法金剛院(読み)ホウコンゴウイン

デジタル大辞泉 「法金剛院」の意味・読み・例文・類語

ほうこんごう‐いん〔ホフコンガウヰン〕【法金剛院】

京都市右京区にある律宗の寺。山号は、五位山。承和年間(834~848)に清原夏野の山荘を寺とし、双丘寺と称したのに始まる。のち、大治5年(1130)待賢門院が再興、法金剛院と改めた。建立当時の阿弥陀如来坐像は藤原時代末期の代表作

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精選版 日本国語大辞典 「法金剛院」の意味・読み・例文・類語

ほうこんごう‐いんホフコンガウヰン【法金剛院】

  1. 京都市右京区花園扇野町にある律宗の寺。山号は五位山。承和年間(八三四‐八四八)右大臣清原夏野の山荘の跡に開創した双丘寺に始まる。天安二年(八五八)天安寺と改称。大治五年(一一三〇鳥羽天皇中宮待賢門院璋子が再建して現在名を称した。弘安二年(一二七九)円覚の入山後は律宗化した。

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日本歴史地名大系 「法金剛院」の解説

法金剛院
ほうこんごういん

[現在地名]右京区花園扇野町

ならびヶ丘の三ノ丘東、五位ごい山を背に南面して位置する。五位山と号し、律宗。本尊阿弥陀如来。寺地は平安時代の初め右大臣清原夏野の山荘のあった地と伝える。夏野は小倉王の五男、天長九年(八三二)右大臣となった。「花鳥余情」に「号並岡ノ大臣、又号野路大臣」とある。この双ヶ丘の山荘には嵯峨・淳和・仁明の各天皇が臨幸した記録がある(「続日本後紀」承和元年四月二一日条、「三代実録」貞観五年正月一一日条、「類聚国史」)

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔双丘寺・天安寺〕

夏野の死後山荘は寺に改められ、土地にちなんで双丘そうきゆう寺と号した。天安年中(八五七―八五九)には天安てんあん寺とも称されたらしく、「三代実録」天安二年一〇月一七日条に、文徳天皇の追福のため田邑たむら(現右京区)の辺りに三昧を修するにあたり、「陵辺修三昧沙弥廿口、令双丘寺、元是右大臣清原真人夏野之山庄、今所謂天安寺也」と記される。翌貞観元年(八五九)八月二一日には「皇太后屈請六十僧於双丘寺、限五箇日、講法華経、奉田邑(文徳)天皇」とあり、この時は「群臣百寮皆悉参会」と伝え(三代実録)、大寺院となっていたらしい。元慶三年(八七九)四月七日には、応天門の変で流罪になった伴善男の没官墾田三町二段五〇歩(山城国葛野郡上林郷)が天安寺に施入されている(三代実録)。しかし壮観を誇った天安寺(双丘寺)も、天延二年(九七四)二月六日宝蔵が焼亡(日本紀略)、その後の記録にはみえなくなる。

〔法金剛院の成立と待賢門院〕

大治四年(一一二九)九月、鳥羽天皇の中宮待賢門院璋子は、京都仁和寺に御願の御堂を建立すべくその場所を三ヵ所占わせたところ、池田天安寺跡と決定(「長秋記」同月一〇日条など)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「法金剛院」の意味・わかりやすい解説

法金剛院
ほうこんごういん

京都市右京区花園扇野(はなぞのおうぎの)町にある律宗の寺。五位山と号する。本尊阿弥陀如来(あみだにょらい)。平安初期、右大臣清原夏野(きよはらのなつの)の山荘の地を、死後寺とし、双丘寺(そうきゅうじ)、天安寺(てんあんじ)と称された。平安時代末、鳥羽(とば)上皇の中宮待賢門院璋子(たいけんもんいんしょうし)が法金剛院として復興。広大な寺地にはりっぱな庭園をもち、数多くの堂舎が建ち並び、西行(さいぎょう)など訪問者も多く、多くの和歌が詠まれている。その後荒廃したが、鎌倉時代に唐招提寺(とうしょうだいじ)の円覚(えんがく)が復興、融通念仏を広め、1617年(元和3)泉涌寺(せんにゅうじ)の照珍が再建、真言(しんごん)・天台・禅・浄土四宗兼学の寺とされた。国宝の本尊阿弥陀如来坐像(ざぞう)(1130、院覚作)をはじめ、厨子(ずし)入木造十一面観音坐像、蓮華(れんげ)式香炉(こうろ)など国の重要文化財がある。

[田村晃祐]

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改訂新版 世界大百科事典 「法金剛院」の意味・わかりやすい解説

法金剛院 (ほうこんごういん)

京都市右京区にある律宗の寺。五位山と号する。はじめ右大臣清原夏野の山荘を,死後に寺と改め,双丘(そうきゆう)寺また天安寺と称し,定額寺に列した。その後退転し,1130年(大治5)鳥羽上皇の中宮待賢門院璋子が再興して法金剛院と改称した。有名な本尊の丈六の阿弥陀如来(重要文化財)はこのときの造立である。以後,院政期には上皇,天皇,皇族,公卿の崇信厚く,受領層の奉仕による諸堂の造営が続き,衣笠山を背景とする当寺の景観は京の名所となった。鎌倉期に衰微しだした当寺は,1282年(弘安5)唐招提寺の円覚上人が勧進活動で復興し,融通念仏で貴賤の信仰を集めた。その後応仁の乱で炎上し,天正~慶長期(1573-1615)の大地震で堂舎のほとんどが倒壊したものの,近世に幕府は寺領65石を寄せ,また1617年(元和3)泉涌寺の照珍が四宗兼学の道場として再建するに及んで,やや旧観に復した。像内に願文や摺仏などを納める十一面観音像(1316造立)などが重要文化財に指定されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「法金剛院」の意味・わかりやすい解説

法金剛院
ほうこんごういん

京都市右京区花園にある律宗の寺。山号は五位山。本来は清原夏野の山荘であったが,承和年間 (834~848) に仏寺とし,双丘寺と号した。天安年間 (857~859) に文徳天皇の勅により,天安寺と改号したがのち荒廃し,大治5 (1130) 年に待賢門院が再興して法金剛院と号するようになった。

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