一般に〈詩のことば〉,〈詩(韻文)に用いることば〉と説明されるが,いずれにせよ詩語という語の定義はあいまいである。英語のpoetic dictionということばは,詩に特有の言いまわし・語法の意で用いられる。この場合も定義はあまり明確でない。もしpoetic dictionがある種の固定した特殊な語彙・語法を意味するなら,その種のものは19世紀初頭ワーズワースの《抒情歌謡集》(1800)自序がその特権的価値を否定したように,近代以降の詩ではあまり重要とは考えられなくなっている。他方,散文と詩を分かつ要因をどこに求めるかという問題に関していえば,〈詩的語法〉の有無が両者の区分の重要な基準になることは明らかである。したがってpoetic dictionの問題は次のように定式化することができよう。すなわち,現代の詩は,特権的で自明な詩語あるいは詩的語法の存在を認めないが,にもかかわらず,新鮮な詩的語法の開発はむしろ不断の関心事である。なぜなら,それなしには散文との境界線がますます不分明になってゆくからである。いずれにせよ,語がある種の創意ある選び方によって,読者の美的想像力をかきたてるように配列されているとき,そこにはpoetic dictionが形づくられていると考えてよい。それ以上に細かい定義づけは,個々の事例について適宜行うほかないであろう。現代の文芸批評の用語として〈詩語〉という語をみだりに用いることは危険であり,まやかしに通じる場合も少なくない。
以上の点に留意した上で,日本の詩歌には〈詩語〉とよんでしかるべきものがきわめて豊富であることをあらためて指摘しておきたい。古代以来の和歌に頻出する〈枕詞〉〈序詞(じよし)〉〈懸詞〉〈縁語〉などの修辞は,日本語特有の言語的条件が生み出した〈詩語〉と考えてよい。これらに共通する性質は,一首の歌なり歌謡なりの意味を複合的,多義的なものにしうることにある。長歌のようなものも含めて,概して短詩形が多い日本の詩歌は,これらの修辞の駆使によって単調さからのがれ,味わいを濃くすることができた。また〈歌枕〉は名所として人々の憧憬を刺激する地名だが,地名をいうだけで人々の共同的想像力をかきたてえた点で,重要な詩的装置であり,古典的なpoetic dictionの好例といえるものであった。さらに重要なものとして,《万葉集》《古今和歌集》以後,連歌・俳諧の長い歴史的経過を通じ,きわめて精緻に体系化され,現代の俳句歳時記に集大成されている〈季題〉〈季語〉の一大宝庫がある。季題とは四季それぞれの歌を詠むに当たって,その季節を一語よく象徴しうるごとき題を詠題として立てた万葉や古今以来の分類法にもとづく用語である。すなわち四季の詠題が季題であり,これをさらに現実に即して細かく具象化していったものが,季語の大群である。たとえば《古今集》春の部の詠題は,〈立春,霞,鶯,梅,消えあへぬ雪(残雪),春の日,氷とく,野焼,若菜摘,春雨,青柳,百千鳥,雁帰る,春の夜,桜,花,春の行方,春風,春の色,春の野,藤,山吹,春の果〉となっていて,いずれも春という季節を象徴しうる代表的な景物であり,天象や気象である。それはまた,日本列島で一年間に継起する自然現象や人事・風俗を,一群の選ばれた語彙によって細かく分節化し,美的にそれを享受することを通じて,自然と人間の交感をいっそう体系的に遂行しようとする意思の産物でもあった。これら季題の頂点をなす最重要の題目は〈花,時鳥,月,雪,紅葉〉で〈五箇の景物〉とよばれ,勅撰和歌集や連歌の時代から江戸の俳諧にいたるまで,その扱いは特別に重視された。江戸の俳諧之連歌(連句)においても,花の定座・月の定座の句は晴れの位置にあるものとして連歌の場合と同様に重視された。この種の美学が,必ずしも日本独自のものではなく,元来は古代中国以来の美意識を継承するものであったにせよ,とくに日本の詩歌の中で洗練されてきたことは否定できない。明治以降の近代においても,われわれはたとえば〈雪月花〉という季題の三文字によって,日本の自然の美を簡潔に要約して語ることに慣れている。現代俳句が,無季を標榜する俳人たちを内部に少数派として抱えながらも,大勢としては依然として俳句歳時記をかたわらに置き,季題・季語の宝庫に日夜出入りしている厖大な作句者たちによって支えられていることは,1000年以上に及ぶこの精緻な〈詩語の体系〉の威力を物語るものであろう。
以上のような観点に立てば,日本は世界的に見てきわめて特異といってよいほどに,詩語が語彙そのものとして体系化されて現存し,しかも生きて用いられている国だということができる。しかも,注目すべきことに,これらの季題・季語は,単に俳句作者たち,また広く詩歌人や文学者のためにのみ存在しているわけではない。日常の風俗習慣の次元においても,詩語がかきたてるある種の常套的な情緒はたえず更新され,映画やテレビジョンなどの現代的メディアを通じて,さらに強化されてゆく側面さえもっているのである。
→詩学
執筆者:大岡 信
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