デジタル大辞泉
「ふらつく」の意味・読み・例文・類語
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ふら‐つ・く
- 〘 自動詞 カ行五(四) 〙 ( 「つく」は接尾語 )
- ① ふらふらゆれ動く。また、足もとが不安定で、ふらふらする。
- [初出の実例]「小法師木股に上り、致二見物一不了附(フラツキ)眠申候」(出典:世話用文章(1692)上)
- ② 気持が不安定にゆれ動く。決心がつかず迷う。
- ③ ふらふら歩きまわる。うろつく。徘徊(はいかい)する。
- [初出の実例]「某天性果報幸なうてあちこちそれまがりふらつくぞ」(出典:玉塵抄(1563)三一)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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フラック
Flack, Roberta
[生]1937.2.10. ノースカロナイナ,ブラックマウンテン
[没]2025.2.24. ニューヨーク,マンハッタン
ロバータ・フラック。アメリカ合衆国のリズム・アンド・ブルース R&B歌手。フルネーム Roberta Cleopatra Flack。『愛は面影の中に』The First Time Ever I Saw Your Face(1969),『やさしく歌って』Killing Me Softly with His Song(1973)などのヒット曲で知られ,ジャズやゴスペル,ソウル,フォーク,クラシックなど多彩な音楽の影響のもと,楽曲に込められた物語を紡ぎ続けた。
ピアノやオルガン,ハーモニカを演奏する両親のもとバージニア州アーリントンで育つ。アメリカ南部の一部の教会で歌われる熱狂的な音楽とは異なり,幼い頃から長い旋律の賛美歌や静寂のある楽曲を重視するアフリカン・メソジスト監督シオン教会の音楽的刺激を受け,これがのちに作品の礎となる。9歳でピアノを習い始め,ジャズや R&B,ポピュラーなど幅広いジャンルの音楽を学び,吸収した。10代の頃にコンサートピアニストとしての訓練を受け,ヨハン・ゼバスティアン・バッハやローベルト・シューマン,フレデリック・ショパンをとりわけ好んで演奏した。1952年,15歳の頃にハワード大学で音楽を学ぶための奨学金を獲得し,のちにデュエットを組むダニー・ハサウェイと出会う。音楽教育の学位取得を目指して勉学に励むかたわら,女子学生クラブの声楽アンサンブルを率いたり,オペラ『アイーダ』を演出したりするなどして 1956年に卒業。大学院に進学したものの父親が亡くなったため退学し,ノースカロライナ州,のちにワシントンD.C.で教職につく。
1962年に郊外のジョージタウンにあるティボリ劇場で,副業としてオペラ歌手のピアノ伴奏をし始め,1967年12月にクリスマスキャロルを初めて観客の前で歌ったのを機に歌手も兼ねるようになる。ジャズミュージシャン,レス・マッキャンの目に留まり,アトランティック・レコードのプロデューサー,ジョエル・ドーンのオーディションを受ける。1969年に初のアルバム『ファースト・テイク』First Takeを発表,ベーシストのロン・カーターら有名奏者をバックバンドに据え,伝統的なゴスペル・ソング『アイ・トールド・ジーザス』I Told Jesusやユアン・マッコールの 1957年作のラブソング『愛は面影の中に』などを収録した。なお,フラックが歌う『愛は面影の中に』は,クリント・イーストウッドの映画初監督作『恐怖のメロディ』Play Misty for Me(1971)のラブシーンに採用され,アトランティック・レコードは 1972年にこの曲をシングルリリースし,『ビルボード』のホット100チャートで 6週連続 1位を記録した。さらに翌 1973年にグラミー賞の最優秀レコード賞も獲得した。
2作目のアルバム『第2章』Chapter Two(1970),3作目のアルバム『クワイエット・ファイア』Quiet Fire(1971)で成功を収め,1972年にはハサウェイと組んだ画期的なデュエットアルバム『ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ』Roberta Flack & Donny Hathawayを発表し,収録曲『恋人は何処に』Where Is the Loveはグラミー賞の最優秀ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞した。ノーマン・ギンベル作詞,チャールズ・フォックス作曲のシングル『やさしく歌って』は 1973年1月にリリースされ,ホット100チャートで 1位に上りつめ,翌 1974年にグラミー賞最優秀レコード賞を獲得した。同賞の 2年連続受賞は史上初の偉業だった。その後,楽曲『フィール・ライク・メイキン・ラブ』Feel Like Makin'Love(1974)がナンバーワンヒットし,アルバム『ブルー・ライツ・イン・ザ・ベースメント』Blue Lights in the Basement(1977)ではチャートの上位にくい込んだ。ジャズにインスパイアされた,なめらかかつスローテンポの音楽にロマンチックな歌詞を添えた新興の「クワイエット・ストーム」Quiet Stormソウルの重要人物として活躍した。
長年にわたるレコーディングやツアー活動のほか,1995~98年には全国放送のラジオ番組の司会を務め,2005年にはニューヨークに自身の名を冠した音楽学校を設立し,恵まれない学生への教育支援プログラムを実践した。また 2010年に財団を組織し,音楽教育や社会活動を支援した。2022年,筋萎縮性側索硬化症 ALSに罹患したことを公表。
1999年ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムの栄誉を受け,2020年グラミー賞生涯業績賞を受賞。著書にトーニャ・ボールデン共著,ヘイデン・グッドマン画の児童書"The Green Piano: How Little Me Found Music"(2023)がある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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フラック
ふらっく
Roberta Flack
(1937―2025)
アメリカのポピュラー歌手、ピアノ奏者。生年は1939年説もある。ノース・カロライナ州アッシュビル生まれ。4歳からピアノを弾く。15歳で高校を卒業すると奨学金を受けて首都ワシントンのハワード大学に入り、19歳で音楽教育学士号を得て卒業。高校教師を経て1962年からワシントンのレストランでオペラ歌手グループの伴奏を務めた。1965年にクラブでピアノの弾き語りを始め、1968年アトランティック・レコードと契約。1969年に初アルバム『ファースト・テイク』を発表。1971年にソウル歌手ダニー・ハサウェイと共演した『きみの友だち』You've Got a Friend(キャロル・キングのカバー曲)がヒットとなる。
アルバム『ファースト・テイク』の収録曲『愛は面影のなかに』The First Time ever I Saw Your Face(1969)は、映画『恐怖のメロディ』Play Misty For Me(1971)の挿入歌に使われて1972年にヒットし、同年度のグラミー賞最優秀レコード賞を受賞した。同じく1972年には最優秀デュオ賞をダニーとのデュエット『愛はどこに』Where Is the Loveで受賞。1973年度の最優秀レコード賞とポップ女性歌唱賞を『やさしく歌って』Killing Me Softly with His Songで受賞。1981年には映画『バスティン・ルーズ』Bustin' Looseの挿入歌5曲を書いて評判になった。ピーボ・ブライソンPeabo Bryson(1951― )とのデュエット『愛のセレブレイション』Tonight, I Celebrate My Love(1983)、レゲエ歌手マキシ・プリーストMaxi Priest(1962― )とのデュエット『セット・ザ・ナイト・トゥ・ミュージック』Set the Night to Music(1991)も大ヒットした。
[青木 啓]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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