ぶ【武】
〘名〙
① 勇ましいこと。たけだけしいこと。勇敢な行為。武勇。
※保元(1220頃か)上「文にも非ず、武にもあらぬ四宮に、位を越られて」 〔詩経‐鄭風〕
② 軍事に関する威力。武威。武力。兵力。また、いくさ。戦争。
※霊異記(810‐824)上「武は万機に振ひ」 〔春秋左伝‐哀公二三年〕
※徒然草(1331頃)八〇「武を好む人多かり」 〔礼記‐月令〕
※令義解(718)公式「五衛府。軍団及諸帯レ仗者。為レ武」 〔淮南子‐覧冥訓〕
⑤ 長さの単位。一歩(六尺)の半分。三尺(約九〇・九センチメートル)。〔
国語‐周語下〕
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ぶ【武】
1 戦いに関するわざ・力。武芸。兵法。戦力。兵力。「武を尚ぶ」⇔文。
2 勇ましいこと。武勇。
「―を高く振るひ」〈浮・伝来記・七〉
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武 たけ
?-? 江戸時代中期の紀行文作者。
7代尾張(おわり)名古屋藩主徳川宗春につかえ,春の一字をあたえられて春日野あるいは阿春とも称した。名古屋から江戸にもどるさい紀行「庚子道の記」をかく。一説には4代藩主徳川吉通の正室九条輔子の侍女とも。天明2年(1782)80歳余で死去したという。通称は白拍子武女。
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武
生年:生没年不詳
江戸中期,紀行文『庚子道の記』の著者。白拍子武女ともいう。尾張(名古屋)藩7代藩主徳川宗春に仕え天明2(1782)年に没したともいうが,横井也有の写本添書から,仕えたのは4代藩主徳川吉通と夫人九条氏で,夫人が江戸から尾張へ行くのに従った際の紀行文とわかる。
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武
ぶ
古代中国南朝の史書にみえる、5人の倭王(わおう)(讃(さん)、珍(ちん)、済(せい)、興(こう)、武)の1人。雄略(ゆうりゃく)天皇に擬せられる。
[編集部]
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世界大百科事典内の武の言及
【倭の五王】より
…倭の五王と中国南朝との交渉は,421年,倭讃が宋に使者を派遣したことから始まった。宋の武帝は倭讃の朝貢を喜び,これを任官した。任官内容は不明であるが,のちの例から見ると,倭讃はこのとき,安東将軍・倭国王という官爵号を授けられたものと思う。…
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