夏野の死後山荘は寺に改められ、土地にちなんで
大治四年(一一二九)九月、鳥羽天皇の中宮待賢門院璋子は、京都仁和寺に御願の御堂を建立すべくその場所を三ヵ所占わせたところ、池田天安寺跡と決定(「長秋記」同月一〇日条など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市右京区花園扇野(はなぞのおうぎの)町にある律宗の寺。五位山と号する。本尊阿弥陀如来(あみだにょらい)。平安初期、右大臣清原夏野(きよはらのなつの)の山荘の地を、死後寺とし、双丘寺(そうきゅうじ)、天安寺(てんあんじ)と称された。平安時代末、鳥羽(とば)上皇の中宮待賢門院璋子(たいけんもんいんしょうし)が法金剛院として復興。広大な寺地にはりっぱな庭園をもち、数多くの堂舎が建ち並び、西行(さいぎょう)など訪問者も多く、多くの和歌が詠まれている。その後荒廃したが、鎌倉時代に唐招提寺(とうしょうだいじ)の円覚(えんがく)が復興、融通念仏を広め、1617年(元和3)泉涌寺(せんにゅうじ)の照珍が再建、真言(しんごん)・天台・禅・浄土四宗兼学の寺とされた。国宝の本尊阿弥陀如来坐像(ざぞう)(1130、院覚作)をはじめ、厨子(ずし)入木造十一面観音坐像、蓮華(れんげ)式香炉(こうろ)など国の重要文化財がある。
[田村晃祐]
京都市右京区にある律宗の寺。五位山と号する。はじめ右大臣清原夏野の山荘を,死後に寺と改め,双丘(そうきゆう)寺また天安寺と称し,定額寺に列した。その後退転し,1130年(大治5)鳥羽上皇の中宮待賢門院璋子が再興して法金剛院と改称した。有名な本尊の丈六の阿弥陀如来(重要文化財)はこのときの造立である。以後,院政期には上皇,天皇,皇族,公卿の崇信厚く,受領層の奉仕による諸堂の造営が続き,衣笠山を背景とする当寺の景観は京の名所となった。鎌倉期に衰微しだした当寺は,1282年(弘安5)唐招提寺の円覚上人が勧進活動で復興し,融通念仏で貴賤の信仰を集めた。その後応仁の乱で炎上し,天正~慶長期(1573-1615)の大地震で堂舎のほとんどが倒壊したものの,近世に幕府は寺領65石を寄せ,また1617年(元和3)泉涌寺の照珍が四宗兼学の道場として再建するに及んで,やや旧観に復した。像内に願文や摺仏などを納める十一面観音像(1316造立)などが重要文化財に指定されている。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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