能美(市)(読み)のみ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「能美(市)」の意味・わかりやすい解説

能美(市)
のみ

石川県南部にある市。2005年(平成17)能美郡根上町(ねあがりまち)、寺井町(てらいまち)、辰口町(たつのくちまち)が合併して市制施行、能美市となった。市名は郡名による。西は日本海に面し、海岸部から東に向かって金沢平野、能美丘陵、能美山地と続く。北境を手取川(てどりがわ)が西流し、西部をJR北陸本線、北陸自動車道、国道8号が縦断。早くから開けた地で、石川県下で初めて発掘された旧石器時代遺跡、灯台笹遺跡(とだしのいせき)がある。秋常山古墳群(あきつねやまこふんぐん)(1号墳は県下最大規模)、和田山・末寺山古墳群(わだやままつじやまこふんぐん)、寺井山遺跡、西山(にしやま)古墳群などの古墳があり、能美古墳群(国指定史跡)を形成。源平争乱期、根上の松辺りで、平家側と反平家側の加賀の在地勢力とが戦ったことが『源平盛衰記』に記される。源義経の一行が市域を通ったと思われ、義経に関る伝説地も多い。中世には能美庄、得橋(とくはし)郷、郡家(ぐんけ)庄などに属した。能美庄の重友(しげとも)保には寺井市(いち)が成立、同市には加賀白山宮に水引幕を上納した水引神人(紺掻業者)が集住していた。15世紀末には、本願寺派の教線が市域にも及んだ。1580年(天正8)一向一揆を滅ぼした柴田勝家は寺井城に安井左近を配置、城下には町場が形成された。江戸時代、寺井町は北陸街道の宿場町として栄え、手取川の渡船場であった粟生(あお)も同街道の宿駅吉光(よしみつ)には北陸街道の一里塚(県指定史跡)が残る。海浜では製塩が行われ、釜屋(かまや)の地名が残る。

 寺井村出身の陶工庄三(しょうざ)(1816―1883)は、幕末に彩色金襴手の技法を確立して九谷(くたに)焼を一新、明治時代には諸外国に輸出され、「ジャパンクタニ」の名で人気を博した。現在は伝統工芸九谷焼の里として知られる。九谷陶芸村(九谷焼団地)には資料館、美術館、陶芸館、技術研修所などの諸施設がある。九谷焼の技術は県指定無形文化財。明治以降に発展した織物業は第二次世界大戦後、染色精練工業、合繊織物、撚糸(ねんし)などの企業に発展。ほかに金属、機械工業なども進出。市内に北陸先端科学技術大学院大学、加賀舞子(かがまいこ)海浜公園、辰口温泉などがある。面積84.14平方キロメートル、人口4万8523(2020)。

[編集部]


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