笛吹(市)(読み)ふえふき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「笛吹(市)」の意味・わかりやすい解説

笛吹(市)
ふえふき

山梨県中央部にある市。2004年(平成16)東山梨郡春日居町(かすがいちょう)、東八代(ひがしやつしろ)郡の石和町(いさわちょう)、御坂町(みさかちょう)、一宮町(いちのみやちょう)、八代町、境川村(さかいがわむら)が合併、市制施行して成立。2006年東八代郡芦川村(あしがわむら)を編入。北を接する山梨市に飛地(旧、春日居町)がある。北西部を笛吹川が南西流し、南東部の御坂山地から北西流してきた金(かね)川、浅(あさ)川や境川などを合わせる。笛吹川の流域甲府盆地東端にあたり、笛吹複合扇状地に属する一宮町地区・御坂町地区では大果樹地帯を形成している。JR中央本線、国道20号、137号、140号、358号、411号が通じ、中央自動車道の一宮御坂インターチェンジがある。

 北東部の千米寺(せんべいじ)にある釈迦堂遺跡群は縄文時代を中心とする旧石器時代から平安時代の遺跡で、1116点の土偶(縄文時代)を含む出土品5599点は国指定重要文化財。甲府盆地南縁にある身洗沢遺跡(みあらいざわいせき)からは県内初の弥生(やよい)水田跡と木製農耕具が発見された。古墳時代は北西部に後期の春日居古墳群があり、金川右岸の経塚古墳は全国でも数少ない八角形墳である。

 奈良時代や平安時代の集落跡もあり山梨郡家や甲斐国国府が所在したとされる。金川右岸では甲斐国分寺跡、甲斐国分尼寺跡(いずれも国指定史跡)が建立された。南東部の御坂峠は古代に東海道の脇道、中世には鎌倉街道の重要交通路であった。また、鎌倉時代には大石峠越えで甲斐と駿河を結ぶ若彦路(わかひこじ)も通った。鎌倉時代に伊勢神宮外宮領石和御厨(いさわのみくりや)を拠点として甲斐源氏惣領(そうりょう)武田信光(たけだのぶみつ)が活躍した。15世紀半ばには守護家の武田信重(のぶしげ)が小石和に館を構え、武田信虎(のぶとら)は石和館ともよばれた川田(かわだ)館(現、甲府市)に拠り、1519年(永正16)に躑躅が崎(つつじがさき)(現、甲府市)に本拠を移すまでは武田氏の拠点であった。広厳(こうごん)院や慈眼寺(じげんじ)(本堂は国指定重要文化財)が武田氏の庇護(ひご)の下に隆盛を極めた。一宮浅間神社(いちのみやあさまじんじゃ)の摂社山宮神社本殿は武田晴信(はるのぶ)(信玄)の再興、後奈良院宸翰紺紙金泥般若心経(ごならいんしんかんこんしきんでいはんにゃしんぎょう)は晴信の奉納でともに国指定重要文化財。江戸時代は甲州道中(甲州街道)と鎌倉街道の分岐する石和宿、笛吹川の石和河岸(川田河岸)がにぎわい、石和宿には代官所も置かれた。若彦路の上芦川には口番所があった。

 かつての笛吹川は水害を繰り返し流路が変更されてきた。1907年(明治40)の大水害までの流路は、現在の笛吹橋東方から春日居町国府(こう)と石和町川中島(かわなかじま)との間を西流、甲府市上曾根で鵜飼(うかい)川と合流していた。大正年間の河川改修工事により現在の流路になった。

 主産業は農業と観光で果樹栽培はモモ、ブドウ、カキが中心。モモとブドウの収穫量は全国1位(平成18年度)。野菜・花卉(かき)も栽培する。観光農園が盛んで、石和温泉、春日居温泉郷には旅館、保養施設、温泉病院などがある。面積201.92平方キロメートル、人口6万6947(2020)。

[編集部]


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