1960年代以降フランスで生まれた現代思想の一潮流。フランスの人類学者レビ・ストロースは,ソシュールに始まり,イェルムスレウらのコペンハーゲン学派やヤコブソンらのプラハ言語学派において展開された構造言語学や,数学,情報理論などに学びつつ,未開社会の親族組織や神話の研究に〈構造論〉的方法を導入して,構造人類学を唱えた。やがて1962年に公刊した《野生の思考》は,これまで非合理的なものとされていた未開人の〈神話的思考〉が,決して近代西欧の〈科学的思考〉に劣るものではなく,象徴性の強い〈感性的表現による世界の組織化と活用〉にもとづく〈具体の科学〉であり,〈効率を高めるために栽培種化された思考とは異なる野生の思考〉であることを明らかにして,近代西欧の理性中心主義のものの見方に根底的な批判を加えた。それは大きな知的反響を呼びおこし,《エスプリ》誌の〈野生の思考と構造主義〉の特集(1963)をはじめ,多くの雑誌がレビ・ストロースと構造主義を論じて,〈構造主義〉の時代の幕明けとなった。このような論議の高まるなかで,フーコーが《言葉と物》(1966)を,アルチュセールが《資本論を読む》《甦るマルクス》(ともに1965)を,ラカンが《エクリ》(1966)を,R.バルトが《モードの体系》(1967)を世に問い,その他文学批評の分野でも構造分析が行われ,いずれも何らかの形で〈構造〉ないし〈システム〉を鍵概念として近代西欧の観念体系を批判吟味する新しい構造論的探求を展開した。そして〈構造主義〉は,それまでの20世紀思想の主潮流であった〈実存主義〉や〈マルクス主義〉をのりこえようとする多様な試みの共通の符牒となった。
構造主義の鍵概念である〈構造〉ないしは〈システム(体系)〉という概念は,古くからある概念であり,多義的な概念である。それは,一般的に,〈個々の部分としての諸要素の単なる総和ではなく,それらが密接にかかわりあっている全体であり,一つの要素の変化が直ちに他の諸要素および全体に変化をひきおこすような統合的な諸関係の総体〉と規定される。しかし,構造主義における構造概念の重要な点は,構造を,事物の自然的・具体的な関係ではなく,むしろ事物がそれによって他から区別されて(差異によって)出現する関係の体系であり,それは人間の歴史的・社会的実践において無意識のうちに事実的に形成されると考える点である。これは,言語をめぐってソシュールをはじめ構造言語学者が明確にした構造(体系)概念であった。そこでレビ・ストロースは,〈言語学はわれわれに,弁証法的で全体化性をもつが意識や意志の外(もしくは下)にある存在を見せてくれる。非反省的全体化である言語は,独自の原理をもっていて人間が知らぬ人間的理性である〉(《野生の思考》)と考え,経験的事象としての〈社会関係〉と〈人間が知らぬ人間的理性〉すなわち無意識的な文化(人為)の規則性としての〈社会構造〉とを区別し,社会的事象を〈象徴(シンボル)〉のコミュニケーションのシステム(構造)としてとらえる構造論的探求を展開した。このような考え方の基礎には,言葉ないし観念(主観)を物(客観)を引き写して代理表現するもの(ルプレザンタシオン=表象)とみる近代哲学の〈主観-客観〉原理をくつがえして,その理性主義を根底から批判する新しい哲学的立場がある。
それを明確にしたのがフーコーである。彼は近代西欧の人間諸科学の成立の歴史のうちに,それらを一定の型の認識のしかたとして出現させた〈認識論的台座(エピステーメー)〉を探り出し,そうすることで近代理性主義によっては思考されない無意識的領野(実定性の領域)を画定し,これを〈言説(ディスクール)実践のシステム〉として解明した。それは,近代哲学が前提する個人の表現活動や超越的主観の理性活動とは異なる〈匿名的で歴史的で時空的に決定されてある〉もので,人間が世界について語り出すさまざまなしかた(言説編成)の諸規則の総体であり,世界はこの〈意識〉とも〈客観的実在〉ともちがう〈言説システム〉において姿を現すのである。フーコーは,近代的思考との認識論的断絶を明確にするこの新しい探求を〈知の考古学〉と呼んだ。
このようなフーコーの見方では,多様な言説システムに応じて多様な世界の相互連関システムがあり,したがって人間にとってただ一つの普遍的な世界史というものはなく,またそれを精神(理念)や人間性などの開花完成に向かって進歩発展するものと考える近代の目的論的発展史観は廃棄される。アルチュセールも,目的論的発展史観の上に解釈されていた旧来のマルクス主義(唯物史観)を批判して,マルクス思想を,社会と歴史を経済的,政治的,イデオロギー的生産の諸構造の〈重層的決定〉の力動的なシステムととらえる新しい〈歴史の科学〉を創出したものととらえ直し,構造論的な科学認識論を展開して大きな影響を与えた。このような歴史観の転換は,レビ・ストロースの〈冷たい社会〉の〈停滞的歴史〉(例えば未開社会のような)と〈熱い社会〉の〈累積的歴史〉(例えば近代西欧社会のような)の差異は相対的で,人類の諸社会とその歴史は,それぞれに独自の意味と価値をもつという考え方とともに,これまでの西欧中心的な歴史観を決定的に突き崩した。
こうして,〈構造主義〉として一括されたさまざまな試みは,人間の営み(認識,経験,労働・生産,社会,歴史等々)をとらえる中心を,旧来の主観的意識から無意識的実践の構造へと〈脱中心化〉して近代西欧の観念体系を批判したが,それはその集約的基盤であった主体的な〈人間〉という観念を根底的に廃棄することであった。フーコーは,人々が自明のこととしている〈人間〉が,16世紀以降の西欧文化がつくり出した形象にすぎず,新しい知の下では〈人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するだろう〉(《言葉と物》)と語って,人間諸科学の変革を説いたし,レビ・ストロースは,〈人間諸科学の究極目的は,人間を構成することではなく人間を溶解することだ〉(《野生の思考》)と論じて,人間(文化)と自然の関係の再吟味を促した。〈構造主義〉は,多様な展開方向を含みながら,近代西欧文化に転換を告知する〈構造主義革命〉をひきおこすものであった。
構造主義はフランスで生まれ,したがってM.モースの人類学やバシュラール,カンギレームの科学認識論,あるいはメルロー・ポンティの哲学など,総じてフランス思想の伝統に立つが,同時にマルクス,ニーチェ,ソシュール,フロイト,ハイデッガーなど19世紀末から20世紀前半にかけての思想的変革の努力を引き継ぐものといえる。そして,〈構造主義〉という一括的名称は,早くも1968年の〈五月革命〉のなかで〈構造主義は死んだ〉と語られて,1970年代以降拡散したが,それは人類学,言語学,精神分析などを中心とする人間諸科学の相互連関的探求に発展し,また諸分野での〈記号論〉的探求を生み,さらに広く,近代科学・技術への批判的反省,自然の復権を求める思想動向などを起動促進した。そのなかからは,各種の〈文化記号学〉的探求や〈経済人類学〉的試みなどの新しい探求が生まれつつある。構造主義は,日本にも1960年代末以降移入紹介され,大きな思想的影響をひろげている。
→記号 →構造言語学
執筆者:荒川 幾男
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1960年代、フランスを中心に現れた、諸科学における新しい考え方の総称。その範囲は広く哲学、文学、精神分析学、経済学、民族学、生物学、数学などにわたっている。
[足立和浩]
この考え方の特徴は、可変的な表層的諸現象の背後に隠された深層的で不変な「構造」を探究するというところにある。これには19世紀以来の歴史主義(連続的、進歩主義的な歴史観)と人間中心主義(デカルト的な実体的アトムとしての人間観)とに対するアンチ・テーゼという意味がある。とくにフランスでは、サルトルの『弁証法的理性批判』という歴史主義(ヘーゲル‐マルクス主義)と人間主義(デカルト‐フッサール主義)との統合を企てた記念碑的な著作があり、これをいかに乗り越えるかが後の世代の喫緊の課題となっていた。
構造主義の源はソシュールの言語学である。彼は通時的な比較言語学に共時的な構造言語学を対置し、ラングlangue(言語)の構造分析に専念した。とくにシニフィアンsignifiant(聴覚イメージ)/シニフィエsignifié(概念)という一組の概念は諸科学の構造主義的な考え方に大きな影響を及ぼした(むしろ、いささか濫用されたきらいさえある)。
[足立和浩]
フランスの構造主義を代表する思想家はレビ・ストロース、ジャック・ラカン、ルイ・アルチュセール、ミシェル・フーコーなどであり、さらに周辺にはロラン・バルト、ジャック・デリダらがいる。
レビ・ストロースは、ソシュールの記号論的方法を民族学に適用し、未開社会における女性の交換という複雑で難解な現象に着目して、「交差いとこ婚」の深層構造を分析した。この構造は厳密な数学的モデルとして理論化され、多様な現象の背後に隠された無意識的な構造とみなされている。また彼はトーテミズム、儀礼、神話などの象徴体系をも解明し、文明人の思考に対する「野生の思考」の基底構造性を強調している。
精神分析学のラカンは、サルトルらの実存主義が盛んであったころから、超然と独自の理論を展開している。精神分析医としての立場を通じてフロイト理論をさらに深化しようとするラカンは、治療を受けにくる患者の無意識が言語のように構造化されていることに着目し、無意識の構造分析を可能にするための「統辞論的な意味の移動」や「意味論的な凝縮」の諸例を提示している。また、治療が成功するためには医者と患者との(デカルト的な)実体的主体が解体されねばならぬ、という彼の主張もきわめて重要である。
アルチュセールは、ソシュール的方法をマルクス学のなかに導入し、マルクスの思想をヘーゲル的弁証法や主観主義などから解放することを企てる。具体的には、上部構造/下部構造、生産力/生産関係といったマルクスの操作的、構造的な諸概念が実体化されていることを批判し、もろもろの構造は「多元的決定」としてダイナミックに把握されねばならぬことを主張している。
フーコーは、哲学の対象から「人間」を除外し、もっぱら「言語」にのみ関心を向ける。人間なきあとには知(エピステーメー)のみが残り、その構造分析が哲学の課題となる。各時代にはそれぞれの知の型があるが、それら相互には連続的変化はなく、ただ非連続と断絶による変形のみが存在する。絶えず進歩する人間というイメージと結び付いた直線的で連続的な歴史を拒否することが問題なのである。また後年の権力の分析、さらに性の問題の分析にも、きわめて興味深いものがある。
[足立和浩]
『サルトル、パンゴー他著、平井啓之訳『サルトルと構造主義』(1968・竹内書店)』▽『泉靖一編著『構造主義の世界』(1969・大光社)』▽『エドマンド・リーチ著、吉田禎吾訳『レヴィ=ストロース』(1971・新潮社)』
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(石川伸晃 京都精華大学講師 / 2007年)
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…以上二つの立場は認識人類学cognitive anthropologyの名で総称される。 認識のプロセスを扱ういま一つの立場は,フランスのC.レビ・ストロースに代表される構造主義structuralismeである。レビ・ストロースのいう構造は経験的実在に関係しているのでなく,経験的実在に基づいて作られたモデルである。…
…1948年以来エコール・ノルマル・シュペリウールの講師となり,また共産党員となる。スターリン批判以後のマルクス主義の多元化の潮流のなかで,バシュラールらの科学認識論の伝統をひきつぎつつ,マルクス思想の構造論的再理解を試み,構造主義的マルクス主義者として60年代以降の思想的大革新の旗手の一人となった。80年に精神に異常をきたし,妻を絞殺して精神病院に収容された。…
…パースらとともに現代文化記号論の祖の一人とされるスイスのF.deソシュールは儀礼,作法などの諸文化現象を記号として考え,記号論sémiologie(英語ではsemiotics)の展望を開いた。ソシュールは言語学を記号論の一分野として位置づけ,記号論が発見する諸法則を言語学に適用することを考えたが,第2次大戦後のフランスにおける構造主義者R.バルトは,むしろ記号論こそ言語学のなかに位置づけられるべきであると主張した。あらゆる記号のなかで自然言語の記号(いわゆる言語記号)ほど複雑・高度な記号は存在せず,その機能と構造の諸特徴は他の諸記号の機能と構造の特徴の多くを網羅してしまうからである。…
…この本の仏訳(1948)とパスカルおよびラシーヌを論じた《隠れたる神》(1956)によってフランス思想界に地歩を固めた。ルカーチの影響のもとに,哲学や文学の創造活動とその社会的基礎との弁証法的関係を追究して,マルクス主義的な思想史研究に新境地をひらき,みずから〈生成的構造主義〉を標榜した。そのマルクス主義的な思想史研究は,アンリ・ルフェーブルの〈思想の社会史〉とともに貴重な試みであった。…
… 18世紀のロマン主義文芸運動以降は,しだいに新しい創作論や近代的な文芸批評が起こり,直接的にアリストテレスに拠る詩学は衰えたものの,言うまでもなく,今日の文学・芸術を考える上で,アリストテレスの《詩学》自体に含まれていたさまざまな論は,その価値を失っていない。【福井 芳男】
[フォルマリズムに始まる詩学の発展]
〈詩学〉という言葉は,一般には詩の韻律・言語の分析や研究をいうが,構造主義の登場以後はとくにロシア・フォルマリズムに始まる詩,そして一般に文学テキストの構造的研究とその理論をさす。ロシア・フォルマリズム(1910年代後半に発足)は,世界の明視(ビジョン)の創造を芸術の目的とし,その方法は異化(V.シクロフスキーによる。…
…彼は〈全体的社会現象〉と呼ぶものを,最表層部の形態学的特性から最深層部の集合的精神状態まで10の〈深さの層位〉に区分し,社会構造とはそれらの層位が一時的・過渡的にバランスした一局面である,とした。またギュルビッチの社会の深層構造というアイデアと共通する構造概念は,フランスの人類学者レビ・ストロースの〈構造主義〉人類学によっても用いられている。レビ・ストロースのいう社会構造は,当事者であるその社会の成員自身によって意識されることのない,したがって直接にはそれを観察することの不可能な,いわばかくれた行為規則である。…
…ヨーロッパでは,多くの亡命学者が流出して思想的に沈滞したドイツに代わって,フランスで近代理性主義を根底的に批判する新しい思想的動向が生まれた。それが,60年代に入って構造主義として顕在化したとき,精神分析はその不可欠の要素となっていた。そのなかでもJ.ラカンは,30年代半ばから精神分析を学んだが,大戦後,無意識を体系的な言語の構造をもつものと考え,言語学と結びつけつつ独自なフロイト理解を進めて,とくに60年代半ば以降構造主義の一翼をにない広い思想的影響を与えるにいたった。…
…フランスの科学哲学者。構造主義の先駆者の一人として,また,その詩論,イマージュ論でも知られる。1927年《近似的認識にかんする試論》で学位をえた後,ディジョン大学講師,教授をへて,40年ソルボンヌ(パリ大学)に迎えられ,科学史,科学哲学を講ずるとともに,同大学付属の科学史・技術史研究所長を務めた。…
…このようにして,文学の文学性の根拠をつきとめようとする試みは,逆説的に,文学と文学でないものの関係を問題とせざるをえない事態にたちいたるのである。
[構造主義]
文学と文学でないものとの関係のあり方を問うということになれば,当然ながら,マルクス主義の側からの文学研究もそれをなしうるもののひとつに数えられる。しかし,今日言われるような意味での文学理論につながる方向にこの問題を追求しはじめたのは,マルクス主義的な文学研究ではなかった。…
…この点はほとんど社会構造の分析にのみ集中したイギリス社会人類学との大きな違いであるが,現在の文化に主たる関心を寄せ,文化の諸部分を全体の脈絡の中で理解しようとする立場は,文化を断片化して扱った前代の民族学との決定的相違であった。
[認識人類学から構造主義へ]
文化人類学の次の転機は1960年代に訪れる。その兆しはすでに50年代に認められるが,60年代以降急速に文化人類学の新しい主流が形成をみるのである。…
…19世紀後半にイギリス,アメリカで盛んになった進化主義的民族学は,人類文化に共通の進化という現象と人類の基本的心性の同一性に注意を向けさせ,進化主義への反動として20世紀前半にドイツ,オーストリアやアメリカで盛んになった歴史民族学は,個別文化が歴史的に形成されたことを強調し,個々の文化要素や文化複合の空間的分布のもつ意味を問うており,1920年代以後イギリスで盛んになった機能主義は,個々の制度が全体社会の維持に果たす機能,あるいは個人の欲求充足に果たす機能が問題にされた。第2次大戦後,フランスにおいて盛んになった構造主義においては,文化を構成する個々の要素をそれ自体としてではなく,相互間の関係からなる構造として把握すること,ことに意識されていない構造の重要性を論じた。進化,歴史,機能,構造は,いずれも文化を理解するのに不可欠な視角である。…
…イギリスの小説家E.M.フォースターが,〈小説のかなめは物語であり,物語とはできごとを時間順に語ったものである〉(《小説の諸相》1927)と述べているのも,これと似た考え方である。 こうした考え方は今日でも根強くあるが,その一方で,とくに1960年代以降,フランスの構造主義に属する人々によって推進されてきた物語研究の新しい動きがある。この場合には,物語をいわゆる文学に固有のものとはせず,神話,伝説,民話,おとぎ話,小説,戯曲,絵画,映画,漫画,ダンスなどに共通にあらわれるものとみる。…
※「構造主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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