生活保護法(読み)せいかつほごほう

精選版 日本国語大辞典 「生活保護法」の意味・読み・例文・類語

せいかつほご‐ほう セイクヮツハフ【生活保護法】

〘名〙 国がすべての生活困窮者に最低生活を保障し、その自立を助成する法律。昭和二一年(一九四六)の旧法を全面的に改正して同二五年制定。保護の原則、保護の種類および範囲、保護の機関および実施、保護の方法保護施設などについて規定する。

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デジタル大辞泉 「生活保護法」の意味・読み・例文・類語

せいかつほご‐ほう〔セイクワツホゴハフ〕【生活保護法】

日本国憲法理念に基づき、国が生活に困窮するすべての国民に対し、必要な保護を行い、最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする法律。昭和25年(1950)施行。

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百科事典マイペディア 「生活保護法」の意味・わかりやすい解説

生活保護法【せいかつほごほう】

国民の生存権に基づき,生活困窮者に対し最低限度の生活を保障するとともに,その自立助長を目的とする法律(1950年)。旧生活保護法(1946年)を全面改正し,福祉機能を強化したもの。無差別平等,保護の補足性,保護の国家責任を基本原則とし,生活・教育・住宅・医療・出産・生業・葬祭の7種類の扶助のほか,生活保護基準,保護施設,医療および授産機関,被保護者の権利・義務等について規定している。2013年12月,1950年以来の全面見直しとなる生活保護法改正が国会で成立。生活保護の引締策と生活困窮者への支援策をセットにした改正生活保護法と生活困窮者自立支援法の同時成立である(自公賛成,民主欠席)。改正生活保護法では,増え続ける受給者の引締策として,不正受給の罰金をそれまでの〈30万円以下〉から〈100万円以下〉に引き上げる。受給手続きも見直され,申請者に扶養義務のある家族がいて扶養可能とみられるのに応じない場合,自治体が家族に説明を求めることができる。一方受給者への自立支援策として〈就労自立給付金〉を創設。これまでは働いて収入を得ると,その分の保護費が減額されるが,新制度では収入の一部を積み立てたとみなし将来保護から抜けた時に現金で渡す。改正生活保護法は2014年7月より施行。あわせて成立した生活困窮者自立支援法は生活保護に至る手前の支援に重点を置く。自治体に対し,生活に困る人から幅広く相談を受ける窓口を設置し本人と話し合って自立に向けた計画を作る,といった取り組みを義務づける。離職して住まいを失った人への家賃補助も制度化する。施行は2015年4月。しかし改正生活保護法については批判も多く,扶養義務の照会強化などについて日本弁護士連合会は〈保護申請を萎縮させる効果を及ぼし重大な問題がある。成立は遺憾〉と批判する会長声明を出している。→救貧法
→関連項目朝日訴訟医療扶助救護法教育扶助公的扶助公費負担医療資産調査授産所生活保護制度福祉事務所保護施設

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「生活保護法」の意味・わかりやすい解説

生活保護法
せいかつほごほう

昭和25年法律144号。同名の 1946年の法律に代わるもので,生存権の理念に基づいて,国が生活困窮者に対しその困窮度に応じ必要な保護(→生活保護)を行ない,最低限度の生活を保障するとともに,その自立を助長することを目的とする。社会保障法の一つ。保護は要保護者の申請に基づいて開始されるが,資産調査を実施したのち世帯を単位としてその要否,程度が定められる。保護の実施機関は地方公共団体の長である。保護の種類は生活扶助,教育扶助,住宅扶助医療扶助,介護扶助,出産扶助生業扶助,葬祭扶助の 8種で,医療扶助と介護扶助を除きすべて金銭給付を原則とする。ほかに救護施設更生施設,医療保護施設,授産施設,宿所提供施設の 5種の保護施設がある。保護費用の負担率は,保護費と保護施設事務費および委託事務費については 4分の3,保護施設の設備費については 2分の1を国が負担し,残りは都道府県および市町村により一定比率で支弁する。(→救貧制度公的扶助

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「生活保護法」の解説

生活保護法
せいかつほごほう

憲法25条にもとづき,国が生活困窮者の最低生活を保障する制度。第2次大戦後,多年の戦争の惨禍と敗戦にともなう膨大な困窮大衆が出現した1945年(昭和20)12月,政府はGHQの指導のもと,緊急援護の予算措置を開始するとともに,救済福祉計画をGHQに提出。46年GHQは国家責任,民間への責任転嫁禁止,無差別平等,必要・十分の公的扶助に関する4原則を掲げ,これをうけて第90帝国議会で9月生活保護法が成立した。これにともない戦前からの救貧諸立法は廃止された。49年社会保障制度審議会の「生活保護制度の改善強化に関する勧告」をうけて,翌年現行の生活保護法が成立した。すべての国民が国家の責任において,平等に健康で文化的な最低生活を維持できることをめざした。

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世界大百科事典(旧版)内の生活保護法の言及

【朝日訴訟】より

…この訴訟では,憲法25条で定める生存権と,そこでいわれている〈健康で文化的な最低限度の生活〉の保障を実現するための公的扶助制度(生活保護制度),生活保護基準内容,厚生大臣による基準決定の法的性格などが争われ,一審(1960)は原告勝訴,二審(1963)は原告敗訴となったが,上告中原告が死亡し,最高裁大法廷は,争われた生活保護とその受給権は朝日茂の一身専属的な権利であり,養子夫妻の訴訟承継対象たりえないという理由で,原告敗訴の判決を下した。さらに最高裁判所は,〈念のため〉として,憲法25条の法的性格をプログラム的性格,すなわち国の国民に対する道義的責任の宣言と判断し,その生存権保障の具体化とそれにもとづく具体的権利は生活保護法によって与えられるとした。この訴訟は,当時,人間裁判と呼ばれ,広く全国民的な支持をえた憲法擁護のための訴訟運動をもひき起こし,その後の生存権とその具体的制度化をめぐって争われる社会保障訴訟とそのための運動の先駆となった。…

【家族政策】より

…前者から〈家〉制度に代わる社会的安定装置として〈現実の家族=世帯を社会保障の全面的充実で強化〉(1950年,社会保障制度審議会勧告)することを,後者から〈社会保障制度の充実は最小限とし,世帯への依存を高める〉(1954年,自民党憲法調査会)という趣旨の両極の路線が出てきた。これが実務では,1950年の住民登録法と51年の新生活保護法の〈親族扶養優先原則〉および世帯単位原則により世帯扶養共同体が,〈家〉に代わって登場し,後者の路線に乗ることになる(扶養)。高度経済成長は,急速な労働力の都市への集中により,家族と地域社会の相互扶助の急激な崩壊をもたらした。…

【公的扶助】より

…イギリスの1601年エリザベス救貧法は全国的に制度化された公的扶助の嚆矢(こうし)であるといってよく,救貧制度として幾度かの改正を経て,1948年国民扶助法に至り,前述の狭義の公的扶助が確立した,といってよい。日本についていえば,1874年恤救規則から1929年(施行は1932)の救護法を経て,戦後の生活保護法に至る過程である。 公的扶助という用語が日本に定着したのは,第2次大戦後の占領軍公衆衛生福祉局の使用による。…

【生活保護】より

…生活保護法(1950公布)に基づく生活困窮者に対する最低生活保障制度。日本の生活困窮者に対する救済制度は大宝律令(701)までさかのぼりうるが,近代の公的扶助制度の端緒としては明治政府が1874年に制定した恤救(じゆつきゆう)規則が挙げられる。…

※「生活保護法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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