日本歴史地名大系 「湊」の解説
湊
みなと
湊
みなと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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《古事記》《日本書紀》に現れる水戸,水門という表記が古い。本来はこの表記が示すように,川と海・湖の間で水の出入りする場,あるいは海流,河流,潮の干満の力などによってそこに形成された入江,内湖,潟,砂州(さす),砂嘴(さし)などからなる海浜地形をさすが,転じてその地形を利用してつくられた港湾をいう。九頭竜川河口の三国(みくに)湊,紀ノ川河口の紀伊湊(きのみなと),伊勢国宮川河口の大湊など,重要港湾として古くより著名なものが多い。湊の自然地形は,潮流などによる変動が大きく,また塩堤築造などによる自然干拓の対象となることも多かった。そこで港湾としての利用の歴史は必ず土砂の堆積,砂州の発達・消滅などから港湾施設を防護する苦闘に彩られていた。津軽十三湊(とさみなと)を例として説明すると,この湊は岩木川河口の内湖である十三湖と日本海の間に発達した二つの砂州に挟まれた静かな潟を船溜りとし,その潟の出口に水戸明神(みとみようじん)を祭る天然の良港であり,〈夷船(えびすぶね),京船〉の群集する日本海航運の北の拠点として知られた(《十三往来》)。しかし徐々に土砂の堆積が進み,近世には十三湖干拓の要請もあって,何本かの水戸口(みとぐち)(新水路)開削が実施されたにもかかわらず,港湾としての機能が低下し,衰微した。
→港町
執筆者:保立 道久
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…出羽国秋田郡(秋田県)の港町で雄物川河口に位置する。古くは湊,秋田湊と呼ばれ,1239年(延応1)の将軍御教書に〈湊地頭職事〉とあるのが初見。室町時代には日本海北国海運の七湊の一つとして秋田湊としるされる。…
…鎌倉~室町中期は市来氏が支配し,1462年(寛正3)以降,島津氏の領地となり,江戸時代に及ぶ。中心集落湊は江戸時代は西薩の商港として栄えたが,明治以降衰退し,現在は漁港である。農業はスイカ,キュウリなどの園芸作物のほか,ミカンの栽培も行われるが,経営規模は一般に零細である。…
…船を安全に出入り,停泊させ人や貨物などの水陸輸送の転換を行う機能をもつ沿岸域の空間。日本では古来,津(つ),湊(みなと),泊(とまり)などと称していた。これらの語に代わって新たに港湾ということばがつくられ用いられるようになったのは明治になってからである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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