瑞雲寺(読み)ずいうんじ

日本歴史地名大系 「瑞雲寺」の解説

瑞雲寺
ずいうんじ

[現在地名]柳井市大字日積 宮ヶ峠

臨済宗天龍寺派。光明山と号し、本尊薬師如来。

大内氏二〇代弘貞の創建と伝え、二四代弘世の時、延元元年(一三三六)石見国大山おおやま(現島根県那賀郡)で討死した弘世の叔父弘直の牌寺にあてたという。堂宇は応安六年(一三七三)に完成。その後、大内義弘は仏恵正続の徳を慕い開山とした。「仏恵正続国師鄂隠和尚行録」によると「周防大内義弘建梵刹于玖珂郡、名曰光明山瑞雲寺、延師為開山始祖」とある。仏恵正続は、義弘が応永の乱を起こして堺で討死したのち、足利義持の招きによって日積ひづみを去り、京都の等持とうじ院に居住した。

毛利氏の時代になると、瑞雲寺の住持は輝元に従って安芸に移り、さらに関ヶ原合戦後は萩の妙悟みようご寺に移った。


瑞雲寺
ずいうんじ

[現在地名]平戸市鏡川町

勝尾かつお岳の北麓にある。金竜山と号し、曹洞宗。本尊は大日如来。応永九年(一四〇二)の創建と伝え、開基は平戸松浦氏の松浦勝とその父で平戸島北部を領有していた大渡長者とし、開山は本山の能登総持寺の一〇世梅山聞本とする。御法号付(松浦史料博物館蔵)には松浦家一六代国司公(勝)が応永元年に没して平戸の瑞雲寺を葬所にしたと記される。


瑞雲寺
ずいうんじ

[現在地名]宮古市津軽石 払川

払川はらいがわの北方山麓にある。竜谷山と号し曹洞宗で、本尊釈迦如来。江戸時代には永徳えいとく(現胆沢郡金ヶ崎町)末で、報恩ほうおん(現盛岡市)の支配下にあった(邦内郷村志)。寺伝によると応永六年(一三九九)永徳寺開山道叟道愛の高弟天産賀舜が津軽石つがるいし沼里ぬまりに来て、宗福寺の跡に草庵を結び、のちに堂宇を建立したという。文明年中(一四六九―八七)兵火にかかり焼失、大永二年(一五二二)津軽石村の地頭一戸九郎治が払川に新館を築くにあたり、その麓に寺地を与え堂宇を再建したと伝える。寺格は閉伊へい郡中第一といわれ、大本山能登総持寺の輪番を勤める名刹


瑞雲寺
ずいうんじ

[現在地名]神戸町八条

臨済宗妙心寺派に属し、金龍山と号する。本尊は虚空蔵菩薩。寺伝によると文明年間(一四六九―八七)の創建とされ、開山は大道真源。年未詳一二月二六日の斎藤利尚書状(瑞雲寺文書)に「平野八条瑞雲寺」とみえ、柿寺と通称される。慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の合戦の折、徳川家康は岐阜をたって席田むしろだ郡を通ったとき当寺の僧が大きな練柿一折を献上した。家康は大柿(大垣)が手に入ると言って大垣城奪取を命じ、僧の機微を賞して永代一〇石の寺領を与えている(新撰美濃志)


瑞雲寺
ずいうんじ

[現在地名]あきる野市山田

あき川左岸近くに所在。臨済宗建長寺派。山号は白華山、本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば開基は足利基氏の母(一説では伯母)で、法名を瑞雲寺殿喜渓忻大姉という。開山とされる大光禅師復庵宗己の没年は延文二年(一三五七)なので、当寺の創建は南北朝期であろう。堂内に束帯姿の足利尊氏像を安置し、尊氏をはじめ鎌倉公方初代基氏・同二代氏満の位牌を祀る。


瑞雲寺
ずいうんじ

[現在地名]春日井市神領町

密蔵院の北東約五〇〇メートルにあり、竜光山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊薬師如来。中本寺格で、創建は永享元年(一四二九)で雲叔紹泰禅師が開山(春日井市史)。寺伝(徇行記)によると、初め曹洞宗、末寺は一二寺。戦国末期に織田信秀から寺領を受け、後に池田信輝の菩提寺となった。天正一二年(一五八四)小牧・長久手の戦で堂塔を焼失。


瑞雲寺
ずいうんじ

[現在地名]富江町松尾郷

富江神社の南西にある。洞明山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。慶長一六年(一六一一)福江の大円ふくえのだいえん寺一二世陽谷玄初が山手やまて郷に創建、瑞現ずいげん寺と称していたという。明暦年間(一六五五―五八)富江五島家の菩提寺となり、天和元年(一六八一)現在地に移し、寺号も瑞雲寺と改めた。


瑞雲寺
ずいうんじ

[現在地名]藤岡町西中山

白竜山と号し、曹洞宗永平寺を本寺とする。本尊釈迦如来。弘治元年(一五五五)連久宗奕によって開創、寛文七年(一六六七)作秀の時に本堂を建立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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