日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉城」の意味・わかりやすい解説
玉城
たまぐすく
沖縄県島尻(しまじり)郡にあった旧村名(玉城村(そん))。現在は南城市(なんじょうし)の南部を占める。2006年(平成18)佐敷(さしき)町、知念(ちねん)村、大里(おおざと)村と合併、市制施行して南城市となった。旧村域は沖縄本島南端部に位置し、北東部は琉球(りゅうきゅう)石灰岩からなる高台で、南の海岸線に向かって緩傾斜し、西部は丘陵性の起伏に富んだ地形をなしている。国道331号が台地の下の村落を縫って走る。東隣の知念地区とともに琉球開闢(かいびゃく)にかかわる神話や聖地が多い。百名(ひゃくな)には稲作発祥地の伝説のある「受水・走水(うきんじゅはいんじゅ)」の聖泉と、「御穂田(みふだ)」の聖田がある。第二次世界大戦前は純農村で、戦後一時、アメリカ民政府が置かれた。現在は、サトウキビを基幹作物とする農業が産業の中心で、近年、野菜、花卉(かき)栽培や、酪農も盛んである。また、奥武島(おうじま)では沿岸漁業が行われている。最古の歴史をもつ玉城城跡や糸数城跡(いとかずじょうあと)(いずれも国指定史跡)などの旧跡が多くあるほか、大鍾乳洞(しょうにゅうどう)の玉泉洞(ぎょくせんどう)を中心としたテーマパーク「おきなわワールド―文化王国・玉泉洞」がつくられ、新しい観光地となっている。
[堂前亮平]
『金城繁正編『玉城村誌』(1977・玉城村)』
玉城(町)
たまき
三重県中東部、度会郡(わたらいぐん)にある町。1955年(昭和30)田丸(たまる)町と東外城田(ひがしときだ)村、有田(うだ)村(一部)が合併して成立。1956年下(しも)外城田村を編入。JR参宮線(さんぐうせん)が通じ、伊勢自動車道(いせじどうしゃどう)の玉城インターチェンジが設置されている。中心集落の田丸は1336年(延元1)北畠親房(きたばたけちかふさ)が田丸城を築いた地で、近世は和歌山藩田丸領の城下町、また伊勢本街道と熊野街道の分岐する交通の要地であった。1765年(明和2)の記録には「当地宿泊二千人」とある。田丸城跡(県の史跡)は石垣のみが残り、城山公園となっている。伊勢市の西に隣接する伊勢平野の農村で、米作を中心に畜産、野菜栽培、果樹栽培などとの複合経営が行われている。田宮寺(たみやじ)の木造十一面観音(かんのん)立像二体は国指定重要文化財。面積40.91平方キロメートル、人口1万5041(2020)。
[伊藤達雄]
『池山始三著『田丸郷土誌』(1977・三重県郷土資料刊行会)』▽『『玉城町史』全2巻(1995~2005・玉城町)』