王室[イギリス](読み)おうしつ[イギリス](英語表記)royal household

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「王室[イギリス]」の意味・わかりやすい解説

王室[イギリス]
おうしつ[イギリス]
royal household

中世ヨーロッパの君主国では,王室が政治制度全般の中心で,王側近の役人が王国の管理事務の担当者であった。イギリスでも,アングロ・サクソン王国の定着期に入った頃から,宮廷が政治の中心になり,7世紀におけるキリスト教への改宗に続いて,アングロ・サクソンの王たちは,博学な書記をスタッフとして貢納贈答立法の記録にあたらせた。有能な書記には司教への昇進の道が与えられたが,のちに司教と書記の長を兼ねる大法官 chancellorが,ノルマン征服後の土地所有権の変化に伴う政務煩雑化の結果出現した。 12世紀中頃,ノルマン朝スティーブン王のときに編纂された王室職員の給与,手当に関する規定,『コンスティトゥーティオ・ドムス・レギウス』 Constitutio domus regiusによると,王室職員の第1位が大法官で,記録部の長官がこれに次いだ。また,出納官は国庫の管理人,のちの大蔵大臣で,大蔵省もその起源が王室内の一部局にあったことを物語っている。 12世紀後半,ヘンリー2世の時代になると,国家発展の巨大な勢いは大法官庁と国庫を王室外に押出し,王室は独自の財政と事務局をもつことになった。その後チューダー朝期には国力の充実とともに王権が伸長し,王室財政も豊かになるが,王室部局の構成は 18世紀までほとんど変化なく踏襲された。 19世紀に入りビクトリア女王時代になると,王婿アルバート公の努力によって王室業務の能率化を目指す諸種の改革が進められ,部局の統廃合もみられた。現在は宮内大臣のもとで,式典,用度,住居,経費,馬匹などの王室業務が管理されている。中世と異なり,現今では王室が政治の中心ということはなく,王室職員が政府の官職につくこともなくなり,外部との接触は,王立施設の設立に関与したり,公式,非公式の場に君主の随員として出席することくらいにとどまっている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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