翻訳|sovereignty
漢籍では、もともと「君主の権力」という意味であったが、一九世紀に中国に渡った宣教師が西洋文明を紹介する漢訳書において国家の権力という近代的な意味に転用した。この影響で、日本でもおもに①の意で用いられた。
国家がもつとされる最高権力。国家はこの権力をもつことによって、対内的には国民に対して国の法律また国の命令や決定に服従することを要求でき、対外的には国家の独立性を主張し外国からの干渉を排除できる。
[田中 浩]
ところで、現代国家における主権は、国民が構成したものであるから(国民主権、主権在民)、主権の行使を委託された国家機関(議会や政府など)は、法律の制定や行政、外交に際しては、国民の権利、自由の保障や生活の安定にとくに留意しなければならない。このように、主権はそれを構成した国民のために用いる権力という意味において最高、絶対、唯一の権力とされているのであり、したがって、この主権を、外国勢力や私的な利益集団などに分割したり譲渡したりはできないのである(不可分、不譲渡)。主権が、古くから領土、国民とともに近代国家存立に必要な3要素の一つに数えられているのはこのためである。では、こうした主権概念は、いつごろからどのような目的をもって登場してきたのであろうか。
[田中 浩]
主権概念は、15、16世紀ごろの西ヨーロッパにおいて、絶対君主が支配するいくつかの領域国家(フランス、スペイン、ポルトガル、イギリスなど)が形成されてくるなかで登場した。絶対君主は、この概念を用いることによって、対外的にはローマ教皇あるいはジュネーブ(カルバン主義)からの宗教的干渉を排除し、対内的には、貴族層、身分制議会、教会、ギルドなどのもつ封建的諸権力の上位に君権を置くことによって政治的・経済的統合を達成しようとした。この意味で、主権概念は、どこの国においてもまずは君主主権論という形をとって出発したといえよう。こうした主権概念は、マキャベッリの政治思想のなかにもみられるが、それを最初に定式化したのは、『国家論』6巻(1576)を著したフランスのジャン・ボーダン(1529/30―96)であった。ここでボーダンは、主権とは「一国における絶対的、恒久的権力」であると規定し、ただし主権をもつ君主といえども神法や自然法の下にあり、臣民の所有権は侵害できないとしながらも、君主は法に拘束されないとして君権の絶対性を主張している。そして彼は、主権の内容としては、立法権、課税権、官吏任免権、宣戦講和の権、貨幣鋳造権、恩赦権などをあげているが、これらの権限は、国民主権主義にたつ現代国家においては、国会(議会)が掌握していることに注意すべきである。したがって、近代民主主義の歩みとは、かつて君主がもっていた諸権限を、国民や議会の側に奪い取った歴史である、ということもできよう。
ところで、君主が絶対権力をもつという根拠として当時もっとも普通に用いられていた理論は、「王権神授説」(神権説)であった。ボシュエやフィルマーたちは、君主の権力は神から授けられたものであり、人民の同意・契約に基づくものではないから、人民は君主の命令に絶対的に服従すべきである(ノン・レジスタンス)と主張した。だが、このような君主主権論は、17、18世紀の市民革命期に登場した「社会契約説」によって、国民主権論に転換させられた。すなわち、ホッブズ、ロック、ルソーらは、人々は、その生命、自由、財産を守るために平和な政治社会(国家)の確立を目ざすことに同意した、と述べ、国民主権論を基礎づけたのである。そして、この社会契約論は、全国民の利益を守るための共通権力を形成(力の合成)することを勧め、この共通権力のなかから代表=主権者が選出されたときに政治社会(国家)が成立した、という。そしてこの代表は、全国民の利益を図る法律を制定し、他方、代表を選んだ国民はこの法律に従うべきだ、としている。したがって、社会契約論は、「人民の、人民による、人民のための政治」という民主政治論や、国民(人民)主権論、「法の支配」、「平和主義」の原型をなす理論であった、といえよう。
[田中 浩]
しかし、イギリス、アメリカ、フランスと異なり、近代国家の形成が遅れたドイツや日本のような国々では、国家主導による富国強兵策がとられたから、ここでは国民の権利、自由の保障を最優先すべしとする社会契約的国民主権論は順調に育成されず、かえって抑圧された。たとえば、19世紀ドイツにおいては、もはや旧型の絶対主権論は主張できなかったものの、さりとて国民(人民)主権論を主張できる政治的条件もなかったから、国家に主権があるとする国家主権論や、国家は一種の法人で君主はその機関だとする国家法人説などが唱えられた。しかし、当時のドイツでは実際に国家権力を掌握していたのは君主と彼を取り巻く官僚集団であったから、国家主権論とか国家法人説といってみても、現実にはそこでの政治は君主主権論に近かった。また日本では、大日本帝国憲法によって天皇主権主義が確認されていたが、大正末年から昭和初年にかけて政党政治が一時期実現されるなかで、美濃部(みのべ)達吉らによって国家法人説の日本版としての天皇機関説が唱えられた。しかし、この学説は、昭和ファシズム期に国体明徴運動が推進されるなかで圧殺されてしまった。そして、日本では、敗戦後、日本国憲法が制定されたことによって、ようやく国民主権主義が確立され、それに基づいて、基本的人権の尊重、平和主義を基本とする民主的な政治制度が構築された。
[田中 浩]
こうして、現代国家のほとんどは、国民主権の原則をとる民主国家に転換したが、国家や政府が主権を僭称(せんしょう)することによって、国内的、国際的に検討されるべき問題がいくつか残されている。
19世紀末以来、諸国家は、山積する社会・労働・経済問題を解決し、またますます激化する国家間の競争に勝利するために軍備拡大を図り、それによって国家や政府の権力は著しく強大化した。このため、本来、個人の権利や自由を守るために政治社会(国家)を設立し、主権=最高権力の行使を委託したと考えられていたにもかかわらず、現代国家が、国家利益を実現するために、国家権力の個人自由に対する優越を主張し、それによって人権を侵害するという状況が数多くみられるようになった。そこで、1920、30年代のイギリスでは、ラスキらによって、国家は国家であるという理由だけで絶対権力を主張し行使すべきではなく、国家もまた国民が現実に生活している基盤であるさまざまな社会集団(学校、教会、企業、組合、文化団体)と同じ社会集団の一種であること、したがって、国民の国家に対する忠誠の度合いは、国家が国民に対してどれほどのことをしてくれたかによって定まる、という多元的国家論が唱えられた。この多元的国家論は、社会契約説の現代版と考えることができ、今日における民主的主権論の重要な理論モデルとすることができよう。
次に、主権論の国際政治上の問題点であるが、現在、この地球上には、200か国近い主権国家が共存している。これらの国家は相互に他国の主権を尊重し、侵略・攻撃行為などは今日では国際世論上きわめてできにくくなっている。世界的規模での国際平和組織である国際連合の存在、旧植民地から独立した多数の国々が非同盟中立主義を掲げていること、究極兵器の出現によって大国間の戦争は事実上人類の破滅を招来する状況が出現したことなどが、各国による主権の発動としての戦争行為を抑制していることは否定できない。しかし、国家が主権国家という性格をもつ限り完全な国際平和を確立できる保障はない。とするならば、この地球上に、一つの共通権力を設け、各国が主権を放棄し、共通権力の下に行動するという「地球(世界)契約説」に基づく世界政府の設立にまで進む以外に真の国際平和は確立されないのではないか、と思われる。
[田中 浩]
国家主権ともいう。国際法上の主権とは、簡単にいえば最高独立の権力ないし意思をいう。ここに最高とは、国家の対内的側面に関し、独立とは対外的側面に関する。いずれの側面でも国家が他国からの干渉を排して独自の意思決定を行う権利が主権である。
対内的側面は、空間的見地から領土主権という形で現れる。領土主権はまず領土に対する領有および処分権を意味する。また、国家が他国の干渉なしに領域内の人または物に対して行使する最高かつ排他的な統治権を含む。したがって、一国は他国の同意なしに他国の領域において権力を行使することはできない。
一方、国家は国籍のきずなを通して自国民に対し所在のいかんを問わず対人主権を行使する。すなわち、在外国民に対しても、家事(結婚、遺言の条件)、課税、兵役、刑罰などにつき法律を制定し、その適用を期するので、在留国の領土主権との抵触、調整の問題が出てくる。この場合、兵役義務の強制のように対人主権が領土主権に優越することもあるが、一般には在留国の領土主権が優位する。したがって、対人主権といっても最高性、排他性には限界がある。
国内問題不干渉の義務(原則)も国家主権の一側面とかかわる。これは国家の裁量権を事項的側面からみたものである。国家は国際法によって規律されずに自国の管轄権内にある事項を自由に処理する権利を有し、他国はこのような事項に干渉しない義務を有する。このような事項は対内事項と対外事項を含む。
上の対外的側面は独立権ともいい、国家が対外事項を独自の意思で決定しうる権利のことである。伝統的に、使節を派遣し、条約を締結し、戦争を行う権利が対外主権の主たる属性とされた。
しかし、このような主権は、国際法の枠内で最高独立であるにすぎない。19世紀後半のドイツにおいて、ヘーゲル流の国家観の影響の下に、国家は最高の秩序であるがゆえに自己の上に法秩序の存在を認めず、国際法は国家の意思に基づいて成立するものであるから、またその意思に基づいて国際法を変革しうるとなし、結局、国際法を対外的国内法であるとする絶対主権が唱えられたことはあったが、一般に認められなかった。
主権概念は元来論争的概念として提起され、時代の節目において支配勢力に対する抵抗の武器として機能してきた。主権理論を最初に基礎づけたのはジャン・ボーダンの『国家論』6巻(1576)とされるが、彼がそこにおいて神法および自然法による拘束を認めたうえで、「主権とは国家の絶対にして永続的な権力」と述べたときには、上は神聖ローマ皇帝とローマ教皇、下は諸侯や宗教的異端者に対抗しつつ、権力を国王に集中させることにねらいがあった。
ボーダンが絶対王制のイデオローグであったとすれば、エメール・ド・バッテル(1714―67)は国民国家のイデオローグであった。バッテルは主著『国際法』(1758)において、国家が自然国際法および実定国際法に拘束されることは認めつつ、「他国に従属することなく自ら統治する国民は主権国」であるとなし、絶対主義に対抗する国民主権論を展開することでフランス革命やアメリカ独立に多大の影響を与えた。国民主権は19世紀に入ると民族自決と結び付き、民族の分離独立ないし国家統一の理念的基礎を提供するが、国民意識の高揚に伴い、やがて自己目的化して絶対主権に転化し、帝国主義段階における国家の膨張政策を正当化する役割を果たした。第一次世界大戦後、国際連盟の成立を背景とした国際主義的風潮の台頭とともに、国家の意思に基礎を置く従来の主権理論に対し、国家意思を超えた客観的法秩序を想定し、そこから国家主権を否認する学説がハンス・ケルゼン(1881―1973)やジョルジュ・セル(1878―1961)によって唱えられたが、現実には国際連合は「加盟国の主権平等を基礎として」組織されているとおり(国連憲章2条1項)、国家主権は今日に至るまでなお息づいている。第二次大戦後は社会主義国の資本主義国に対するか、あるいは発展途上国の先進国に対する闘争の武器として機能してきた。そして途上国は従来の政治的主権を超えて、経済的主権を擁護し、その主権の名において南北の格差是正を要求している。もっとも、冷戦後は旧社会主義国については状況が変化している。
しかし、国際社会の組織化とともに、国際組織の関連で国家主権の制限がいわれるようになっていることも否定できない。たとえば、国連において安全保障理事会の一定の「決定」(国連憲章第7章の強制措置の決定を含む)は全加盟国を拘束する。常任理事国は拒否権の行使によって国家主権を貫徹することができるが、逆に条件(拒否権)付き多数決により決定が行われるならば、加盟国は自らの意に反しても拘束されるのである。ただ、サンフランシスコ制憲会議での了解により脱退の余地が残されているので、主権の制限は絶対的なものではない。
[内田久司]
近代国家の基本的構成要素として,それに帰属させられてきた最高権力の概念。フランスの法学者J.ボーダンがその《国家論》(1576)において最初に用いたとされる。〈主権とは国家の絶対的かつ永続的権力である〉という彼の定義が示すように,主権は中世ヨーロッパの秩序を打ち破って領域国家を形成した絶対王政の自己主張として,多分に論争的な概念であった。すなわち,対外的には神聖ローマ帝国皇帝やとくにローマ教皇の普遍的権威に対抗する自立性の主張であるとともに,対内的には領域内の身分的,地域的,言語的,宗教的差異にかかわらぬ超越性の主張であった。後者を端的に示すのが,ボーダンが主権の属性としてまず〈他人の同意を得ることなく,すべての人々または個人に法を与える〉立法権をあげていることであり,それは治者と被治者とをともに拘束する法,その法にもとづく共同体としての国家に代わって,法を主権者の命令とし,国家を君主の一方的な支配対象とするものであった。一方,前者を指示するのは彼が第2にあげた戦争と平和との権限であって,中世的な普遍的権威による正しい戦争の観念を打ち破って,戦争と平和とを君主の利害判断のみにかかわらせることによって,主権をいわば戦争する権利としたのである。その発動は国力によって実質的には拘束を受けるにしても,法的にはひとしく君主の自由である点で,近代国際法における主権平等の原則が生まれたのである。他国の領域内では公権力の行使をさしひかえる主権不可侵の原則はここに由来し,その相互承認のうえに,近代における主権国家とその間の国際関係とが成立したのである。そして,この両面にわたる手段は軍事警察の暴力の集中独占であった。
このように元来絶対君主の領域内における排他的な支配を正当化した主権の観念は,国家を実力による支配対象から,被治者の合意による共同社会へと組み替えようとする思想と運動とによって逆転されて,ついにルソーにおける人民主権の主張と,フランス革命によるその確認にいたる。人民主権の観念は近代国家の民主化に道を開くものであったが,君主という自然人から人民という集合的人格にその主体がおきかえられながら,しかも主権概念自体は維持されたことは重要である。第1に,人民主権は経験的には何らかの意味での機構化なしには作動しえないが,それは通常代議制による立法権の優位に落ち着いた。第2に,近代革命の今一つの目標であった人権の保障とは,主権の限界,あるいは主権への参加によって両立するものとされた。第3に,いかなる民主化も主権国家を自明の枠組みとして前提するものとなった。
もちろん,このような組替えは,各国の歴史的事情によって態様を異にし,伝統的な議会制度が役割を果たしたイギリスにおいては,議会主権の形をとり,議会そのものの民主化の要求とともに国民の政治的主権と議会の法律的主権という説明がされるようになった。一方,君主の権力の強大なドイツ諸邦では,立憲制の進展とともに,人権の保障を主権の自己制限として説明し,あるいは主権を共同社会ないし擬制人としての国家そのものに帰属させて,君主をその機関とする学説(国家法人説)も現れた。自由民権運動に対抗して欽定憲法をつくった明治国家においては,天皇主権は国体という宗教的観念に支持されてまことに強固であった。第1次世界大戦後の世界的な民主化の気運のなかで政党政治をめざす運動が民本主義を名乗り,国家法人説が憲法解釈に導入されたが,それが国体明徴の名の下に天皇機関説として葬られ,国民主権の原理が確認されたのは,敗戦後日本国憲法の制定過程においてにすぎない。
一方,ヨーロッパ諸国における民主化の進展,ことに労働運動の発展に伴う国家の枠内における多様な集団の存在の確認は,伝統的な主権概念に対する理論的批判,団体の固有性,したがって主権性を主張する学説(多元的国家論)を生み出した。この批判は必ずしも国家主権の暴力的契機に及ぶものではなかったが,戦争をする権利としての主権を制限する努力も,第1次大戦の惨禍への反省に支えられて不戦条約(1928)を生んだ。第2次大戦の惨禍と何にもまして核兵器の出現・発達とは,戦争をする権利としての主権概念の危険性を明らかにするとともに,国際的相互依存関係の進展は主権国家の枠組みを確実に過去のものにしつつある。
けれども,自国の安全を軍事力に求める習性はなお強く先進諸国を支配しているばかりでなく,人類の多数が第2次大戦後ようやく植民地状態から解放された歴史的事情から,それ自体独立を意味する主権観念への執着は,新興諸国においてことに強いのが現実である。そうであればこそ,そもそも主権国家の枠組みを含めて主権概念の根本的な見直しを,人類は迫られているのである。
→基本的人権 →国民主権 →国家
執筆者:福田 歓一
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…国民主権とは,主権が君主や議会にではなく,国民にあるとする近代の憲法原理であり,〈主権在民〉とよばれることもある。しかし,その具体的な意味内容については,時代や立場によって考え方や理解のしかたが大きく異なっている。…
…議員と選出母体の関係は,私法上の委任に基づく代理の制度にならって考えられていたのである。しかし,身分制議会は,一般意思を最終的に決定できる地位にはなく,主権者たる国王の諮問機関にすぎなかったので,近代的意味での国民代表府ではなかった。
[国民主権から人民主権へ]
議会が国民代表府として一般意思を決定するという考え方は,近代市民革命のなかで憲法に取り入れられた。…
…かくて絶対主義ののちにくるものは,一体感をもった被支配者がみずからを支配者の位置に置くことであった。ここに,絶対主義の時代に成立した主権の概念は,君主主権から国民主権へと転換し,文字どおり近代国民国家が形成される。絶対主義国家も少なくともその版図においてはすでに国民国家であった。…
…独立権は,国家の基本権の一つとしてあげられることもあるが,近年は,これを一つの権利とせず,主権の一側面として把握する傾向が顕著である。すなわち,主権概念には二つの側面が含まれる。…
…彼は《歴史を容易に理解するための方法Methodus ad facilem historiarum cognitionem》(1566)においてみずからの学問の構想を述べているが,それは政治学,法学,倫理学に限らず,自然学,神学に及ぶ一大体系を志すものであった。《国家論Les six livres de la république》(1576)は主権という新しい概念を取り込んで国家論を展開したものとして,政治学,法学の古典となっている。それは宗教戦争によって解体にしたフランスの現状をぬきにしては考えられない作品でもあった。…
※「主権」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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