農業政策(読み)のうぎょうせいさく(その他表記)agricultural policy

日本大百科全書(ニッポニカ) 「農業政策」の意味・わかりやすい解説

農業政策
のうぎょうせいさく
agricultural policy

国家などの権力主体(行政主体)が行政機構や農業関連団体を通じて、政策が設定した目標の実現に向けて、財政投入や規制措置などの政策手段によって、農業とそれを取り巻く経済過程に介入すること。歴史的に農業生産は農民という社会的階層によって担われてきたが、資本主義の展開によって農民の多くは没落していく。農民層が一定以上の割合を占めている場合、国家の政治的基盤は不安定化する。そのため農業政策は産業政策にとどまらず、農民層の社会統合を目的とした社会政策的性格を帯びることになる。

 現代農業政策の特徴は国家による経済過程への全面的な介入にある。それが実現した大きな転機は1929年の世界大恐慌であった。金本位制度の廃止により、管理通貨制度が採用されたことの影響が大きい。国家の財政運営は自由度を増し、裁量性の高い政策の実施が可能になったからである。この時期から各国で農業政策が整備されるようになった。たとえば、アメリカではニューディール政策の一環として農業調整法(1933)を制定し、生産制限とセットで価格支持政策(価格支持融資)を導入し、それが現在まで形を変えながら継承されている。

[安藤光義 2025年10月21日]

農業保護と自由貿易

国境措置(関税、輸入制限など)による農業保護と自由貿易の間で政策の振り子は揺れ動いてきた。後者に大きく振れた国の典型がイギリスである。それを決定づけたのが穀物法の廃止(1846)であった。穀物法は国内の小麦価格を一定水準以上に保つため輸入を禁じるものであった。この穀物法の廃止をめぐってマルサスとリカードの間で論争が行われた(穀物法論争)。マルサスは、食料生産の増加速度よりも人口の増加のほうが速く、食料安全保障の観点から農業保護の重要性を主張したのに対し、リカードは、世界の工場としてのイギリスの立場を背景に、比較優位の原理から国際分業と自由貿易を主張した。その後、穀物法は廃止され、イギリスは自由貿易国家となる。「19世紀末農業恐慌」のときもこの方針は貫かれ、穀物輸入は増加して、耕地面積は減少し、農地の粗放的な牧草地への転換も進み、食料自給率は低下していった。

 そうしたイギリスに農業保護政策を導入させたのは第一次世界大戦であった。不作による穀物不足の懸念が生じていたところに、ドイツの潜水艦作戦によって海外からの食料供給が危機的状況を迎えたからである。その政策は関税ではなく、市場価格が最低保証価格を下回る場合、政府が農業経営者に不足分を支払う価格保証制度であった。戦争終了後も継続される予定だったが、農産物価格の下落によって不足分の支払いによる財政支出が急増したため、この価格保証制度は廃止された。

 価格支持政策がもたらす財政負担は世界共通の問題なのである。食料安全保障を根拠とする農業保護と比較優位の原理に基づく自由貿易の対立構造は、財政負担を制約要因としつつ、時代と環境によって揺れ動いている。

[安藤光義 2025年10月21日]

農産物貿易をめぐる国際的な対立構造

19世紀末農業恐慌をきっかけに広がった農業保護のための関税は、国際的な対立を示すものの一つである。黒海沿岸地域や新大陸アメリカから安価な穀物が旧大陸のヨーロッパ諸国に大量に流入したことで、穀物価格が長期間にわたって低迷したのが19世紀末農業恐慌である。イギリスは自由貿易の立場を堅持したため、穀作は縮小して牧草地が拡大し、粗放的な畜産にシフトしていく。その一方で、数多くの農民を抱えるフランス、ドイツは輸入穀物に関税をかけて国内農業を保護することになった。この新大陸と旧大陸の対立という構図は、共通農業政策によってヨーロッパ連合(EU)が農業生産力を強化したことによって世界的な農産物過剰問題が激しさを増し、ガット(GATT、関税および貿易に関する一般協定)のウルグアイ・ラウンドに引き継がれた。この構造はWTO(世界貿易機関)体制に移行した後も、農業政策や食品の安全性をめぐるアメリカとEUの対立としてその後も続いている。

[安藤光義 2025年10月21日]

日本における農業政策の展開

農業基本法

第二次世界大戦後の日本は重化学工業化によって高度経済成長を実現した一方、農工間所得格差問題を発生させることになった。これに対応するために制定されたのが農業基本法(昭和36年法律第127号)である(1961)。他産業と遜色(そんしょく)のない農業所得を獲得できる近代的家族経営としての自立経営の育成を目標に掲げ、それを構造政策、生産政策、価格・流通政策を通じて実現しようとした。この農業基本法に基づく農業政策(基本法農政)は高度経済成長を与件とするものであった。構造政策は農村から都市への人口移動および農業部門から工業部門への人口移動を、米や麦の生産から野菜・果実・畜産への選択的拡大は所得増加のもとでの需要の増大を、生産費所得補償方式による生産者米価の引上げは経済成長に伴う税収の増加をそれぞれ前提としていた。

 ところが、構造政策は農地価格の上昇と農家の兼業化によって阻まれることになる。高度経済成長のもとで進んだ住宅、工場、道路などへの農地転用は農地面積を減少させるとともに農地価格の上昇をもたらし、売買による規模拡大を困難にするだけでなく、農家の資産保有意識を高め、農地の賃貸借にもブレーキをかけることになった。また、鉄鋼・造船・石油化学から自動車・家電へのリーディング産業の交代とともに農村地域への工業立地が進んだ。しかし、農村に雇用は創出されたものの賃金水準は低く、農家の兼業化が進み、兼業滞留(離農に向かわず兼業農家のままとどまる)構造が形成されることになる。その結果、構造政策として掲げた農業経営の規模の拡大は想定どおりには進まなかった。しかしこれは、基本法農政が与件とした高度経済成長がもたらした結果でもあった。

 食料自給率が大きく低下したのも基本法農政期であった。農業基本法には「外国産農産物と競争関係にある農産物の生産の合理化」と記されている。これは小麦、大豆、トウモロコシの輸入を意味する。1959年(昭和34)の時点ですでにナチュラルチーズとともに飼料用トウモロコシの輸入は自由化されており、1960年に貿易為替(かわせ)自由化計画大綱の策定時には農産物も含めた自由化率の41%から約80%への引き上げが宣言される。これらは基本法農政がスタートする前のことである。そして、1961年に大豆なたね交付金暫定措置法(昭和36年法律第201号。2000年に「大豆交付金暫定措置法」と改題)とその交付金制度の運用に伴う問題などによって大豆生産が大きく減少し、1964年には飼料用グレインソルガムの輸入自由化によって飼料穀物の全面的な輸入依存が確定する。基本法農政の選択的拡大が掲げた「畜産3倍」というスローガンの内実はこれであった。

[安藤光義 2025年10月21日]

食料・農業・農村基本法

1985年のプラザ合意による円高は、農産物の「内外価格差」を決定的なものとした。日米貿易摩擦が激化するなか、輸入自由化圧力が高まり、牛肉とオレンジにとどまらず、米についても自由化が迫られるようになった。国内では首都圏一極集中が加速し、農村では高齢化と人口減少、耕作放棄地の増加が進むなか、農村の衰退と農地の荒廃にいかにして歯止めをかけるかが農政の重要課題となり、1990年代に入ると、とくに過疎化が進行してきた中山間地域に関する問題が議論されるようになった。

 1992年(平成4)の「新しい食料・農業・農村政策の方向」(新政策)は文字どおり新しい農政の方向を展望するものであり、食料・農業・農村基本法(平成11年法律第106号)はこの延長線上に位置している。新政策を受け、農業経営体(効率的かつ安定的な農業経営)に施策を集中させ、構造政策を推進する農業経営基盤強化促進法(昭和55年法律第65号。「農用地利用増進法」を改題・改正)が1993年に制定されている。

 食料・農業・農村基本法(1999)は、食料の安定供給の確保、農業の有する多面的機能の発揮、農業の持続的な発展、農村の振興、という四つの基本理念を掲げた。農業の持続的な発展を農村の振興とともに実現することで、食料の安定供給が確保され、農業・農村が有する多面的機能が発揮されるという関係になっている。

 同法のもとでさまざまな制度・政策が整備されていくが、ガット体制からWTO(世界貿易機関)体制に移行したという国際環境の変化は決定的であり、これが政策の枠組みを規定することになる。国際的なルールと国内政策とのハーモナイゼーションが必須(ひっす)とされたからである。たとえばEUは、ガットのウルグアイ・ラウンド妥結のために行われたマクシャリー改革を皮切りに、アジェンダ2000改革、フィシュラー改革、ヘルスチェック改革と継続的にCAP(共通農業政策)改革を積み重ね、農業生産の出来高とリンクしない直接支払いとそれ(直接支払い)を受給するための条件(環境要件)の強化を図ってきた。日本も2007年(平成19)に「品目横断的経営安定対策」を導入し、これが現在の「経営所得安定対策」と「収入保険制度」となって引き継がれている。

 多面的機能については「中山間地域等直接支払制度」(2000)と「農地・水・環境保全向上対策」(2007年。2014年から「多面的機能支払交付金」となる)が創設され、現在は日本型直接支払制度として農村政策の中心に位置づけられることになった。同制度の特徴は農村の振興と地域資源管理を同時に実現する仕組みにある。とくに中山間地域の生産条件の不利な状況を補正する「中山間地域等直接支払制度」は画期的であり、集落での共同の取り組みを支援し、農村の内発的な発展を促進する性格をあわせもつものであった。食料政策の目標とされた食料自給率の向上は、WTO体制のもとでは生産増大につながるような助成金の交付は原則として禁じられており、実現しないまま現在に至っている。ちなみに1999年度の食料自給率はカロリーベースで40%で、その後も低迷が続き、2023年度は38%である。一方で、食品の安全・安心については、さまざまな問題が発生するなかで法律と制度の整備が進み、2009年には消費者庁が設置されている。

[安藤光義 2025年10月21日]

食料・農業・農村基本法の改正

2024年(令和6)に食料・農業・農村基本法が四半世紀ぶりに改正された。その背景には食料安全保障に対する懸念の高まりがあった。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻によって穀物価格が急騰し、飼料価格も高止まりが続いたため、酪農をはじめとする畜産経営が危機に陥った。農業資材の入手も困難になり、化学肥料は価格高騰だけでなく供給自体が危ぶまれる状況となる一方、農産物価格の上昇は遅れ(価格転嫁問題)、農業生産者は苦境にたたされることになった。

 そのため改正された食料・農業・農村基本法では食料政策の領域がとくに拡充された。食料の安定供給の確保という基本理念は食料安全保障の確保へと形を変え、国民ひとりひとりの食料安全保障という国連食糧農業機関(FAO)のフードセキュリティに近いものとなった。同じ食料政策の領域では、合理的な価格形成に向けた食料システムの構築、農産物の輸出促進が加えられた。また、農業者の減少への対策としてデジタル技術を生かしたスマート農業の促進が明記された。さらに、EUのファーム・トゥ・フォーク戦略(2030年までに化学農薬の削減や有機農業の拡大を目ざす)を意識して策定された「みどりの食料システム戦略」が組み込まれ、環境への負荷の低減の促進が加わることになった。

 その結果、改正された基本法の基本理念は、「食料安全保障の確保」、「多面的機能の十分な発揮」、「農業の持続的な発展」、「環境と調和のとれた食料システムの確立」、「農村の振興」の五つとなる。従来からの基本理念相互の関係は基本的に改正前と同じだが、環境負荷低減をキーワードとして新たに加わった「環境と調和のとれた食料システムの確立」は、「食料安全保障の確保」、「多面的機能の十分な発揮」、「農業の持続的な発展」の三つを規定することになった。

 具体的な政策は基本法の改正の前から準備されてきた。環境負荷低減の推進については、2022年に「みどりの食料システム法」(正式名称「環境と調和のとれた食料システムの確立のための環境負荷低減事業活動の促進等に関する法律」令和4年法律第37号)が制定され、これに伴う事業もスタートしていた。スマート農業の促進についても2023年度補正予算で約40億円の予算が計上されていたが、これが2024年のスマート農業技術活用促進法(正式名称「農業の生産性の向上のためのスマート農業技術の活用の促進に関する法律」令和6年法律第63号)へとつながる。また、構造政策についても2022年に農業経営基盤強化促進法が改正され、中小規模経営を担い手として位置づけ、「地域計画」の策定が法定化されている。同じく同年の農地法(昭和27年法律第229号)改正で2023年4月から半自給的な農業とやりたい仕事を両立させる「半農半X」型のライフスタイル推進のため農地の権利取得の下限面積要件が廃止されている。

 残されていた農産物の適正な価格形成については、2025年に食料システム法(正式名称「食品等の持続的な供給を実現するための食品等事業者による事業活動の促進及び食品等の取引の適正化に関する法律」平成3年法律第59号)が制定された。同法に基づき、農林漁業者と食品産業の事業者に合理的な費用を考慮した価格形成等を促すため、努力義務等の規制的措置が課されるとともに、指定品目について、コスト指標を作成する団体が設立されることとなった。

 基本法の改正を受けて食料・農業・農村基本計画が策定され、農政は新しいステージを迎えることになった。

[安藤光義 2025年10月21日]

『秋野正勝・今村奈良臣・荏開津典生・田中学・和田照男著『現代農業経済学』(1978・東京大学出版会)』『生源寺真一・谷口信和・藤田夏樹・森建資・八木宏典著『農業経済学』(1993・東京大学出版会)』『暉峻衆三編『日本の農業150年――1850~2000年』(2003・有斐閣)』『田代洋一著『農業政策の現代史』(2023・筑波書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「農業政策」の意味・わかりやすい解説

農業政策 (のうぎょうせいさく)
agricultural policy

政府の行う経済政策のうち,農業を対象としたものをいう。農業を自由放任するというのも一種の農業政策であるが,通常は,自由放任しておいたのでは農業が思うように良くならないと判断し,政府が介入するために,農業政策がとられている。その際,価値判断の基準とされるのが主として次の二つである。(1)生産力基準 豊富に農産物が供給されるかどうか。これも平時に安く供給する能力があるかだけを問うのと,非常時にも供給を確保できる潜在的能力があるかを問うのとでは結論は大いに違ってくる。(2)社会問題的基準 生産者は妥当な生活水準を享受しているかどうか。昔はこのほか,たとえば農村が強い兵士の給源として役立っているかどうか,というような基準が重視されがちであった。近年は良好な環境が保持されているかどうかを重視する傾向も現れている。農業政策を,それが主として目指している目的によって分類すると,(1)の生産政策と(2)の所得政策とに大別される。

農業政策をその目的ではなく手段で分類すると,価格政策,低利融資政策,補助金政策,構造政策,等々ということになる。目的を生産の増大においている政策を例にとって解説しよう。新技術の開発と普及は,農業経営者や農業間連企業だけに任せておいたのでは,不十分なことが多い。だから農業技術の研究所はどんな国でももつし,普及組織もたいていの国がもっている。それが本来的な生産政策だといってよいだろう。しかしそれだけでは不十分な場合がありうる。ある地方での新技術の先駆者となる農民の場合,思わぬ事態が生まれても相談できる人がなくて大失敗する危険があり,その危険をおそれて尻込みする,といったようなことがしばしばあるからである。そんな場合,補助金が先駆者を勇気づけることができよう。技術そのものに不安がなくても,市況の見通しに不安がある,ということがボトルネックになっているとすれば,価格安定政策が生産政策として機能できる。価格支持政策にしても,所得政策の一環としてしか理解されない傾向があるが,同時に生産を刺激する効果をもつことはいうまでもない。ただ,条件いかんによっては,価格支持政策は高コスト農家の温存という悪い効果をもたらすことがありうるが,そんな場合に限って,価格支持政策は生産政策ではない,といえるのである。なお,日本の1976年以前の麦価政策のように,価格支持の形をとってはいたものの,実は国内の小麦粉や配合飼料の価格安定をねらった運営をされていて,国際価格暴騰時には高い外麦を大量に輸入して国内に輸入価格より安く売り,外国の農民を喜ばせていた,といった例もある。自国の農業生産を促進しない価格政策もありうるのであり,政策の名前だけで内容を判断し,分類してはなるまい。

 価格(安定・支持)政策や補助金政策,融資政策以外に,重要な政策手段として構造政策がある。農地の所有や経営の構造に政府が直接介入することにより,生産力の増大,または所得分配の公正化をねらおうというものである。たとえば第2次世界大戦の直後,日本で実施された農地改革は,農地の所有構造に直接に手を触れたものであった。そのねらいは,GHQの〈農地改革に関する覚書〉(1945年12月)では,〈封建的不在地主ノ抑圧ニ依ル束縛……カラノ解放〉だとされ,社会問題的視点が強調されていたのに反し,日本の議会に政府が提出した〈自作農創設特別措置法案〉ではむしろ,〈農業生産力の発展〉のほうが強調されたりしたが,その間に矛盾はなかった。発端は軍国主義日本の民主化にあったけれども,小作地の所有権を農民に移し所得の分配状況を変えたことが農民の増産意欲を高め,戦後の食料危機をしのぎやすいものにした効果には,疑問の余地はないからである。

18世紀から19世紀の半ばまで,イギリスで遂行されたエンクロージャーといわれる土地整理も,構造政策の代表的なものである。中世的な三圃制のもとで,密居集落に住む農民が,村内の各所に散在する幾多の小地片を耕すという農耕法を改め,耕地を1戸1団地の農場状態に変え,垣根で囲って思い思いの輪作をし放牧するのが,生産力の最も早い向上方法だとされたのである。アメリカのように原住民を追い払ったあとの処女地であれば,その当時の生産力が要求するとおりの農場を区画することもできよう。だが伝統のあるヨーロッパの既耕地では,そうはいかない。隣の土地を耕す農民が没落するのを待つか,村じゅうの話合いで徹底的な交換分合を行うかである。まだ夜逃げをするほどではないが,垣根などに金をかけるより三圃式農法を続けているほうがよい,という程度の農民の多いことが,地主や富農にとっては目障りでならなかったらしい。そこでイギリスの政府は,土地整理の賛成者が,人数の大多数ではなくて面積の大多数を占めたとき,その村において土地整理を強行できるようにするという政策をとった。イギリス政府自体が農場の規模について政策目標を設定したわけではないが,土地整理の費用に耐えられない小農は土地を手放したし,大土地所有者が土地整理後は大規模借地農に土地を貸したがったこともあって,18~19世紀のイギリスはヨーロッパには珍しい大規模農業を実現させている。そのイギリスの土地整理政策をドイツが学び,さらにそれを日本が学んで始めたのが耕地整理事業である。ところが日本の耕地整理事業は周知のように,生産政策の一環としての土木事業という意味しかもたなかった。少なくとも1960年まではそうであった。似た名前の政策でも,国が変われば意味もまったく変わってくることを示す例である。

 資本主義の政府が,農業経営の規模を拡大したいという意思表示をはっきりとして構造政策を展開するようになったのは,1950年代末以降である。アメリカはトラクタリゼーションを,ヨーロッパ大陸諸国に比べれば弱い価格支持政策のもとで,構造政策ぬきで,1930年代に穀作部門について完結できたけれども,フランスや西ドイツはそうはいかなかったからである。工業ならば,強い企業はまず自由に規模を拡大して,生産物市場から弱小企業を駆逐する。たが農業では,まず土地市場で弱小経営を駆逐しないことには規模の拡大もできない。そういう農業の特徴が,古い歴史のある国ほど農業経営の規模拡大を妨げており,したがってなんらかの構造政策を必要とするという関係にある。西ヨーロッパの構造政策で理想像とされているのは,1夫婦または親子2夫婦が農業に専従し,諸機械をフルに利用しているような規模の経営である。日本の農業基本法(1961)も同様な〈自立経営〉の育成を政策目標として掲げた。しかしその後の自由民主党の政治は,同法を無視しているかのようであり,同法を改正する労さえ惜しんで,補助金(農業補助金)のばらまきを続けている。しかもその補助金には,生産政策として無意味に近いもの,選挙のための集票策でしかないという感じさえするものが,まれでない。

他方で,社会主義諸国の農業政策は,構造政策偏重であり,農業集団化さえすませてしまえば,それだけで万事うまくいくかのように判断している傾きがあった。スターリン時代のソ連,東欧がとりわけそうであり,価格政策はむしろ農業を収奪して重工業建設の財源をつくるためのもの,と位置づけられているかのようであった。スターリンの死後,価格政策なしでは国民の食生活を豊かにするほどの食糧供給も得られないことがしだいに認識され,農政も手直しが進んでいる。しかし,集団農業の生産性があまり上がらないとあれば,大合併を進めるとか,国営農場に吸収するかというふうに,〈大きくしさえすればよい〉式で,構造政策が安易に乱用される傾向はやはり強い。しかし,家族農業中心の農業政策を展開している社会主義国もある。スターリンにより早くから異端者扱いされたユーゴスラビアは別格としても,ポーランドがそうである。ポーランドは1950年代から農業集団化政策に対する抵抗が強く,小農が土地の80%以上を耕しつづけていたが,政府としてはやはり集団化政策を断念せずにきていた。小農にはトラクターを売らないとか(1960年代),後継者のいない小農の土地は老人年金を餌に国有化するとか(1970年代)の小農安楽死政策をとり,反面で国営農場を補助金政策でうるおしてきた。しかし1980-82年の経済破綻(はたん)と独立自治労組〈連帯〉の運動があり,ヤルゼルスキ首相は小農の永遠性を認めると宣言した。一時しのぎの思いつきでないとすれば,注目に値しよう。

 中国ではスターリン主義的な価格大系の見直しが,やっと1979年華国鋒主席によってなされはじめ,80年に実権を握った鄧小平は,生産の各戸請負制(初めは容認しただけだったが後には奨励に転化)へと踏み切った。土地の所有権は集団に残されているが,事実上の家族農業である。似たシステムはハンガリーでも1960年代末からとられたことがあるが,機械化が進むにつれて廃止していくという条件つきであり,実際にもまた実施面積を縮小しつつあるという。しかし中国の場合,各種の農業機械を農民の各戸,または数戸共同に,売ったり貸したりする試みを広げている。社会主義国の農業は今後,集団農業の道を選ぶにしても,小ぢんまりした集団のほうが優れているということになるかもしれない。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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