国の政治に関する情報を、国民が自由に入手する権利(アクセス権)。公権力により妨げられることなく自由に情報を受け取るという消極的自由権的側面と、情報の積極的な提供・公開を国家機関に対して要求するという積極的請求権的側面とをもっている。日本国憲法第21条に定められている表現の自由の保障は、単に表現活動を行う者の自由だけでなく、それに対応するものとして、表現の受け手の知る自由をも当然に保障しているものと考えられる。しかし、国家の行政活動の領域が広がってくるとともに国家秘密も増大し、また、マス・メディア産業の発達により、社会の情報流通過程において国民は、与えられる情報をただ受け取るだけという受動的な地位に置かれるようになってくる。こうした状況のなかで、国民が必要とする情報を十分に得るためには、情報の受け手である国民の側から、知る権利を積極的に主張することが必要であると考えられるようになってきた。知る権利の観念は、第二次世界大戦後のアメリカにおいて成立した。わけても1971年に起こったベトナム秘密文書事件(ペンタゴン・ペーパーズ暴露事件)では、アメリカのベトナム政策の決定過程を明らかにした秘密文書を新聞に掲載することが正当であるとする報道機関の主張を支えるうえで、この観念は大きな役割を果たした。
[浜田純一]
知る権利には二つの機能があると考えられる。一つは、個人権的機能であって、情報化社会といわれる現代社会では、個人が幸福を追求し、健康で文化的な生活を送っていくためには、十分な情報を利用できることが不可欠である。サド『悪徳の栄え』事件最高裁判決(1969年10月15日)における色川幸太郎裁判官の反対意見は、性表現をめぐっての「知る自由」という考え方に初めて触れ、この自由を日本国憲法第13条の幸福追求権のうちに基礎づけている。知る権利のもう一つの機能は参政権的機能であって、民主的な政治過程が前提とする個々の国民の政治的な意思形成のために、国民が十分な情報を受け取ることができるのでなければならない。博多(はかた)駅取材フィルム提出命令事件についての最高裁決定(1969年11月26日)や外務省公電漏洩(ろうえい)事件(沖縄密約暴露事件)についての最高裁決定(1978年5月31日)は、民主主義社会における国民の「知る権利」の重要性を強調し、報道機関や新聞記者の報道の自由、取材の自由を、この権利に「奉仕」するものであると意味づけている。
[浜田純一]
国民の知る権利を積極的に具体化する方法としては、情報公開法の考え方がある。アメリカでは1966年に「情報自由法」Freedom of Information Actが制定された(74年に大幅改正)が、そこでは、(1)「何人(なんぴと)」であれ公文書の開示を請求しうること、(2)資料の公開が原則で非公開は例外であること、(3)非公開措置が妥当かどうかの判断は裁判所にゆだねられること、の三つの基本原則が具体化されている。また、この法律においては、例外的に非公開とされる事項として、国防・外交政策に関する記録、個人のプライバシーについての記録、捜査記録など、9項目が規定されている。アメリカではさらに76年にサンシャイン法が成立し、合議制行政機関の会議は原則的に公開されることになった。
今日、情報公開法を有する国は、北欧諸国やカナダ、オーストラリア、ベルギー、オランダなど増加傾向にあり、1996年(平成8)にはアジアで初めて、韓国において情報公開法が制定された。
日本でも、1980年代に入って、地方自治体で情報公開条例が制定されるようになり、99年には情報公開法(正式名称は、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」)が成立した。この法律の目的として、「知る権利」ということばには言及されていないが、国民主権の理念を基礎に、「政府の有するその諸活動を国民に説明する責務」の全うと「国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進」が掲げられている。この法律は、原則開示の考え方を採用しているが、同時に、個人情報、法人情報や意思形成過程情報などについては開示の例外とし、とくに防衛・外交・捜査などに関する情報については、関係省庁の長の判断により「相当の理由」が認められる場合は、不開示にできるものとしている。
[浜田純一]
『千葉雄次郎著『知る権利』(1972・東京大学出版会)』▽『芦部信喜著「「知る権利」の理論」(『講座 現代の社会とコミュニケーション3』所収・1974・東京大学出版会)』▽『奥平康弘著『知る権利』(1979・岩波書店)』▽『宇賀克也著『情報公開法の理論』(1998・有斐閣)』
公衆がその必要とする情報を,妨げられることなく自由に入手できる権利をいう。近代憲法は基本的人権の一つとして言論・出版の自由を保障した。しかし,政府権力の拡大強化やマスコミの発達によって,一般市民(公衆)は,重要な情報源から遠ざけられるにいたった。情報化社会の発展とともに,この傾向はさらに拍車がかかり日常生活の情報の選択と入手は市民の重大な関心事となっている。こうして,国政情報から日常生活の情報まで,自由に入手することを求める〈知る権利〉は,最も重要な現代的人権として認識されるようになった。
ヒトラー独裁の極端な言論統制のもとで無謀な戦争を引き起こしたドイツ国民は,第2次世界大戦後制定されたボン基本法(憲法)の5条1項で〈すべて人は,その意見を言語,文書,図画において自由に発表する権利を有する〉と定めたのち,〈一般的に近づくことのできる情報源から妨げられることなく知る権利を有する〉とした。また,アメリカでは連邦憲法修正1条が言論・出版の自由を保障しているにもかかわらず,第2次大戦中から戦後にかけて,国益の名のもとに政府による情報の抑圧が増大した。このため,ジャーナリストや法律家を中心に〈知る権利〉のための運動が展開され,1967年情報自由法(FOIA)が制定され,情報公開制の実現をみることになった。これらの動きは世界的な潮流であり,すでに1948年の第3回国連総会で採択された〈世界人権宣言〉はその19条で〈人はすべて(中略)あらゆる手段によりかつ国境を越えると否とにかかわりなく,情報および思想を探求したり入手したり伝達したりする〉権利を有する,とした。66年の第21回国連総会では,〈国際人権規約〉が採択され(日本は79年加入),世界人権宣言と同趣旨の条項が規定された。
日本国憲法には,直接〈知る権利〉や情報の自由入手についての規定は存在しない。しかし国民主権の原理,表現の自由や幸福追求の権利などを総合すれば,〈知る権利〉は日本においても当然認められるものと考えられている。最高裁判所大法廷も69年の博多駅テレビ・フィルム提出命令事件の決定理由で〈報道機関の報道は,民主主義社会において,国民が国政に関与するにつき,重要な判断の資料を提供し,国民の“知る権利”に奉仕するものである〉と述べ,この見解は78年6月の外務省公電漏えい事件でも踏襲されている。
憲法は〈知る権利〉を保障しているけれども,それは一般的,抽象的なものであり,各人にどのような内容の権利を保障するかは,法律などにより具体的に規定される必要がある。こうして具体的に作られた制度が情報公開制である。しかし,この制度の目的は政府など公的機関の保有する公文書などの情報(公的情報)の開示であって,個人や私的企業の情報(私的情報)を直接対象とするものではない。それは,憲法の保障する〈知る権利〉が国政などの公的情報の入手権であるからである。ただし,私的情報でも政府が正当な手続で入手したものは,公共上必要がある場合,開示することもできる。このような情報公開制を採用している国は,1997年現在,アメリカのほか,スウェーデンなど北欧4ヵ国,フランス,オランダ,オーストリア,ベルギー,オーストラリア,カナダ,ニュージーランドがあるが,1996年韓国がアジアで初めて情報公開法を制定した。日本は,1980年代から地方で条例を制定する自治体が相次いだが,97年現在,全都道府県で情報公開制度(うち条例は44)が実現されている。中央段階での取組みは遅れていたが,1994年に設置された行政改革委員会で情報公開法案の立案作業が行われ,97年末総理大臣に立法の勧告が行われたが,〈知る権利の保障〉という言葉は盛られなかった。
〈知る権利〉の対象は公的情報であるが,公私の区別は必ずしも明らかではない。個人のプライバシーのなかにも,政治家の所得や資産など公的性格の情報もある。しかし,一般市民のプライバシーは最大限尊重されなければならない。だが,コンピューターの著しい発達や日常生活の組織化により,個人のプライバシーが侵害される危険も非常に大きくなっている。加えて,情報の急速な国際化を背景に,1980年代に入って経済協力開発機構(OECD)などの国際機関が個人情報保護の方針を打ち出した。これを受けて,先進各国における個人情報保護法の制定が相次いだが,日本も88年〈行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律〉(個人情報保護法)を制定した。しかし,プライバシーの保護と情報公開とは矛盾するものではなく,むしろ現代社会における人権保障という共通の目的を持つものだ,ということができる。
執筆者:清水 英夫
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…のちAPに移り,南アメリカ,ヨーロッパにおけるAP配信網の整備・拡大に努力。1930年代,第2次大戦中の経験をふまえて,戦後,巨大化するメディア状況のなかで読者の〈知る権利〉の重要さを強調(《The Right to Know》1956),この言葉の普及,問題の所在の照明にあずかって力があった。著書には《障壁を破る》(1942),《ケント・クーパーとAP》(1958)などがある。…
…新聞や放送などの報道機関は現代社会のいわば神経組織として世界に生起した諸事実に関する情報を人々に伝達する役割を演じている。ことに民主主義社会では,報道機関は主権者たる国民の〈知る権利〉の負託にこたえて報道を通じて国民に判断の素材を提供するものと考えられている。元来,言論の自由や表現の自由は,個人が意見や思想を表明する自由を意味し,それを中心として展開されてきた。…
※「知る権利」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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