岐阜県南西部、養老郡にある町。1954年(昭和29)高田町と養老、広幡(ひろはた)、上多度(かみたど)、笠郷(かさごう)、小畑(おばた)、日吉(ひよし)、多芸(たぎ)の7村、池辺(いけべ)、合原(あいはら)の2村の各一部が合併して、養老町と改称。1955年南濃(なんのう)町(現、海津(かいづ)市)の一部を編入。大垣市の南西部に接し、養老鉄道、国道258号の便がある。東西に横断する名神高速道路と南北に走る東海環状自動車道が養老ジャンクションで交わり、東海環状自動車道の養老インターチェンジがある。町の中心地高田の町並みは、揖斐(いび)川の支流牧田川の扇状地の末端にある。付近に運動具、紙加工品、金属製品、プラスチック製品などの工場が立地し、町の工業製品出荷額は県下の町村中、上位にある。輪中(わじゅう)地区では、大規模な稲作や養鶏、施設園芸も行われる。大垣、岐阜等への通勤者も多い。養老ノ滝で有名な養老公園(県営公園で、揖斐関ヶ原養老国定公園の一部)には、「こどもの国」や体験型庭園「養老天命反転地」などがあり、年間約100万人の観光客が訪れる。北西部には60基以上の古墳が点在する象鼻山(ぞうびさん)古墳群があり、およそ2世紀中頃から7世紀初頭にかけて築造されたと考えられる。面積72.29平方キロメートル、人口2万6882(2020)。
[上島正徳]
『『養老町史』上下(1974、1978・養老町)』
能の曲目。初番目、脇能(わきのう)物。五流現行曲。世阿弥(ぜあみ)作。美濃(みの)の養老の滝のあたりに霊水が湧(わ)き出たという情報に、検分のため勅使(ワキ、ワキツレ)が派遣される。老人(前シテ)と息子(ツレ)が登場し、孝行の徳か、その薬の水を発見、父親が若返ったことを物語り、水をくんで勅使にも捧(ささ)げて立ち去る。そのうちに天から光輝き音楽聞こえ、花降り下る奇跡のなかに養老の山神(さんじん)(後シテ)が現れ、不老長寿の泉の奇瑞(きずい)と、泰平の御代(みよ)のめでたさを舞う。前シテを現実の老人としたのは脇能物として破格の構成で、本来は親子が中入せず、勅使とともにいるところに、別の役者が山神として現れて祝福を舞ったものであろう。
[増田正造]
能の曲名。脇能物。神物。世阿弥作。前ジテは孝子(ツレ)の老父。後ジテは養老の山神。美濃の養老ノ滝の付近に薬の泉がわき出たというので,その検分に勅使(ワキ)が遣わされる。勅使は,泉を発見した若者(ツレ)とその老父(前ジテ)に出会う。若者は親孝行な男で,薪を取っては父母を養っていたが,ある日ふと飲んだ泉の水があまりにさわやかだったので,汲んで帰って父親にすすめたところ,老人は見違えるように元気になった。そのことから滝にも養老の名がついたのだという。老人は事の由をこう説明して,薬の水を汲み,勅使にも捧げて立ち去った(〈上歌(あげうた)・下歌(さげうた)・ロンギ〉)。そのうちに空から音楽が聞こえると,山神(後ジテ)が現れて,御代のめでたさを祝福し,壮快な舞を舞う(〈神舞・ノリ地〉)。この曲は脇能の代表である神舞物の一つだが,前ジテが現実の老人で,後ジテの神霊とは別人格である点が変わっている。クセがないなど,構成も《高砂》等に比べて変則的である。
執筆者:横道 万里雄
岐阜県南西部,養老郡の町。人口3万1332(2010)。揖斐(いび)川中流西岸に位置し,西部は養老山地,東部は揖斐川と支流牧田川の扇状地および多芸(たぎ)輪中の低湿地からなる。養老という地名は《続日本紀》にみえる多度山の美泉(養老ノ滝)のことによる。牧田川に臨む船附,栗笠,烏江は濃州三湊といわれ,近世初期以来河港として栄えた。古くから農業が盛んであったが,水害には悩まされ続けた。1959年の伊勢湾台風で大きな被害を受けたのを機に,農業構造改善事業が進められた結果,水稲単作から養鶏や果樹栽培,園芸などを加えた多角的農業へと一新された。西部の山地は揖斐関ヶ原養老国定公園に含まれ,孝子伝説で名高い養老ノ滝を中心に養老神社や養老寺を配した県立養老公園となっている。養老鉄道線が通る。
執筆者:上田 雅子
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