山形県北西部の市。2005年11月旧酒田市と平田(ひらた),松山(まつやま),八幡(やわた)の3町が合体して成立した。人口11万1151(2010)。
酒田市西部の旧市。1933年市制。人口10万1311(2000)。市域のほぼ中央を最上川が西流して日本海に注ぎ,河口北岸に市街地が広がる。東半は庄内平野の北部を占め,西は庄内砂丘から日本海に臨む。市域東端の水田中に平安期の出羽国府跡と推定される城輪柵(きのわのさく)跡(史)がある。近世の酒田は,最上川舟運と結びついて日本海有数の港町として繁栄し,井原西鶴の《日本永代蔵》に当時の酒田豪商が記されるほどであった。明治以降,帆船から汽船への移行,鉄道の発達などによって港勢は衰退したものの,庄内平野の米単作地帯をひかえた米穀取引が酒田の経済を支え,1893年河口近くの中州にある山居(さんきよ)町に山居倉庫と称される米穀取引所の倉庫が建てられた。大正から昭和初期にかけて最上川流路と港との分離工事などの改修が進み,近代的港湾が誕生した。1930年代には港に臨む大浜地区にあいついで化学工場が立地し,県内唯一の臨海工業地区を形成した。1974年には市街地北西に砂丘地を掘り込んだ酒田北港が開港した。JR羽越本線,国道7号線という日本海側の幹線が通り,陸羽西線と国道47号線で内陸と結ばれる。1976年に市街地中心部を大火で消失したが,3年後には2本のモールをもった商店街として復興し,2007年現在県内第3の人口を有する商工業都市として発展している。日本一の大地主として知られた本間家の別邸を開放した本間美術館がある。酒田港北西約39kmの日本海に浮かぶ飛島は酒田市に属し,天然記念物指定のウミネコ繁殖地として知られる。
執筆者:中川 重
最上川河口にあり,坂田,砂潟ともかいたが,これらの地名は室町期からみえる。酒田湊はもと川南の袖ノ浦(現,宮野浦)にあったが,永正年間(1504-21)から慶長年間(1596-1615)に最上川の北岸に移転している。鎌倉末ごろから栄え,町政には月行事の三十六人衆があたったという。酒田には室町期に大宝寺氏が東禅寺城を築き,最上氏の支配になると亀ヶ崎城と改め,庄内藩時代もここに城代を置いた。酒田湊ははじめ亀ヶ崎城下と分離されていたが,慶長年間以後,城下町と港町とが直結され,亀ヶ崎城下の内町組,米屋町組と酒田湊とよぶ酒田町組とに分けて支配された。酒田町奉行のもとに,大肝煎(のち大庄屋)と各町肝煎がこれにあたり,三十六人衆の月行事,年寄・長人(おとな)も参画した。酒田には最上川流域諸藩の蔵宿と天領の米置場が設けられ,西廻海運の起点として,町屋の発達,商人の発展も著しかった。1682年(天和2)の町数は本町,中町など49,家数2251,人口1万2604。
執筆者:横山 昭男
酒田市東部の旧町。旧飽海(あくみ)郡所属。人口7232(2000)。庄内地方東部に位置し,西は旧酒田市と接する。西端部は最上川北岸に位置し,庄内平野の一角を占めるが,町域の大部分は出羽山地に含まれ,田沢川など最上川の支流が東流する。中心集落は砂越(さごし)と飛鳥(あすか)。羽越本線が西端を走り,旧酒田市への通勤・通学者も多い。米作と酪農が主産業で,ササニシキなど良質の庄内米産地である。
酒田市南東部の旧町。旧飽海郡所属。人口5676(2000)。庄内平野の東部に位置し,町域は最上川沿いに細長くのびる。背後には出羽丘陵がある。中心集落の松嶺は,江戸時代庄内藩の支藩松山藩の城下町であった。基幹産業は農業で,米作を中心に庄内柿などの果樹生産,畜産が行われる。近年は兼業農家が増加し,旧酒田市への通勤・通学者も多い。また製糸業や〈庄内麩〉として知られる板麩の製造などの地場産業がある。松山城跡や南北朝時代に開かれた曹洞宗総光寺がある。
酒田市北東部の旧町。旧飽海郡所属。人口7395(2000)。鳥海山の南東麓に位置する。日向(につこう)川と荒瀬川が西流し,町の西端で合流して日本海に注ぐ。国道344号線と345号線が交差する中心集落観音寺は中世以来,荒瀬川の谷口集落として発達し,戦国時代には来次(きすぎ)氏の居城があった。江戸時代から石油の試掘が行われ,湯の台油田は昭和初期に本格的に開発され第2次大戦中まで利用されたが,1964年に操業が停止された。平野部の米作と山地部での林業が盛ん。日向川は発電に利用され,庄内平野の灌漑にも使われる。湯ノ台温泉(含土類重曹泉,24~29℃)や法蓮寺の堂の前遺跡(史),普門院のケヤキ(天)がある。
執筆者:松原 宏
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山形県北西部、日本海に臨む最上川(もがみがわ)河口の市。1933年(昭和8)市制施行。1941年西平田村、1950年飛島(とびしま)村、1954年西荒瀬、東平田、北平田、中平田、上田、本楯(もとだて)、南遊佐(みなみゆざ)、広野、新堀(にいぼり)、袖浦(そでうら)の10村を編入。2005年(平成17)八幡(やわた)、松山、平田の3町を合併。市域の中西部を最上川が西流して日本海に注ぎ、河口北岸に市街地が広がる。東半は庄内(しょうない)平野と出羽(でわ)山地で占められ、西は庄内砂丘を隔てて日本海に臨む。
古くは砂潟(さかた)とも書いた。市中北部の水田中に平安期の出羽国府と推定される城輪柵跡(きのわのさくあと)(国史跡)がある。酒田は中世から河口の舟着き場として発達したが、1672年(寛文12)河村瑞賢(ずいけん)が西廻航路(にしまわりこうろ)を整備してからは、最上川舟運と結び付いた米の一大集散地となり、日本海沿岸有数の港町として繁栄した。井原西鶴(さいかく)の『日本永代蔵(えいたいぐら)』にも当時の酒田豪商のにぎわいぶりが記されている。明治に入ると庄内平野の米作単作地帯を控えて米穀取引が盛んとなり、1893年(明治26)には山居倉庫(さんきょそうこ)が建てられた。また汽船化などで一時港勢が衰えた港も、大正から昭和初期にかけて最上川流路との分離工事や3000トン岸壁の建造などの改修が進み、近代的港湾に脱皮した。1930年代には大浜地区に相次いで化学工場が立地し、県内唯一の臨海工業地区を形成し工業都市へ変貌(へんぼう)した。重要港湾酒田港はまた県内最大の漁港でもある。1974年(昭和49)には市街地北西の砂丘地を掘り込んだ酒田北港が開港、火力発電所などが立地している。1976年市街地中心部の約1000戸を大火で焼失したが、3年後には二つのショッピング・モールをもつ商店街として復興した。1991年(平成3)鶴岡市と接して、庄内空港が開港して、東京との定期便が通じる(2022年時点)。日本海側をJR羽越本線と国道7号、112号の幹線が走り、JR陸羽西線と国道47号で内陸と結ばれる。また、国道344号が東西に、345号が南北に走る。2001年に山形自動車道として開通した日本海東北自動車道が縦断し、庄内空港、酒田、酒田中央、酒田みなとの4インターチェンジが設置されている。酒田臨海、松山などの工業団地があり、2011年の製造品出荷額等では県で第4位である。農業は経営耕地面積が県内第1位で、庄内米の主産地となっている。
本間美術館(ほんまびじゅつかん)は日本一の大地主であった本間氏別邸を開放して設立されたもので、庭園は国指定名勝。総光寺の庭園も国指定名勝。個人としては日本初の写真美術館である土門拳記念館(どもんけんきねんかん)や酒田市美術館、生涯学習施設「出羽遊心館」などの文化施設が充実し、2001年には東北公益文科大学が開学した。江戸中期に始まるという「黒森歌舞伎(かぶき)」は農民歌舞伎の一つで県指定無形民俗文化財。酒田港の北西40キロメートルの日本海の孤島飛島は鳥海(ちょうかい)国定公園に属し、ウミネコの繁殖地(国の天然記念物)として知られ、春から秋にかけては釣り人でにぎわう。北東部の高原も鳥海国定公園に含まれ、鳥海高原家族旅行村や湯の台温泉がある。最上川スワンパークには冬季に多くのハクチョウが飛来する。海浜部は庄内海浜県立自然公園、東南部は最上川県立自然公園の一部。面積602.97平方キロメートル、人口10万0273(2020)。
[中川 重]
『『酒田市史概説』全2巻(1954、1958・酒田市)』▽『『酒田市史 史料編』全8巻(1963~1978・酒田市)』▽『『酒田市史 改訂版』全4巻(1987~1995・酒田市)』
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…また江戸時代の中期以降には,中山道の板橋宿や奥州道の千住宿など江戸近郊の街道筋にも江戸への陸送米を取り扱う米問屋が発達し,彼らは陸付米穀問屋とよばれた。
[地方都市]
東北地方では,最上川河口の酒田に米問屋と陸(おか)問屋があった。米問屋は30株あったが,主として周辺諸藩の貢租米を買い入れ,これを他国よりの買船に売り渡した。…
…山形県の酒田市と鶴岡市を中心に飽海(あくみ)郡,東田川郡にわたる沖積平野。庄内の名は中世の大泉荘(庄)に属したことに因むという。…
…(2)最上川川船の運賃はいっさい幕府の負担とし,上流船の運漕独占をやめ下流船にも運漕させる。酒田港に幕領米専用の米蔵を設け,廻船に積み込むまでの費用も幕府が支弁する。(3)廻漕船には〈官幟〉をたてさせ,寄港地の入港税を免除させ,岩礁で危険な下関港には水先案内船を備え,志摩の鳥羽港口の菅島には毎夜烽火を上げ,廻船の目標とする。…
※「酒田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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