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野伏 のぶし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

野伏
のぶし

野臥」とも書く。南北朝時代から活動が盛んとなった農民の武装集団。最初は山野に隠れて,落武者武具などをねらったところからその名が生れたが,守護大名はこれら農民の武装集団を組織化し,戦闘の際,ゲリラ活動に利用するようになり,のちには夫役として農民に割当てたり,食料を与えて農民を大量に動員して戦闘に参加させるようになった。野伏の戦闘参加によって,戦闘形態にも変化が生じ,次第に集団戦闘が一般化するようになった。

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デジタル大辞泉の解説

の‐ぶし【野伏/野×臥】

山野に寝起きして修行する僧。山伏。
(「野武士」とも書く)中世、山野に隠れて、追いはぎや強盗などを働いた武装農民集団。のぶせり。
合戦に先だち小人数で攻撃をしかけること。
「―ヲカクル」〈日葡
定まった住居もなく野宿すること。また、その者。のぶせり。
「足腰の立たざる―の非人を語らひ」〈浮・二十不孝・四〉

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百科事典マイペディアの解説

野伏【のぶし】

野臥とも記し,元来山野に野宿すること。(1)平安時代以降,山野に伏して苦行する修験(しゅげん)者を呼ぶ。山伏(やまぶし)と同義にも用いる。(2)野武士とも記し,〈のぶせり〉ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

のぶし【野伏】

〈野臥〉とも書き〈ノブセリ〉ともいう。鎌倉末期から南北朝期に畿内・近国におこり全国に広がった,地侍や農民の武装集団。当時の有力農民は太閤検地や刀狩で兵農分離させられた近世農民と異なってかなりの武具類を保持し,勢力の大きなものは殿原(とのばら)層として領主化をめざしていた。領主にとって野伏を無視して戦いを遂行することは,南北朝以後ほとんど不可能になっていた。1333年(元弘3)1月楠木正成が摂津天王寺で宇都宮公綱(きんつな)と合戦した際には,〈和泉・河内ノ野伏共ヲ四五千人駈(かり)集テ〉(《太平記》巻六)いる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

野伏
のぶし

南北朝~室町時代の武装農民集団。「野臥」とも書き、「のぶせり」ともいう。『太平記(たいへいき)』に六波羅(ろくはら)探題北条仲時(なかとき)・時益(ときます)が近江(おうみ)で野伏に囲まれて討ち死にしたとあるように、敗軍の将兵を襲って武器などを奪う土民をいったが、守護大名や国人は農民を徴発して伏兵、追撃などに用いたので、臨時に戦闘の補助員とされた武装農民をも野伏というようになった。応仁(おうにん)の乱(1467~77)の勃発(ぼっぱつ)にあたって東軍に参加した摂津の国人池田充正(みつまさ)が、騎馬武者12騎で野伏1000人ばかりを率いて入京したのは一例である。蜂須賀小六正勝(はちすかころくまさかつ)が野伏の頭目であったというのは後世の作り話としても、戦国期に集団戦の発達につれて野伏軍(いくさ)という武装農民を用いる戦闘がますます盛んになったことは事実である。しかし太閤検地(たいこうけんち)や刀狩(かたながり)が行われて兵農分離が完成するとともに野伏は消滅した。[小川 信]

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