浅井長政(あさいながまさ)(読み)あさいながまさ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

浅井長政(あさいながまさ)
あさいながまさ
(1545―1573)

戦国時代の武将。正しくは「あざい」。北近江(おうみ)の戦国大名で久政(ひさまさ)の子。仮名(けみょう)は新九郎で受領(ずりょう)名を備前守(びぜんのかみ)といった。初め六角義賢(ろっかくよしかた)の偏諱(へんき)を受けて賢政(かたまさ)と名のったが、1561年(永禄4)六角義賢と戦い長政と改めた。1567年(永禄10)末か翌年初めに織田信長の妹(小谷の方(おだにのかた))と結婚して信長と同盟を結び、1568年の信長上洛(じょうらく)のときには、先鋒(せんぽう)として観音寺(かんのんじ)城に六角義賢を破り、近江の大半を領した。1570年(元亀1)信長の朝倉義景(よしかげ)征伐のとき、長政は祖父亮政(すけまさ)以来の旧誼(きゅうぎ)により信長との同盟を破棄し義景を支援したため、同年6月信長の攻撃を受け、近江姉川で浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍との戦いが展開された。戦いは長政側の敗北となったが、その後も本願寺や延暦寺、さらに武田信玄らと結んで信長を苦しめた。しかし、ついに1573年(天正1)8月信長に小谷城を攻められて自刃した。29歳であった。

[小和田哲男]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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