法界寺(読み)ほうかいじ

精選版 日本国語大辞典 「法界寺」の意味・読み・例文・類語

ほうかい‐じ ホフカイ‥【法界寺】

京都市伏見区日野西大道町にある真言宗醍醐派の寺。山号は東光山。一説には弘仁一三年(八二二日野家宗の創建。また一説には、日野資業が永承六年(一〇五一)薬師堂を建立し、そこに同家伝来の最澄作薬師如来像を安置したことに始まるという。開山は最澄。本尊の薬師如来像は最澄作。宝形造りの阿彌陀堂は四方の壁に天人像が描かれ、定朝式木造の阿彌陀如来座像とともに平安後期の作で、国宝。日野薬師。乳薬師。ほっかいじ

ほっかい‐じ【法界寺】

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デジタル大辞泉 「法界寺」の意味・読み・例文・類語

ほうかい‐じ〔ホフカイ‐〕【法界寺】

京都市伏見区にある真言宗醍醐派の別格本山。山号は、東光山。通称、日野薬師・ちち薬師。弘仁13年(822)日野家宗が別荘を寺としたもので、開山は最澄。永承6年(1051)に日野資業すけなりが堂宇を建立、戦国期に衰退するが、親鸞しんらん誕生の地として江戸時代に復興された。寺宝には、浄土教建築の遺構とされる阿弥陀堂(国宝)、阿弥陀如来坐像(国宝)、薬師如来立像(重文)がある。

ほっかい‐じ【法界寺】

ほうかいじ(法界寺)

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日本歴史地名大系 「法界寺」の解説

法界寺
ほうかいじ

[現在地名]伏見区日野西大道町

真言宗醍醐派、東光山と号する。本尊木造薬師如来(国指定重要文化財)は俗に日野薬師または乳薬師といわれる。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔草創〕

「叡岳要記」は日野薬師事の条に「伝教大師自造三寸像、太政大臣房前孫子左大臣内麿真楯大納言子也、北家、自慈覚大師御手、奉伝之、為本尊相続及数代、資業三品之時造大仏像、奉納御身畢、建寺号法界寺」と記し、藤原内麻呂が伝承した最澄自作の薬師如来像を、日野資業が法界寺の本尊として大像の中に納めたとして、資業を創立者とする。一方「雍州府志」は、

<資料は省略されています>

とし、日野家宗が弘仁一三年(八二二)戒壇建立の宣旨を帯びて近江比叡山に登った時、最澄より自作の七寸金銅薬師像を受けたのが本尊であるとし、家宗を創立者、資業を再興者と記している。

〔薬師堂・観音堂の建立〕

「醍醐雑事記」に山城醍醐寺と法界寺との寺領争いについて、「当寺領南堺与法界寺領北堺聊有論、五条中納言藤原邦綱買領堂敷地之故也、法界寺敷地者浄妙寺領也、日野本願資業三位始被建立件之寺之時、二町申請宇治殿、所被立也」とあり、邦綱が堂のため買収した領地は法界寺領ではないことを主張したもので、資業が浄妙じようみよう寺領の一部に堂を建立したと記す。さらには「尊卑分脈」に「号日野三位、建立日野法界寺薬師堂」とあり、資業が浄妙寺領の一部に建てた薬師堂は、同家伝来の薬師像を安置し先祖の菩提を弔うための氏寺であったことがうかがえる。以上から資業が永承六年(一〇五一)出家するに際し、同家伝来の薬師如来を安置するため、まず薬師堂を建立したと考えられる。

資業は家宗より五代の孫、有国の子で文章博士となり、「雍州府志」に記すように群書を集めて文庫を日野につくり、「法界寺文庫」の朱印を押したと伝える。現在この蔵書は遺存しない。彼は後一条天皇の侍読となり、その歌は「後撰集」にみえ、「今鏡」には鷹司家の屏風に彼の詩が数多く書かれていたことが記される。

法界寺
ほうかいじ

[現在地名]松前郡福島町字福島

福島川河口近くの右岸にある浄土宗寺院。観念山と号し、本尊阿弥陀如来。一説に寛永七年(一六三〇)草創(宝暦一一年「御巡見使応答申合書」)、「渡島国地誌提要」は同年鉄荘の開基とする。一説に鉄荘を開山に永禄七年(一五六四)創建という(「北海道志」巻一〇)。また一説には、明応年中(一四九二―一五〇一)脇本わきもと(現知内町)の館主の末裔である南条越中守広継の室(蠣崎義広の長女)が謀反を起こして斬罪に処され、のちの湯の里ゆのさと(現同上)から移転して当地にあった長泉寺に埋葬されたという。天正一三年(一五八五)折加内おりかない(福島川)から一尺五寸の阿弥陀如来が出現したのを機に長泉寺を法界寺と改号し、浄土宗になったという(享和元年「由来縁起」、「福島町史」)

法界寺
ほうかいじ

[現在地名]寿都郡寿都町字新栄町

寿都市街地の中心部、旧中歌なかうた村字山上やまのうえにある。近世のスッツ場所番屋元の地。浄土宗。周観山定善院と号する。本尊阿弥陀如来。一八五六年(安政三年)に創建、六三年(文久三年)六月に再建された地蔵堂を前身とするという(寺院沿革誌)。明治二年(一八六九)の末寺末庵住務転昇次第(有珠善光寺文書)にみえる善光寺(現伊達市)末地蔵堂がこれに相当すると考えられ、住職が同寺から派遣されていた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「法界寺」の意味・わかりやすい解説

法界寺
ほうかいじ

京都市伏見(ふしみ)区醍醐日野(だいごひの)西大道町にある真言(しんごん)宗醍醐派の別格本山。東光山(とうこうざん)と号する。通称「日野薬師(ひのやくし)」。1051年(永承6)日野資業(すけなり)の本願によって創建され、もとは天台宗であった。代々、日野一族門葉が資財をなげうって堂塔を整えたので、伽藍(がらん)の威容は荘厳美麗を極めていたが、室町末期に応仁(おうにん)の乱の兵火にかかって焼失し、現在は薬師堂(本堂、国重文)と阿弥陀(あみだ)堂(国宝)の二宇が残る。本堂は天正(てんしょう)年間(1573~92)に炎上し、現存の薬師堂は1904年(明治37)奈良県竜田の伝燈寺の灌頂(かんじょう)堂を移築した1456年(康正2)の古建築である。堂内には国重文指定の本尊薬師如来(にょらい)像(伝、伝教(でんぎょう)大師作)と、脇侍(きょうじ)の日光・月光菩薩(ぼさつ)像、十二神将像(伝、運慶(うんけい)作)を安置する。この本尊に祈願すると授乳の霊験あらたかであるといわれ、昔から多くの人々に信仰され、「乳(ちち)薬師」ともいわれてきた。阿弥陀堂は平安時代に宇治の平等院鳳凰堂(ほうおうどう)と相前後して建てられたといわれてきたが、建築、壁画などから、今日では鎌倉初期の1226年(嘉禄2)造営と推測され、定朝(じょうちょう)作と伝える丈六の阿弥陀如来坐像(ざぞう)(国宝)を安置している。また、内陣長押(なげし)上部の漆喰(しっくい)壁に描かれた飛天図など23面の壁画(国宝)は絵画史上貴重なもの。1月14日に行われる修正会(しゅしょうえ)の裸踊りは有名。

[野村全宏]

『『古寺巡礼 京都29 法界寺』(1979・淡交社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「法界寺」の意味・わかりやすい解説

法界寺 (ほうかいじ)

京都市伏見区にある真言宗醍醐派の寺。山号は東光山。日野薬師,乳薬師ともいわれる。1051年(永承6)日野資業が現地にあった山荘を寺に改め,薬師堂を建て,その堂内に,日野家伝来の最澄作と伝える薬師如来の小像を胎内に納めた薬師仏を安置したのにはじまるという。以来日野家の氏寺として一族が堂舎を造立,盛観を極めた。だが中世には幾度か炎上し,平安期の建物では平等院鳳凰堂とともに浄土教芸術の白眉とされる阿弥陀堂(国宝)が,唯一災禍を免れた。同堂の本尊阿弥陀如来座像(国宝)も定朝(じようちよう)様の丈六仏として名高い。親鸞が日野家の出身だったことから,江戸後期,宗祖生誕の地として本願寺が当寺の復興に努め,文化年間(1804-18)西本願寺文如はこの地に日野別堂を建立,真宗門徒の聖跡とした。なお年中行事として,毎年正月7日から1週間行われる修正会の結願の夜の裸踊がある。裸体でもみ合う人たちに,健康の護符として牛王宝印の札がまかれ,境内は参詣者でにぎわう。
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百科事典マイペディア 「法界寺」の意味・わかりやすい解説

法界寺【ほうかいじ】

京都市伏見区日野にある真言宗醍醐派の寺。日野薬師とも。日野家宗の創建で最澄の開創と伝え,日野氏の氏寺として伽藍が整備されたが,鎌倉期以降数度の火災で大半を焼失。定朝様の阿弥陀如来像と内陣の壁画で名高い阿弥陀堂(藤原時代)と秘仏の薬師如来像を置く薬師堂(1456年)などが残る。
→関連項目氏寺醍醐日野日野家

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「法界寺」の意味・わかりやすい解説

法界寺
ほうかいじ

京都市伏見区にある真言宗醍醐派の寺。通称は日野薬師。「ほっかいじ」とも読む。永承6 (1051) 年日野資業がその別荘の地にあった寺跡を再建したもので,境内にあったいくつかの阿弥陀堂は,鎌倉時代初期に焼失し,国宝の阿弥陀堂一宇だけが現存する。本尊の定朝式『阿弥陀如来坐像』は国宝。本堂の薬師堂は重要文化財で,康正2 (1456) 年建立の奈良県伝燈寺の本堂を 1904年に移築したもの。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「法界寺」の解説

法界寺
ほうかいじ

「ほっかいじ」とも。京都市伏見区にある真言宗醍醐派の寺。東光山と号す。通称は日野薬師・乳薬師。開創は未詳。1051年(永承6)日野資業(すけなり)がこの地に隠棲してから,日野氏の保護のもとに伽藍が整備された。現存する国宝の阿弥陀堂もその頃の建立か。応仁と天正の兵火で諸堂を焼失したが,宗祖親鸞誕生の地として本願寺の支援をうけ,江戸時代に再興された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「法界寺」の解説

法界寺
ほうかいじ

京都市伏見区日野西大道町にある真言宗の寺
「ほっかいじ」とも読む。日野薬師ともいう。1051年に日野資業 (すけなり) が別荘の中に創建。当時の伽藍 (がらん) はほとんど焼失してしまったが,残る阿弥陀堂と壁画,『阿弥陀如来像』は平安時代の浄土教芸術の代表作として著名である。

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