出し,みそあんのものは表を出して包む。
執筆者:鈴木 晋一
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