ドイツの大哲学者。新プラトン派の哲学、ルネサンス以来の近代思想を独自の観点から、論理学、自然哲学、精神哲学からなる三部構成の体系にまとめ上げた。
[加藤尚武 2015年4月17日]
従来「ドイツ観念論の大成者」という歴史的な規定がなされることが多かったが、近年ドイツ観念論を創始したフィヒテの系統的な研究が進むにつれて、ヘーゲルをフィヒテの継承者として規定することが困難になってきた。またシェリングの思想に、ヘーゲルによってはくみ尽くされない独自性があることも、シェリングの後期思想の研究を通じてますます明らかになってきている。それゆえ、「ドイツ観念論」という流派に包括される3人の哲学者、「フィヒテ、シェリング、ヘーゲル」の間に段階的な発展が存在するという見方は支持されなくなった。
社会的な影響関係では、ヘーゲルはカントに代表される啓蒙(けいもう)思想の限界を超えて、イギリスのアダム・スミスの影響を大きく受けるとともに、19世紀後半以後の国家主義と歴史主義の両方に道を開いていった。存在論としては、近代においてますます盛んとなってきたアトミズム、個体的な要素への還元主義を根底から批判し、現代のホーリズムに先駆けている。主観と客観を対立的に設定する二元論に対しても根本的な批判を加えた。
[加藤尚武 2015年4月17日]
ドイツ南部のシュトゥットガルトの中級官吏の家に生まれた。幼いときからラテン語を学び、優れた読書家であった。18歳でチュービンゲンの神学校に入学(1788)、最初牧師となることを志したが、のどの障害で発音が悪く、神学校の方針と対立したこともあって牧師となることを断念する。親友ヘルダーリンとともにフランス革命に共感。卒業後スイスで家庭教師となり、独自の生の哲学に基づくキリスト教批判のノートを書く。
1799年、父の遺産を得て経済的に自立し、友人シェリングを頼って、イエナ大学の私講師となる。1806年ナポレオン軍の侵入下に最初の主著『精神現象学』を完成。その間、下宿の女主人がヘーゲルの子ルートウィヒGeorg Ludwig Friedrich Hegel(1807―1831)を産む。イエナを去ってバンベルクで新聞編集者をしたのち、ニュルンベルクでギムナジウムの校長となる。1811年41歳で20歳のマリーMarie Helena Susanna von Tucher(1791―1855)と結婚、翌1812年第二の主著『論理学』を出版。
1816年ハイデルベルク大学教授となって、本格的な学問的な生涯を始めたときすでに46歳であった。翌1817年第三の主著『哲学体系』(エンチクロペディー)を公刊、その体系思想の概略を完成する。翌々1818年ベルリン大学に転じ学問と政治との軋轢(あつれき)に巻き込まれる。宮廷には保守派が構え、ヘーゲルの支持する改革派と対立していた。他方、過激なナショナリズムの立場をとる学生運動があり、その熱気のなかで1821年第四の主著『法哲学』を出す。
ヘーゲルの著作としてもっともよく読まれる『歴史哲学』『宗教哲学』『美学』はいずれも、ヘーゲルが1831年コレラで死んで以後、弟子たちが編纂(へんさん)した講義録である。
[加藤尚武 2015年4月17日]
彼の思想の原点にあるものは、ネオプラトニズムを下敷きにしたルネサンスの自然哲学とドイツの神秘主義のなかに流れる、生命的存在の一元論である。根元に存在する「一者」(プロティノス)が姿をさまざまに変容させて展開されてゆく。神が自己を啓示するとは、すなわち、根元の一者である神が己を二つに分裂させ、分裂という形で本質を現象させることだが、自己認識を達成することによってその分裂から自分を取り戻す。
この思想が近代の認識論哲学に与えたもっとも大きなインパクトは、主観と客観という対立構造の成立そのものの説明を要求したという点にある。カントやフィヒテの立場(反省哲学)が、絶対者を永遠の彼岸(ひがん)に置くという意味で悪(あ)しき観念論にとどまるのは、主観と客観の対立構造そのものが知識成立の自然的な与件であるかのように想定するからである。主観と客観の対立状態とは、知識が自分自身に対して距離をとった反省の段階であるにすぎないのに、その段階を固定的に考える点に、いわゆる「反省哲学」の特質がある。
主観と客観の対立を統一にもたらすという課題は、主観的統一と客観的統一を絶対的に統一するという形式では果たされない。主観と客観という二元論の枠組みが存在する限りでは、統一の次元をどれだけ高めても、対立が残る。対立と統一が無限背進を生み出すからである。したがって、対立を真に超えるものは、同時に対立構造そのものをも超えるものでなくてはならない。対立構造の枠組みをそのままに残したままで、対立する両者のうえにたつものを樹立すればよいというのではない。対立の枠組みそのものが見かけ倒しで、仮象であることを明らかにし、その枠を否定するのでなければならない。それが「無限性」という形式である。
自我そのものの内部にある「自己意識」の構造を考えると、そこでは「見る自分」は「見られる自分」と同一であり、同一であることを知っている。ゆえに「見る自分」と「見られる自分」との区別は、区別でありながら同一を含んでいる。この「区別ではない区別」という構造は、主観と客観の対立という構造が成り立つための不可欠の前提であるが、しかしその前提を認めればもはや主客の単純な対立は消えてしまう。すなわち主観と客観の二元論は、本当は「区別でない区別」を前提するから成り立つのであるが、しかし同時に、この無限性の関係を度外視するから成り立つのである。
曲線と直線の接点を考えると、接点という無限分割の極限点においては、曲線が直線と同一であるとともに、区別されてもいる。「区別ではない区別」という構造が極限点には成立している。極限点の成立を一つの過程として説明すると、無限に分割された点の上を移動するカーソルが、その最後の点に到達するということになる。「無限」という概念を、「どこまで行ってもまだその先がある長さ」のように考えると、無限点に到達するということはありえない。無限点は「どんなに近づいてもまだ到達していないところ」という構造をもつことになる。これをヘーゲルは「悪無限」とよんで、「真無限においては無限点への到達が達成されて、顕在化されているが(エネルゲイア)、それは区別でない区別という構造をもつ点であるために、悟性や反省のような形式的な思考方法の持ち主には受け入れられない」という立場をとった。
主観と客観の真の同一性が確立されなくてはならないというのが、シェリングの唱えた「同一哲学」の主張であった。それへのヘーゲルの回答は、根元の一者が自己を分裂させて、自己を現象させ、分裂からの統一の回復という形で同一性が達成されるが、そこには「区別でない区別」という矛盾が含まれる、というものであった。
根元一者の自己展開という存在論、対立する規定の同一性という論理学、主観と客観の対立の克服という認識論とがすべて重なり合い一つに融合しているのが、ヘーゲル哲学の特徴である。
[加藤尚武 2015年4月17日]
あるものの本性とは、そのものの他のものとの差異の集約である。食塩の本性には、しょっぱい、水溶性、白色結晶などの性質が含まれる。「しょっぱい」とは、「甘い、渋い、酸っぱい……もの」との差異を表している。このような差異は、食塩を他のものと比較するという関係であるから、差異の集約が本性になるとは、関係の集約がものに内在するということである。あるものは、他のものとの関係を身につけて(an ihm)、その関係の集約を身に体して(an sich)いる。
たとえば、私の人格とは、私が他のあらゆる人々と交際する関係の集約である。私の身体に対する私の自己決定権が認められず、私の身体を他人が売買し、私の生産物に対する私の所有権が認められず、私に自由な等価交換の機会が与えられないなら、私は奴隷であって、人格をもたない。私が「本性」として身に体して(an sich)いる「人格」とは、私が接触するあらゆる関係の集約である。
商品の価値とは、商品が流通の場で取り結ぶ関係の集約である。無数の可能的な取引の場における交換の比率が、価格に表現される商品の価値である。
ヘーゲル哲学は、人格、権利、価値、役割というような社会的な関係が個体的なものに集約されている文化形態を理解するのに、きわめて適切な方法論を準備した。その方法論は、「多様な関係が一個の個体の内に物象化される」と要約することができる。
[加藤尚武 2015年4月17日]
個別的なものの本性、個人の使命、個的商品の価値は、その取り結ぶ関係の総体からなる実体によって規定される。商品流通の場は国家に内属する市民社会であり、国家は真なる実体であって、国家を超える歴史といえども国家の実体ではない。ヘーゲルの『歴史哲学』が本来は「国家哲学」(『法哲学』)の一部分にすぎないものを、講義録として独立させたものであることからもわかるように、ヘーゲルにおいて最高の存在は国家であって、人間個人でも歴史のなかの理性でもない。
個人の生き方の問題においても、国家が生の目的であって、歴史は理性的な観照の対象であるにすぎなかった。個人は市民社会において、己の利益の自由な追求を楽しむことを許された市民である。しかしこの同じ市民が同時に国家の一員・国民でもあって、国家のために自己の生命・財産を犠牲にすることは、国家という永続する実体に自分を同化する最高の生である。「国家にとって個人は岩に打ちかかる波にすぎない」(『法哲学』)。
しかし、歴史はその国家の運命を支配する力でもある。「国家の実体は歴史である」という観点をヘーゲルの方法を用いて導き出すこともできる。「東洋では一人の者が、ギリシア・ローマでは若干の者が自由であることを知るが、しかし、われわれ(ゲルマン人)はすべての人間が即自的に自由であること、人間が人間として自由であることを知っている」。歴史とは自由の理念の不可避的な拡張の過程である。進歩と近代化に期待するすべてのインテリゲンチャにこの歴史哲学は希望を吹き込んだ。ヘーゲル哲学は「歴史を最高の実体・動的に変化する理性体」とみなすという歴史哲学と解されることによって、世界的な影響を及ぼした。これによってヘーゲルは理性中心の啓蒙主義的歴史観から、進歩の内在的な必然性という実証主義的な歴史観(たとえばマルクス主義)へ、歴史観の転換を用意することになった。
[加藤尚武 2015年4月17日]
『岩崎武雄編『世界の名著44 ヘーゲル』(1978・中央公論社)』▽『ヘーゲル著、金子武蔵訳『精神の現象学』全2冊(2002・岩波書店)』▽『細谷貞雄著『若きヘーゲルの研究』(1971・未来社)』▽『クーノ・フィッシャー著、玉井茂・磯江景孜他訳『ヘーゲルの生涯・著作と学説』全6巻(1971~1991・勁草書房)』▽『中埜肇著『ヘーゲル哲学の基本構造』(1979・以文社)』▽『加藤尚武著『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものとの交差』(1980・未来社)』▽『ドント著、花田圭介・杉山吉弘訳『ベルリンのヘーゲル』(1983・法政大学出版局)』▽『ローゼンクランツ著、中埜肇訳『ヘーゲル伝』(1983・みすず書房)』▽『藤田正勝著『若きヘーゲル』(1986・創文社)』▽『加藤尚武編『ヘーゲル読本』(1987・法政大学出版局)』
近代ドイツ最大の哲学者。ドイツ観念論を集大成したともいわれる。さらに,ドイツ観念論の限界を超えて,社会的現実における人間の学へと一歩を進め,フォイエルバハ,マルクスに大きな影響を与えた。シュトゥットガルトの中級官吏の家に生まれ,チュービンゲン神学校に入学,ヘルダーリン,シェリングと親しくする。カント,フィヒテの影響と,フランス革命への共感にもとづいて,自由主義的な神学観を抱き,聖職に就くことを断念し,哲学者となってベルリン大学教授として生涯を終える。
彼はカントの道徳宗教論を思想的な出発点にしていたが,神学校内の保守派がカント主義に転向したこと,ルソーやF.H.ヤコビの影響を受けたことから,カント批判を自己の内にはぐくんでいった。カントの厳格主義的な道徳律に依拠するかぎりでは〈罪のゆるし〉ということはありえない。しかし,イエスの宗教が愛の宗教であるといいうるのは,罪あるものへのゆるしによる。ユダヤ教の支配する時代においても,カントの道徳律の下においても,〈美しき魂〉は罪なくして生きられない。イエスその人も,安息日に麦を摘むという罪を犯す。罪とは客観的律法と主観的心情との対立の必然,すなわち運命の現れである。しかし,ゆるしはより高次の運命であって,〈愛における運命との和解〉を可能にする原理は〈生〉である。〈生〉は自分を二分してみずから主客の対立を生み,そして和解(ゆるし)をもたらす動的実体である。〈生〉という動的実体には,対立とその止揚が内在する。青年ヘーゲル最大の傑作《キリスト教の運命と精神》における〈生〉の概念に,ヘーゲル哲学全体の原型がある。1801年に移ったイェーナ大学での私講師時代に,彼は自分の基本構想に学問的な形態をととのえる。他方,急進的な自由主義は,ドイツの国家的自立と統一を求める国家主義に推移していく。シェリングと共同で《哲学批判誌》を刊行。その目的は時代のさまざまな〈非哲学の消極的性格〉を克服して,時代思想すなわち〈普遍的教養のあらゆる部分を絶対者の内へ取り入れ,あらゆる学問の真の再生への展望を哲学によって開くこと〉にあった。すなわち,時代精神のさまざまな形態は,それ自体としては絶対者の現れであるが,自分だけで絶対的だと思いこんでいる点で,絶対者に背を向けている。精神の有限な形態が,自分を有限なものとして知るという自己認識が,絶対者への道程となる。有限な知から絶対知への〈意識の経験の歩み〉を叙述するのが《精神現象学》(1807)である。イェーナがナポレオン戦争の戦火にみまわれ,大学が閉鎖されるなどの事態となり,ヘーゲルは一時,新聞の編集者となるが,やがてニュルンベルクのギムナジウムの校長となり(1808),40歳にして,20歳のマリー・フォン・トゥヘルと結婚する。体系の構想が,論理学-自然哲学-精神哲学の三部構成にほぼ定着する。そして第2の主著《論理学》(1812-16)が出される。
ヘーゲルは《論理学》でカテゴリーに関するカントの学説を超えようとする。あらゆる事物には,カテゴリーの形式が内在する。普遍は個に内在する。しかし,カントはカテゴリーを有機的に導き出すことに失敗しているばかりか,カテゴリーと事物を〈結合する〉にとどまり,その内在を〈展開する〉にいたっていない。ヘーゲルは普遍と個の総合の仕方に独自の有機体的構想を用いて,カテゴリーの体系的展開を示す(弁証法)。普遍は個に担われていながらも,個そのものではなく,個から自立している。国民一人一人は,生まれ死ぬが,国家そのものは,一つ一つの個からは自立している。個はしかし〈自己〉の本質を国家の内にもつ。普遍なしに個はない。しかし,個が支えることなしに普遍はない。この意味での〈普遍〉が,〈解消と移行における肯定的なもの〉である。例えば,人柄という本質を諸行為が現すとき,行為だけが実在すると考える唯名論的立場と,行為をはなれても人柄があると考える実念論的立場の両方が否定され,かつ総合される。
1818年ベルリン大学に赴いたヘーゲルは,そこで第3の主著《法の哲学》(1821)を発表し,自由概念と国家の結合という近代国家論の課題を果たす。人間が自由な主体であるということは,自己の身体・財産を持つ主体として,所有から自分をひきはなし,反省することによってなりたつ。〈人間は自殺することもできる〉。所有主体と所有客体の対立はしかし,他者の前において,統一されて人格となる。われわれは他人の身体に他人の存在を理解する。他者を介して総合される私の存在から,〈私の所有〉が疎外化されて,私の主体性は,所有権として権利化される。権利は人間相互の交換(譲渡)において承認される。また交換において,分業という抽象体が現実化される。分業にある個人,一定の身分を持つ個人は,抽象体であるが,共同体という普遍を介して,生存が保証される。個人と全体は有機的組織を形づくる。個人の実体は国家であり,国家は自由の理念の現実態である。ヘーゲルは,家族,市民社会,国家という人倫の3段階を区別して,国家の実体性が個人に分有され,個人に国家理念が臨在する相互媒介的・動的連関を〈理念〉と呼ぶ。理念の内実は,個人と国家との調和であるが,それをヘーゲルは〈地上における神の足跡〉と考えて,歴史における理性の内在という歴史哲学を樹立する。〈普遍者の現実化〉という概念がヘーゲル哲学の中心になる。神的なものの流出(プロティノス),父なる神の受肉(三位一体論),イデアの分有・臨在(プラトン),普遍の個における内在(普遍論争)という伝統的な諸類型に対して,ヘーゲルはつねに有機的・生動的媒介を説く。そこには,個人が自己を放棄して普遍を支えるという普遍と個との疎外による媒介,社会的関係を個体化・実体化した観念的な幻想が社会的に妥当する結果,観念性が社会的現実性の構成要素になるという物象化論による媒介という,〈普遍問題〉に対する社会的アプローチも見られ,マルクスの《資本論》に強い影響を与える。
ヘーゲル哲学は,絶対的に自立的な真理の体系的な自己展開を確立して,デカルト以来の哲学理念に完成した表現を与えた。それと同時に,近代哲学をすでに超える根本原理を提示してもいる。主客,心身,自他の根源的媒介という発想は,時代を超えて現代哲学の根本思想となっている。また,反歴史主義の性格をもつデカルト主義に対して,歴史哲学と哲学史を確立したことも,ヘーゲルの最大の功績に数えられる。社会思想としては国家から区別して〈市民社会〉の概念を確立して,マルクスに先駆している。現代ではさまざまな哲学的潮流はもとより,急進的な科学論(ファイヤアーベント,トゥールミン),キリスト教社会主義(トイニッセン),解釈学(ペゲラー,ブプナー)等もヘーゲル哲学に強い関心を示している。
→ドイツ観念論 →ヘーゲル学派
執筆者:加藤 尚武
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1770~1831
ドイツの哲学者。ドイツ観念論の完成者。絶対精神が弁証法的に自己展開していくとき,対自的に自然において自己を外化し,さらにそれを止揚して精神が真の精神として自己に還帰するとき,芸術,宗教が成立する。こうした絶対精神を学的に把握するのが哲学である。世界史は自由が実現される過程であり,ゲルマン国家において最高度に実現されるとする。市民社会の本質を,欲望の体系という経済社会に見出すが,その必然的矛盾は人倫組織としての国家で解決されるとする。主著『精神現象学』(1807年)『大論理学』(12~16年)『法の哲学』(20年)など。
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…カントの二元論的傾向を一元化する方向でカント継承を企てたものがドイツ観念論であるが,そこでは意識は構成的機能を失って,現象の背後を指示する形而上学的な概念に変貌していった。日常の意識概念から出発したヘーゲルにおいてさえ,〈意識の学〉とは〈絶対精神〉に至るまでの〈精神の現象学〉なのである。その意味では,カントの構成主義はフッサールに継承されたと言ってよい。…
…フィヒテは神ないし絶対者を神的理念と呼び,現象界をこの根本の理念の顕現ないし像と見,人間の使命はこの像の認識を介して神的理念の実現とそれへの漸近とを努力すべきであると説く。ヘーゲルは世界史を貫いて発展する神の理性ないし絶対者を理念と呼び,哲学とは理念が弁証法的に展開して自己に還帰する過程の概念的把握とみなす。一般に,理念は現実には到達されえぬが接近の努力を導く課題とされ,実現が期待される理想から区別される。…
…カントはウォルフを含めて在来の形而上学は存在者の認識の可能性を無視した独断的形而上学とし,認識の起源,範囲,権能を人間理性の自己吟味に求め,理性能力の批判的画定を予備学として,自然と道徳の両面にわたり形而上学を学として建設しようとした。客観を観想する形而上学はここに主観に基づく形而上学へと転換するが,ドイツ観念論の形而上学的諸体系はカントの拒否する知的直観を絶対者に適用し,ヘーゲルの絶対的観念論へと転化する。このヘーゲルの体系を消極哲学すなわち合理主義的本質主義と断じ,意志に対してのみ出現する個別的現実存在を原理とするシェリング晩年の積極哲学は,ショーペンハウアーとニーチェとの意志の形而上学の先駆となるとともに,19世紀後半以降の現実存在ないし実存の哲学への端緒でもある。…
… それに対して,現象の背後にそうした不可知な本体を想定することは無意味であり,本質とは現象そのもののうちに認められる可知的連関にほかならないとする考え方がある。カントの二元論を乗り越え,精神が己を外化しつつ発展してゆく過程――現象する精神――をそのまま記述し,そこに弁証法的図式を読みとろうとするヘーゲルの《精神現象学》における現象概念もそれである。一般に実証科学は現象のそうした合理的連関をとらえようとするものであるが,実証主義を徹底しようとするマッハなどは,近代物理学の基本概念の一つである因果概念でさえも物体間の力の授受という実証不可能な関係を想定する形而上学的概念だとして退け,あくまで現象相互間の関数関係の記述だけに終始しようとする〈現象学的物理学〉を提唱した。…
…マッハの提唱した〈現象学的物理学〉は,原子とか原因・結果といった形而上学的な概念を排除し,感覚的経験に与えられる運動の直接的記述から出発して,それらの記述を相互に比較しながらしだいに抽象度の高い概念を構成してゆくというしかたで,物理学理論を根本的に組みかえることを企てるものであった。一方,物理学におけるこうした用法と並行して,狭義の哲学の領域においてもこの語は,当初は形而上学の予備学としての〈仮象〉の理論を指すために使われていたが(J.H.ランバート,カント),やがてヘーゲルの《精神現象学》(1807)によって哲学史の表舞台に姿をあらわすことになる。ヘーゲルにあっては,現象学はもはや仮象の理論ではなく,感覚的経験から絶対知へと生成してゆく精神のそのつどの現れ(現象)をその必然的な順序において記述する作業を意味した。…
…ところが,カントのこのような立場の赴くところ,純粋理性の〈二律背反〉という難題に突き当たらざるをえなかった。ヘーゲルの弁証法的理性はそれを解決するために現れたともいえる。ヘーゲルでは理性に動的性格が与えられ,哲学の歴史を中心に人類のすべての歴史は,最高の理性(〈絶対知〉)の自己展開であるとされた。…
…しかし,近代国家の完成に伴う自由主義国家の成立は,こうした一元的国家観を積極的に主張する理由を失わせたといえる。 ただヘーゲルは,ドイツの後進性のゆえに,国家権力の存在理由を強く主張すべき立場にあり,市民社会に一定の意義を認めながらも,同時に国家を倫理的理念の現実態として高く評価した。ヘーゲル的立場は,工業化の進展に伴う社会問題の拡大と帝国主義の成立に伴う国際緊張の増大に伴って,国家権力の積極的意義が評価されはじめるとともに,ドイツ以外の国でも注目されるようになった。…
…ヘルダーは,民族的な精神文化,とくに民俗的,地方的な言語や詩に深い関心を寄せるとともに,人類史を人間精神の完成に向かう普遍的歴史としてとらえる考え方を提示し,〈もろもろの時代の精神〉を示す〈諸民族の精神〉,〈諸民族の天才〉などの概念を用いた。さらに,ヘーゲルは,〈民族精神〉(近代国民国家の形成にともない〈国民精神〉ともなる)を,人類史(世界史)の発展の諸段階における普遍的な〈世界精神Weltgeist〉の顕現と考え,民族精神の歴史的,時代制約的性格を明確にした。こうして,普遍的な人間精神が特殊的,歴史的現実に具現するところに,ある時代の精神=文化の特徴を表す時代精神の存在をみる見方が確立される。…
…こうして,倫理的実践によって人間の自由が〈人間性〉の完成として実現する〈理性の王国〉が,人間の実践の目的とされたが,それは歴史的実践(進歩)によって遠い未来に到達されるはずのものであった。そこでヘーゲルは,カントの理論理性と実践理性の二分法を排して,理性が理論的であると同時に実践的であり(弁証法),理性の自己運動と実践的自己実現の過程(歴史)が現実世界だと考えた。そこから,労働から倫理的・政治的行為にいたる実践を社会(共同体,市民社会,国家)として世界史の発展過程のうちにとらえる見方が生まれた。…
…これに対して,イギリスの名誉革命やフランス大革命のような政治的近代化の革命がなく産業革命もおくれたドイツでは,啓蒙主義がイギリスやフランスにおけるようなかたちでは発展せず,したがって政治や経済についての合理的思惟としての社会科学の形成も,イギリスやフランスのようなかたちではなされなかった。ドイツにおける啓蒙思想の影響というと,ヒュームの形而上学否定の警告によって思弁的独断の夢をさまされたと述べたカントの有名な《プロレゴメナ》の序言がただちに思い出されるが,しかしカントはけっしてヒュームのこの警告を受け入れたのではなく,逆に形而上学を啓蒙主義者の侮蔑から救い出すことに全力をあげ,そうすることによってフィヒテ,シェリングを経てヘーゲルにいたる〈ドイツ観念論〉への道を開いた。ヘーゲルの《法哲学綱要》は,ロックの《統治二論》やスミスの《道徳感情論》が実証主義社会科学の系譜において占める位置を,理念主義社会科学の系譜において占めるものと解釈することができよう。…
…こうしてカント以降,経験相互の整合性,命題相互の整合性を真理と見る整合説的真理観が生まれてきた。〈全体が真理である〉と説くヘーゲルの真理概念も,弁証法的に統合されたあらゆる経験の整合的全体を究極的真理と見るわけであるから,やはり整合説に属すると考えてよい。 しかし,今日では述定判断の真理性の根拠を追求し,それが前述定的経験の明証性に基礎を置くと見るフッサールやハイデッガーのような考え方もある。…
…実体としての精神の解体は,ロックやヒュームらイギリス経験論の哲学者によって果たされたが,それに次いで今度は能動的活動の主体としての精神の概念が確立される。カントにおける実践の主体としての理性の概念,フィヒテにおける根源的活動性としての自我の概念,ヘーゲルにおけるおのれを外化し客観化しつつ生成してゆく精神の概念などにそれが見られよう。フランスにおいても,意識を努力と見るメーヌ・ド・ビラン,精神を目的志向的な欲求や働きと見るラベソン・モリアン,意識を純粋持続として,純粋記憶として,さらには〈生の躍動(エラン・ビタール)〉の展開のなかでとらえようとするベルグソンらの唯心論の伝統があるが,ここにも同じような傾向が認められる。…
…1807年刊のヘーゲルの主著の一つ。感覚という意識のもっとも低次の段階から,経験を通じて,精神が〈絶対知〉に達する過程を描く。…
…18世紀の啓蒙思想は神学からはなれて,人類や人間性の同一,その発展を信じてアジアからアメリカまで視野にとりこみ,ボルテールは一般史,チュルゴは普遍史,ヘルダーは人類史という名称を用い,理念的傾向が強かったとしても,世界史の本格的成立の基礎をつくった。ドイツ観念論哲学のなかでは,ヘーゲルは世界史は精神が自己の本質を知ろうとする表現で,精神の本性たる自由の発展を内容とすると考え,人間の自由という点からアジア世界,ギリシア世界,ローマ世界,ゲルマン世界をとりあげ,理念から歴史現実へ下降していった。 19世紀初めフランス革命とその後のナポレオン時代における普遍主義に対する反動として個別化の傾向や民族意識が強まると,歴史の方法も実証性を重んじるようになり,ランケはヘーゲルの世界史の哲学に対して〈世界史学〉を主張し,個別的事実のなかに普遍への道があるという経験的立場から,ヘーゲルのように精神,普遍から個別具体的なものに下降するのは観念論哲学の方法であると批判した。…
…彼はまた最高善を道徳性と幸福との統合を表す理念とみなした。ヘーゲルは道徳的善を,主観的意志として現存すると同時に行為によって現実性を得るある生動的な善として把握した。そのさい行為は人倫性を基礎とし目的として行われるとされ,そして人倫性は人倫的な社会的諸関係の必然的発展として把握された。…
…哲学用語としては,sich(selbst) eines Dinges(またはeinem Dinge) entfremdenのように,再帰的に用いられる。この再帰用法を名詞化すると〈自己疎外Selbstentfremdung〉となるが,ヘーゲルにこの〈自己疎外〉という名詞形の語法はない。古くから離反Entfremdung,断念・譲渡Entäusserungの意で日常語として用いられ,またラテン語のalienatio(譲渡)の訳語としても用いられ,〈神からの人間の離反〉という意味で神学上の用語ともなったが,哲学的にはフィヒテが用いて以後,ヘーゲルの《精神現象学》で重要な術語として確立され,マルクスの《経済学・哲学草稿》の中心概念となる。…
…
[〈哲学史〉のとらえ直し]
従来の哲学史では,哲学は古代ギリシアに始まり,中世封建社会の哲学を経て,近代市民社会の哲学へと一直線に進歩発展してきたかのごとく叙述するのが,学界でも思想界でも定説とされ常識とされてきた。しかしながらこのような叙述方式の基本的な枠組みは,19世紀初頭のヘーゲルの哲学史講義を出発点とし,19世紀中葉以降から20世紀にかけてしだいに整備され定式化された叙述方式によるものである。それは今日から見れば,19世紀西欧市民社会ならびにその哲学の自己主張に基づく,自己中心的な叙述方式であったといわなくてはならない。…
…カント以後,19世紀半ばまでのドイツ哲学の主流となった思想。フィヒテ,シェリング,ヘーゲルによって代表される。彼らはカントの思想における感性界と英知界,自然と自由,実在と観念の二元論を,自我を中心とする一元論に統一して,一種の形而上学的な体系を樹立しようとした。…
…また,トマス・アクイナスをはじめとする中世のスコラ哲学の思考においては,超越者たる神の同一性は,神ならざる被造物の同一性とは質的に区別されたものであり,後者を出発点とした類比的な〈アナロギア〉の道にしたがう思考によって達せられるべきものである,というように考えられている。 また絶対者を主観と客観のトータルな無差別と見るシェリングの同一哲学や,同一律を絶対的真理とし,宇宙の根本原理としての〈自我〉に関係させるフィヒテの哲学を批判し,根源の同一性は〈同一性と非同一性の同一性〉でなければならぬと論じたヘーゲルの考えも,前述の二つの位相をそれぞれに生かしながら媒介結合する論理を求めるところから発想されたものにほかならない。ヘーゲルにおける〈弁証法〉もまた,プラトンのそれと同じく,絶対者とわれわれの住む世界を媒介する論理を求めるところにすくなくともその成立の動機の一つをもっていることに留意すべきであろう。…
…ドイツのバウムガルテンは合理主義哲学の伝統をひく哲学者だが,彼は従来の哲学体系には下位の認識能力たる感性的認識(上位は理性的認識)についての考察が欠けていたとし,感覚,感性,感覚的知覚をあらわすギリシア語aisthēsisに由来するラテン語aesthetica(ドイツ語化すればÄsthetik)を〈感性的認識の学〉と規定した。ここに生じた形容詞ästhetisch(美的)とは感性による直感的感受の契機と精神による英知的透見の契機とを併せもつ概念であるが,この新概念の豊かさのもとに後輩カントは感覚的,生理的な快と異なる美の普遍妥当性を説き,ついでヘーゲルは壮大な芸術哲学を築いて,美学は美および芸術の原理学としての位置を確立した。バウムガルテンは2巻の大著《美学Aesthetica》(1750,58)をあらわすが,この時期こそは美学史上の明確な里程標である。…
…ドイツのヘーゲル左派を代表する哲学者。人間学の観点から,ヘーゲルの神学を批判した。…
…古代末期から中世を通じては,アリストテレス流の区別的語法が消え,弁証法は,論理学一般の同義語とされるようになっていた。
[カント,ヘーゲル]
近代も18世紀になって,カントが再び論理学一般と弁証法とを区別した。カントの場合,Dialektikとは,悟性論理を超経験的な物自体界にまで推及しようとする,人間理性にとって必然的ではあるが所詮は〈仮象の論理学〉にすぎないものとされる(カントの場合,Dialektikは〈弁証論〉と訳される)。…
…ヘーゲルの主著の一つ。1821年刊。…
…これは或る限定的な無(ギリシア語でいえば,ouk onではなくてmē on)を媒介として概念を根源的に生産する判断であり,S ist non‐P(SはPでないものである)という無限判断の形で表現されて,SとPとの概念共同態がSという概念の根源として先取されることを提示する。ヘーゲルの論理学では,存在と無はいずれも純粋な抽象態であって内容的には一つであり,弁証法の原理に従って存在は無に転換し,両者は生成として総合される。 総じて無の概念をヨーロッパ思想に導入したのは,むしろユダヤ・キリスト教的な宇宙論における,〈無からの創造creatio ex nihilo〉という教説であった。…
…後者は〈論証的推論ratiocinatio〉を派生する点でアリストテレスの〈分別知〉ないし古代の〈論証力logistikon〉の系譜に属し,かつ近代の論理的・論証的な〈理性reason〉の先駆となる。広義の理性は〈直覚知〉〈知性〉の系統と〈分別知〉〈論証的理性〉の系統とを含むが,双方の区別と連関との明示はカントとヘーゲルの出現を待たねばならなかった。 ドイツ語の〈理性Vernunft〉と〈悟性Verstand〉とは古高ドイツ語にさかのぼる。…
…(1)一種の普遍史として 世界の歴史の個々の局面ではなく,その全体の展開を包括的に展望しようとする認識的態度。それはすなわち人類の普遍史であり,たとえばヘーゲルの晩年の講義〈世界歴史の哲学〉をその重要な実例とみなすことができる。この包括的展望は,なんらかの形で,壮大な全体的過程において実現され理解される人間的意義の認識をも含んでおり,そのかぎりではアウグスティヌスをはじめとするキリスト教神学の伝統を継承するとも考えられる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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