アーシューラー ‘āshūrā’
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- イスラーム暦ムハッラム月(第1月)10日のこと。シーア派の十二イマーム派は,イスラーム暦61年(西暦680年)のこの日,ウマイヤ朝の大軍に包囲されイラ…
岩のドーム いわのドーム Qubba al-Sakhra; Dome of the Rock
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- アラビア語でクッバ・アッサフラと呼ばれ,エルサレムのアクサー・モスクを含む聖域内に建つ,現存するなかでは最古のイスラム建築。ウマイヤ朝のカ…
イブン・ハズム いぶんはずむ ‘Alī ibn azm (994―1064)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 中世スペインのアラビア語著述家、神学者。コルドバでウマイヤ朝高官を父として生まれた。ウマイヤ朝が衰退し、父が没するとともに迫害を受け、1013…
ラッカ(Raqqa)
- デジタル大辞泉
- シリア北部の都市。ユーフラテス川中流域に位置する。紀元前3世紀のセレウコス朝時代の古代都市に起源し、東ローマ帝国、ウマイヤ朝、アッバース朝の…
ハッサーン・ブン・アンヌーマーン al-Ḥassān b.al-Nu`mān 生没年:?-699・700
- 改訂新版 世界大百科事典
- ウマイヤ朝の北アフリカ総督。カリフ,アブド・アルマリクの命で北アフリカ征服運動を再開し,頑強に抵抗するベルベルの女預言者カーヒナの軍を破っ…
カルバラー Karbalā’
- 改訂新版 世界大百科事典
- イラク中央部の宗教都市でシーア派の聖地。バグダードの南南西約80km,ユーフラテス河畔にあり,人口約47万5000(2003)。ウマイヤ朝カリフ,ヤジー…
ヒシャーム ひしゃーむ Hishām b. ‘Abd al-Malik (691―743)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- イスラムのウマイヤ朝第10代のカリフ(在位724~743)。ハーリド・ブン・アルカスリー、ナスル・ブン・サイヤールなど有能な人材を登用して、トルコ…
コルドバのユダヤじんがい【コルドバのユダヤ人街】
- 世界の観光地名がわかる事典
- スペイン南西部、セビリア(Sevilla)北東約130kmの位置にある、アンダルシア地方の都市コルドバ(Cordoba)のメスキータ(コルドバ大聖堂)周辺の、…
カスティリャ王国【カスティリャおうこく】
- 百科事典マイペディア
- 中世,イベリア半島の王国。10世紀前半フェルナン・ゴンサレスが統一を進め,1037年フェルナンド1世の下に建国,レオン王国を併合した。ウマイヤ朝…
ムハンマド・ブン・アルカーシム Muḥammad b.al-Qāsim 生没年:693ころ-716ころ
- 改訂新版 世界大百科事典
- ウマイヤ朝時代の将軍で,北西インド(シンド)の征服者。710年,イラク総督ハッジャージュ・ブン・ユースフの命により,マクラーン地方からインダス…
イスラーム帝国(イスラームていこく)
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- ウマイヤ朝(アラブ帝国)に対する革命運動によって成立したアッバース朝の支配体制。マワーリーが官僚や政府高官を占め,軍隊の非アラブ化が進むなど…
アンダルス al-Andalus
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- アラビア語でイベリア半島を示す地名。しばしば,イスラーム支配下のイベリア半島をさすものとして用いられる。711年にイスラーム勢力に征服されたの…
ヴェルハウゼン Julius Wellhausen
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 1844~1918ドイツの初期イスラーム史研究者,聖書学者。旧約聖書に関する五書資料説を確立。イスラーム研究においては『アラブ帝国とその衰亡』にお…
ウクバ・ブン・ナーフィー `Uqba b.Nāfi‘ 生没年:?-683
- 改訂新版 世界大百科事典
- ウマイヤ朝の北アフリカ総督。エジプトの征服者アムル・ブン・アルアースの甥。663-670年にかけてリビアからチュニジアの征服を完了。670年チュニジ…
シュルタ shurṭa
- 改訂新版 世界大百科事典
- 初期イスラム時代の警察,警官のこと。シュラタshuraṭa,あるいは複数形でシュラトshuraṭとも呼ばれる。語源は4型動詞ashraṭa〈的確な目的のために,…
フサイン Ḥusayn b.`Alī b.Abī Ṭālib 生没年:625-680
- 改訂新版 世界大百科事典
- シーア派第3代イマーム。第4代カリフ,アリーと預言者ムハンマドの娘ファーティマとの間に生まれた第2子。メディナに隠退していた兄ハサンの死で,シ…
ウマイヤ‐モスク(Omayad Mosque)
- デジタル大辞泉
- ⇒ウマイヤドモスク
ウマル・ブン・アビー・ラビーア `Umar b.Abī Rabī`a 生没年:644-711か719
- 改訂新版 世界大百科事典
- ウマイヤ朝期アラビア半島ヒジャーズ地方の詩人。メッカの名門クライシュ族の富豪の出。富み栄えるメッカ・メディナの時代を反映し,形成されつつあ…
トゥール−ポワティエ間の戦い トゥール−ポワティエかんのたたかい Tours-Poitiers
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 732年,フランク王国の宮宰カール=マルテルが,イスラーム教徒の軍を撃退した戦いアブド=アッラフマーン1世に率いられたイスラーム軍(ウマイヤ朝…
ワーシト Wāsit
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- イラク,チグリス川中流にあった中世都市の一つ。 702年にウマイヤ朝のイラク総督ハッジャージ・イブン・ユースフによって,イラク駐留のアラブ戦士…
シリア朝(シリアちょう)
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 717~802レオン3世が創始したビザンツ帝国の王朝。誤ってイサウリア朝とも呼ばれる。イコン破壊運動を推進。717年にウマイヤ朝軍隊の首都包囲を撃退…
クタイバ・ブン・ムスリム Qutayba b.Muslim 生没年:669・670-715
- 改訂新版 世界大百科事典
- ウマイヤ朝のホラーサーン総督で中央アジア征服者。705年,イラク総督ハッジャージュ・ブン・ユースフの命令でアム・ダリヤを渡り中央アジアに侵入,…
アムラ‐じょう〔‐ジヤウ〕【アムラ城】
- デジタル大辞泉
- 《Qasr Amra》ヨルダン中部にある城館跡。首都アンマンの東約80キロメートルに位置する。8世紀、ウマイヤ朝時代に建造。征服地の警護のために築かれ…
アッバース家(アッバースけ) al-‘Abbāsīyūn
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- アッバース朝の支配家系。預言者ムハンマドの叔父アッバースの子孫が,預言者の一族による政権の樹立をめざし,政治宗教的な教宣活動を指導。749年ウ…
アムラ城【アムラじょう】
- 百科事典マイペディア
- ヨルダンの首都アンマンの東約85kmの砂漠に建つ城。8世紀初めに造られたウマイヤ朝の離宮で,カリフの居城および要塞として代々使用された。保存状…
ウマル[2世] `Umar b.`Abd al-`Azīz 生没年:682-720
- 改訂新版 世界大百科事典
- ウマイヤ朝第8代カリフ。在位718-720年。敬虔なイスラム教徒で,イスラムの理念を現実の政治に反映させようとした最初のカリフ。そのため彼は征服地…
ディルハム dirham
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- ディーナール金貨と並んでイスラム社会に流通した銀貨。最初のディルハムは,ササン朝の銀貨の模倣であったが,ディーナールと同様,698/9年にウマイ…
オンマヤ‐ちょう(‥テウ)【オンマヤ朝】
- 精選版 日本国語大辞典
- ⇒ウマイヤちょう(━朝)
アルメリア Almería
- 改訂新版 世界大百科事典
- スペイン南部の同名県の県都。人口17万2055(2001)。9世紀に後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン2世が建設し,11世紀半ばまでイスラム都市として…
スカイナ Sukayna 生没年:?-735
- 改訂新版 世界大百科事典
- ウマイヤ朝時代のアラブの貴婦人で,第4代カリフ,アリーの孫。フサインの娘であり,母ラバーブは大詩人イムルー・アルカイスの血筋をひくという名家…
マンスール(アッバース朝) Abū Ja'far al-Manṣūr
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 713ごろ〜775アッバース朝の第2代カリフ(在位754〜775)初代カリフのサッファーフの後を継いだ,アッバース朝の事実上の創設者。ウマイヤ朝打倒の…
ムルシア Murcia
- 改訂新版 世界大百科事典
- スペイン南東部の地方。同名県および同名の県都がある。ムルシア,アルバセテ両県からなるムルシア地方(人口133万5792。2005)は,地形上,地中海沿…
アブドゥル・マリク `Abd al-Malik
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]646/647. メジナ[没]705.10. ダマスカスウマイヤ朝第5代のカリフ (在位 685~705) 。父マルワーン1世が暗殺されたあとをうけてカリフに就任,ま…
エルチェのやしえん【エルチェの椰子園】
- 世界遺産詳解
- 2000年に登録された世界遺産(文化遺産)。スペイン南東部、バレンシア南方にある地中海沿岸のエルチェ市には、ヨーロッパ最大規模のナツメヤシの農…
しんでん‐の‐おか〔‐をか〕【神殿の丘】
- デジタル大辞泉
- 《Temple Mount》パレスチナ地方の古都エルサレムの旧市街にあるユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地。ヘブライ語名ハルハバイト。アラビア語名…
イブン・ザイドゥーン Ibn Zaydūn, Abū al-Walīd
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]1003. コルドバ[没]1071. セビリアスペインのアラブ系詩人。コルドバのウマイヤ朝の滅亡後,スペイン各地を転々とし,最後はセビリアのアッバー…
ダマスクス Damascus
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 西アジア,シリア−アラブ共和国南西部にある同国の首都世界最古の町の1つで,前10世紀アラム人の王国の首都とされた。前732年アッシリアに滅ぼされ…
ムシャッタ‐じょう〔‐ジヤウ〕【ムシャッタ城】
- デジタル大辞泉
- 《Qasr Mushatta》ヨルダン中部にある城館跡。首都アンマンの南東約30キロメートルに位置する。ウマイヤ朝のカリフ、ワリード2世の時代に建設が始め…
ツール=ポアティエの戦い ツール=ポアティエのたたかい Battle of Tours and Poitiers
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- 732年10月25日,フランク王国の宮宰カルル・マルテルが,ウマイヤ朝イスラム軍がピレネーを越えて南フランスに侵入しようとしたのをロアール川流域,…
ジャミーラ Jamīla 生没年:?-720ころ
- 改訂新版 世界大百科事典
- ウマイヤ朝のアラブの女流音楽家。メディナで歌手,音楽教師として名声を得る。結婚後自邸で音楽を教え,そこはメディナおよびメッカの音楽家,音楽…
ハワーリジュ派 はわーりじゅは Khawārij
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- イスラム教の最初の政治・宗教的分派。ハーリジーKhārijī派ともいう。第4代正統カリフのアリーとのちにウマイヤ朝を創設することになるムアーウィヤ…
イブン・アブド・ラッビヒ Ibn `Abd Rabbihi, Abū `Umar Aḥmad
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]860.11.29. コルドバ[没]940.3.3. コルドバスペインのアラブ系文学者。恋愛詩にすぐれ,コルドバのウマイヤ朝の宮廷詩人となった。著書『たぐい…
ダマスカスの大モスク ダマスカスのだいモスク Great Mosque of Damascus
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- ウマイヤ朝のカリフ,ワリード (在位 705~715) がダマスカスに建立したモスク。ローマ時代の聖域,ビザンチン時代のキリスト教聖堂の跡地に建てられ…
アブー・スフヤーン Abū Sufyān ibn Ḥarb
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]565頃.メッカ[没]653頃メッカの有力商人で,軍事指導者。イスラムの預言者ムハンマドを迫害し,彼がメジナに移住したのちはメッカ軍を率いてしば…
コンスタンティノス[5世] Kōnstantinos Ⅴ 生没年:718-775
- 改訂新版 世界大百科事典
- ビザンティン皇帝。在位741-775年。父レオ3世のイコノクラスム(聖画崇拝禁止策)を本格化する目的で,教皇も他の東方教会の総主教たちも欠席したい…
バルマク家 (バルマクけ)
- 改訂新版 世界大百科事典
- アッバース朝初期のカリフたちに仕えて権勢をふるったイラン系の宰相家一門。バルマクBarmak家はもとはバルフ近郊のナウバハール仏教寺院の管主を代…
イスファハーニー いすふぁはーにー Abú ‘l-Faraji al-Ifaānī (897―967)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- アラブの文学者。編著『アガーニー』で名高い。ペルシアのイスファハーンで生まれたが生粋(きっすい)のアラブ人で、ムハンマド(マホメット)に連な…
ハワーリジ派 ハワーリジは Khawārij
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- イスラム教の最も古い一分派。単数形でハーリジー派とも呼ばれる。第4代カリフ,アリー (在位 656~661) が敵対していたウマイヤ家のムアーウィヤ (→…
ナサーイー al-Nasā`ī 生没年:830-915
- 改訂新版 世界大百科事典
- ハディース六書の一つ《スナンの書Sunan al-Nasā`ī》(別名《al-Mujtaba》)を著したハディース学者。各地を旅行して伝承収集に努めた。晩年ダマスク…
ハスダイ・イブン・シャプルト Ḥasdai ibn Shaprut
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]915[没]975スペインのコルドバのウマイヤ朝最盛期に活躍した指導的ユダヤ人。宮廷付き医師であったが,その語学的才能と説得力ある人格を認めら…