(読み)みなと

日本歴史地名大系 「湊」の解説


みなと

城郭の西にあたる地域の呼称。西を紀ノ川、北部をほり(伝法川)が流れ、南は湊村。湊の名は紀ノ川の「水門」の義で、「続風土記」は神武天皇の兄五瀬命が死んだ紀の国の男之水門おのみなと(古事記)の遺称とする。湊領に含まれていたが、和歌山城築城に際し城下に入り、東南部は武家屋敷、西北部は町屋となる。「続風土記」は町人町六二町、武家町一三町を記す。城下町の拡大に伴い湊領の北部は町化し、在中作方諸事覚書(土屋家蔵)によれば享保一一年(一七二六)の時点で湊地区にわずかに一八石余の高付地があり、町方支配地となっていた。



みなと

[現在地名]八戸市湊町など

新井田にいだ川・馬淵まべち川の河口に位置し、八戸湊の西部をなす。正保四年(一六四七)の南部領内総絵図では河口に「鮫湊」とあり、さめ湊と混同されているが、明和七年(一七七〇)の「日本汐路之記」には「南部八戸 川湊」とある。元禄初年頃までは漁船が利用する程度であったが、宝永三年(一七〇六)白子権兵衛が類家るいけ堰の排水口である新堀しんぼり川の改修工事を実施して船入場とし、諸荷役船が入船するようになった(「御勘定所日記」同年九月一日・七日条)。翌四年には河口の改修工事が大規模に行われ(「八戸藩日記」同年二月二六日条)、流路が安定するとともに廻船などの発着も行われるようになった。

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普及版 字通 「湊」の読み・字形・画数・意味


人名用漢字 12画

[字音] ソウ
[字訓] あつまる・みなと

[説文解字]

[字形] 形声
声符は奏(そう)。奏は奏楽。諸楽を合奏するので、湊集の意がある。〔説文〕十一上に「水上の人の會(あつ)まるなり」とみえる。水陸より物資の集まることを、輻湊という。

[訓義]
1. あつまる、港にあつまる、舟があつまる。
2. みなと、ふなつきば。
3. いたる、おもむく、すすむ、きそう、むかう。

[古辞書の訓]
名義抄〕湊 ミナト・アツマル

[語系]
湊・輳・簇tsokは同声。聚dzio、叢dzongも声に通ずるところがあり、集まり群れることをいう。

[熟語]
湊会湊学・湊巧・湊集・湊聚湊成湊泊湊理
[下接語]
殷湊・交湊・指湊津湊・臻湊・相湊・叢湊・題湊湊・波湊・繁湊・福湊・輻湊・奔湊・流湊

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百科事典マイペディア 「湊」の意味・わかりやすい解説

湊【みなと】

水上交通や漁業などのための船舶が碇泊する交通の要地。《古事記》《日本書紀》に〈水戸〉〈水門〉とみえ,元来は海・川・湖などの水の出入り口,または海流・河流や潮の干満などによってそこに形成された入江・内湖・潟・砂州(さす)・砂嘴(さし)などの地形をさしたが,転じてその地形を利用してつくられた港湾をいう。古くは(とまり)とよばれることが多く,古代末期以降たんなる船着場から都市的要素をもった湊となっていったとみられる。湊には梶取(かじとり)・船頭が集住し,陸送のため馬借(ばしゃく)なども存在した。またが立ったり,問丸(といまる)が置かれる場合もあった。代表的なものとして泉州堺,瀬戸内海の兵庫・室津・牛窓・鞆(とも)・尾道・赤間関(あかまがせき),九州の博多・長崎・坊津(ぼうのつ),日本海の小浜(おばま)・敦賀(つるが),伊勢の桑名などのほか,琵琶湖の大津,淀川の鳥羽(とば)・淀などがある。近世に入ると,幕府・諸藩は蔵米の回送などのため湊の造成に取り組み,また西廻海運東廻海運の発達により奥羽地方の湊も整備されていった。→港町
→関連項目直江津

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改訂新版 世界大百科事典 「湊」の意味・わかりやすい解説

湊 (みなと)

《古事記》《日本書紀》に現れる水戸,水門という表記が古い。本来はこの表記が示すように,川と海・湖の間で水の出入りする場,あるいは海流,河流,潮の干満の力などによってそこに形成された入江,内湖,潟,砂州(さす),砂嘴(さし)などからなる海浜地形をさすが,転じてその地形を利用してつくられた港湾をいう。九頭竜川河口の三国(みくに)湊,紀ノ川河口の紀伊湊(きのみなと),伊勢国宮川河口の大湊など,重要港湾として古くより著名なものが多い。湊の自然地形は,潮流などによる変動が大きく,また塩堤築造などによる自然干拓の対象となることも多かった。そこで港湾としての利用の歴史は必ず土砂の堆積,砂州の発達・消滅などから港湾施設を防護する苦闘に彩られていた。津軽十三湊(とさみなと)を例として説明すると,この湊は岩木川河口の内湖である十三湖と日本海の間に発達した二つの砂州に挟まれた静かな潟を船溜りとし,その潟の出口に水戸明神(みとみようじん)を祭る天然の良港であり,〈夷船(えびすぶね),京船〉の群集する日本海航運の北の拠点として知られた(《十三往来》)。しかし徐々に土砂の堆積が進み,近世には十三湖干拓の要請もあって,何本かの水戸口(みとぐち)(新水路)開削が実施されたにもかかわらず,港湾としての機能が低下し,衰微した。
港町
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「湊」の意味・わかりやすい解説


みなと

千葉県南西部、富津市(ふっつし)の中心集落。旧湊町。湊川河口部に位置する。湊川はかつて房総(ぼうそう)丘陵の農山村の物資を輸送するのに利用され、上総湊港(かずさみなとこう)が栄え、現在も商店街が形成され、金融機関などがある。沿岸漁業が行われるほか、夏には海水浴場も開かれる。

[山村順次]

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【土崎】より

…出羽国秋田郡(秋田県)の港町で雄物川河口に位置する。古くは湊,秋田湊と呼ばれ,1239年(延応1)の将軍御教書に〈湊地頭職事〉とあるのが初見。室町時代には日本海北国海運の七湊の一つとして秋田湊としるされる。…

【市来[町]】より

…鎌倉~室町中期は市来氏が支配し,1462年(寛正3)以降,島津氏の領地となり,江戸時代に及ぶ。中心集落湊は江戸時代は西薩の商港として栄えたが,明治以降衰退し,現在は漁港である。農業はスイカ,キュウリなどの園芸作物のほか,ミカンの栽培も行われるが,経営規模は一般に零細である。…

【港湾】より

…船を安全に出入り,停泊させ人や貨物などの水陸輸送の転換を行う機能をもつ沿岸域の空間。日本では古来,(つ),(みなと),(とまり)などと称していた。これらの語に代わって新たに港湾ということばがつくられ用いられるようになったのは明治になってからである。…

※「湊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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