葛粉でつくった餅菓子。江戸時代の『料理物語』には、「葛粉一升に水一升五合入れ、練りて出し候。餅はいずれも豆の粉(きな粉)、塩、砂糖かけてよし。また葛粉、蕨(わらび)粉はなんどきも薬研(やげん)にてよくおろしてこね申すなり」とある。水で溶いた葛デンプンを加熱し、半透明になるまで練り上げてから蒸籠(せいろう)で蒸す。蒸し上がりは、腰があって滑らかでなければ良品といえない。季節的には涼感のある菓子だから夏のものだが、門前土産(みやげ)などでは常時商っている。冷たくした葛餅に包丁を入れて三角形に切り、黒糖蜜(とうみつ)をかけ、きな粉をまぶして食べる。『出雲国風土記(いずものくにふどき)』神名樋山(かんなびやま)の条や、『肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)』値嘉崎(ちがさき)の条に、葛根がもろもろの野草山菜とともに記されており、葛根から葛デンプンを製する技法が古代からあったことがわかる。これが主食でなく、餡(あん)かけなどの調理や、菓子に利用されるようになったのは室町時代ごろとされる。
東海道の掛川宿(かけがわのしゅく)と金谷(かなや)宿の中間にある日坂(にっさか)(静岡県)では、わらび餅を名物とした。1616年(元和2)の『丙辰紀行(へいしんきこう)』(林道春)には、「このところの民、蕨餅を売る。往還のもの飢えを救うゆえ、いにしえより日坂の蕨餅とて、その名あるものなり。あるいは葛の粉をまじえて蒸し餅とし、豆の粉に塩を和して旅人にすすむ。人その蕨餅なりと知りて、その葛餅ということを知らず」と記されており、デンプンにしてしまえば、わらびも葛も識別がむずかしかったことがわかる。
江戸近郊の名物葛餅としては、亀戸(かめいど)天神前にある船橋屋が1805年(文化2)以来ののれんであるほか、川崎大師の門前では天保(てんぽう)(1830~44)以後に、また池上本門寺の門前でも葛餅を名物としてきた。東海道の日坂では葛餅をわらび餅と称したというが、葛粉もわらび粉も採取作業はかなりの重労働であった。このため正真の葛粉は廃れて高価な存在となり、かわって小麦デンプンが開発された。船橋屋の開業時にはすでに小麦デンプンが普及していたといわれる。
[沢 史生]
餅菓子の一種。本来は水溶きした葛粉を火にかけて練り,透明に糊化(こか)したものを適宜に切り,きな粉をかけて食べた。葛粉のかわりにワラビ粉を使えばワラビ餅である。いずれも江戸時代以前から行われていたもので,東海道の日坂(につさか)の宿(新坂,西坂とも。現,静岡県掛川市)のワラビ餅は有名だった。林羅山は《丙辰紀行》(1616)の中で,〈古より新坂のわらび餅とて,其名あるものなり。或は葛の粉をまじへて蒸餅とし,豆の粉に塩を加へて旅人にすゝむ。人その蕨餅なりと知りて,其葛餅といふ事を知らず〉と書いており,旅人がワラビ餅と称する葛餅を食べさせられ,それには塩味のきな粉をかけてあったことが知られる。現在の葛餅は,ふつう葛粉,生麩(しようふ)粉,小麦粉を等分に配して水でこね,一晩ねかせたあと木枠に流し入れて蒸し,これを適宜に切って糖みつときな粉で食べるもので,東京の亀戸天神,本門寺,神奈川県の川崎大師(平間(へいげん)寺)などの名物になっている。なお,葛粉だけでつくって細く切ったものを葛切りと呼び,葛粉に砂糖を加えて練ったものであんを包んだものが葛まんじゅう,それをサクラの葉で包んだものが葛桜である。
執筆者:鈴木 晋一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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