イギリスの有機化学者.グラスゴー大学卒業後,フランクフルト大学でW. Borscheのもとで学位を取得.帰国後,オックスフォード大学でR. Robinson(ロビンソン)についてアントシアニンおよび天然色素について研究し,Ph.D.を取得.その後,エジンバラ大学,リスター予防医学研究所,ロンドン大学などに勤務し,1938年マンチェスター大学教授,1944年ケンブリッジ大学の有機化学教授となる.ビタミン B1 とEの合成,D.C. Hodgkin(ホジキン)と協力して行ったビタミン B12 の構造決定などの業績がある.マンチェスター大学時代に補酵素の構造決定と合成に関心をもち,ヌクレオシド,ヌクレオチド,ヌクレオチド補酵素,およびそれらのリン酸化の研究を行った.ATP,FADの合成(1949年),ウリジン5′-三リン酸の合成(1954年)に成功し,核酸の化学的構造の解明に貢献した.以上のようなヌクレオシドとヌクレオチド補酵素に関する研究で,1957年ノーベル化学賞を受賞した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
イギリスの生化学者。グラスゴー大学卒業。1938年マンチェスター大学化学部教授。レビンの推論したヌクレオチド成分のほとんどの合成を行い、その構造を確認した。また、RNA(リボ核酸)とDNA(デオキシリボ核酸)の加水分解における性質の違いを解明し、ヌクレオチド間の結合の性質を明らかにした。1952年、核酸の背骨の構造について、糖の3番目の炭素原子がリン酸と結合し、このリン酸が次の糖の5番目の炭素原子と結合していると報告したが、これはDNAの基本構造を示すものであった。ヌクレオチドとその補酵素に関する研究により1957年ノーベル化学賞を授与された。
[石館三枝子]
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1782~1835
イギリス軍人にして著作家で,『ラージャスターンの年代記』の著者。イギリス東インド会社の駐在官や顧問としてラージャスターン地方に勤務,ラージプート諸王国とイギリスとの仲介役を務めた。ラージャスターンに強い学術的関心を抱き,フィールドワークによって得た知見や宮廷に伝わる伝承や年代記,碑文などをもとに『年代記』を著した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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