日本歴史地名大系 「赤木村」の解説
赤木村
あかぎむら
赤木村
あかぎむら
赤木村
あかぎむら
赤木村
あかぎむら
赤木村
あかぎむら
赤木村
あかぎむら
弘長三年(一二六三)二月一二日付の日置国利田地譲状(続宝簡集)に「神野御庄赤木田地券文事」とあり、赤木の地が国利より養子長乗坊に譲られている。文永八年(一二七一)八月二四日の高野山領神野庄田地充文(同集)には神野庄赤木村内田地について「右件田地者、慈法房与長乗房、雖有相論、所詮違乱出来時者、可返本直之由券契明白也」とあり、相論があったらしい。しかし同年一二月、この地は長乗坊実能によって高野山の御影堂陀羅尼田として寄進されている(同月二一日「大法師実能御影堂陀羅尼田寄進状」同集)。
赤木村
あかぎむら
赤木村
あかぎむら
赤木村
あかぎむら
赤木村
あかぎむら
赤木村
あかぎむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報