改訂新版 世界大百科事典 「キノコ」の意味・わかりやすい解説
キノコ (菌/蕈/茸)
キノコといわれる生物は菌類の中で大型な子実体をつくる菌をさし,学問的用語というより,通俗的な言葉である。しかしキノコの大部分は担子菌類に所属し,マツタケ,シイタケなどのハラタケ目とサルノコシカケの仲間によって代表される。これらのキノコは森林で生活し,落葉や木材を分解する主役となり,森林生態系における物質循環にあって掛替えのない役割をはたす。
日本は元来,森林の国であり,キノコは森の生物のため,日本人は世界的にみてキノコ好きの民族である。キノコの古語はクサビラまたはタケで,キノコは比較的新しい言葉である。ほかに多くの地方的呼び名がある。例えばナバ(西南日本),クサビラ(奈良県一部),タケ(近畿,東海,山陰,中国東半部,四国東半部),コケ(北陸,岐阜,新潟),キノコ(東日本),ミミ(佐渡,能登),モタシ,モダシ,モタセ(東北地方)などである。このように語彙が多いのは,キノコについての関心の深さを示している。キノコを意味する漢字はきわめて多いが,〈菌〉が古くて普遍的である。今日の生物学は菌類を植物でも動物でもない第3の生物とみなすことが多く,キノコ,カビ,細菌などを総称する。人間と菌類とのつきあいは肉眼的な菌すなわちキノコから始まり,それに菌という漢字がつくられた。顕微鏡が発明されてからカビも同類とされ,さらにバクテリアも細菌として仲間入りした。ところが今では菌といえば細菌を連想する人が多くなったが,これは誤りである。キノコは英語ではマッシュルームmushroom,フランス語ではシャンピニョンchampignon,ドイツ語ではピルツPilzという。
食用キノコと毒キノコ
人類とキノコとのつながりは,食用から始まったといえよう。森林を背にし海辺に住んだわれわれの先祖は,海の幸と山の幸に恵まれた。キノコは山の幸の一つである。キノコがもつ独特の風味は日本人の心をとらえ,また健康を支えた。自然のもつ風味と季節感をたっとぶ日本料理では香り高いマツタケ,シイタケ,コウタケなどの風味をこよなく愛した。そして茸狩りを楽しんだ。マツタケに近縁のキノコは欧米にもあるが,彼らはこれを好まない。欧米人が好むキノコはマッシュルーム,ヤマドリタケ(イグチの仲間),アミガサタケなどであり,いずれも日本料理には不向きである。
茸狩りが好きで,キノコをよく食べる日本には中毒も多い。われわれに伝わる毒キノコに関する知識は,先祖が身をもって体験したいわば人体実験の積重ねによってかちえた貴重な知見である。それにもかかわらず,いまだに同じキノコによる中毒を繰り返しているのは,毒キノコを簡単に見分ける方法がないからである。昔から茎が縦に裂けるキノコは食べられるとか,毒キノコは華美な色をするとか,ナスとともに煮れば中毒しないとかいわれているが,すべて誤りである。毒キノコの種類は必ずしも少なくないが,食用キノコにくらべればはるかに少ない。しかも実際に中毒を起こしているキノコは決して多くない。また毒性にも差があり,致命的な毒性をもつものとそれほどではないものとがある。また後者には胃腸障害,神経系統をおかすものなどがあり,中毒症状もさまざまである。以上のことから見て,第1に致命的な猛毒菌としてドクツルタケ(シロタマゴテングタケを含めて),致命的ではないが中毒件数がとくに多いツキヨタケ,イッポンシメジ(クサウラベニタケを含めて),カキシメジ(マツシメジを含めて)などの見分け方を衆知すれば,日本のキノコ中毒者の数は現在の1/3~1/4に減るであろう。
ドクツルタケは日本における代表的猛毒菌で,茎の根もとに袋状のつぼがあり,上の方に膜質のつばがある。テングタケ科の特徴を完全にそなえている。このような形のキノコは白・黄・緑・赤色にかかわらず,いっさい食用にしてはならない。致命的ではないが,中毒がいちばん多いのはブナの枯木に群生するツキヨタケである。半円形のかさの横につく短い茎を切ると,肉に黒い斑紋があることが特徴である。次に中毒が多いのが,雑木林に生えるイッポンシメジの仲間である。形,色ともホンシメジに似ており,色はじみで茎は縦に裂けるが,ひだの色が淡桃色をおびることが見分けの急所である。カキシメジは松林,雑木林のキノコで,形はシメジ型,かさも茎も茶色で毒々しくない。ひだは白いが茶色のしみがでて,よごれやすいのが特徴である。ツキヨタケ以下は激しい嘔吐,下痢,腹痛を起こす。
薬用キノコ
西洋医学ではほとんど利用されないが,漢方薬としてはサルノコシカケ科のブクリョウ,チョレイなどは欠かせぬ重要なキノコである。一方,癌の民間薬として同じ科のコフキサルノコシカケ,カワラタケなどが広く用いられ,現在ではカワラタケから制癌薬としてクレスチン(商品名)が開発された。またシイタケをはじめとしてキノコ全般にわたって制癌物質の探求が進められ,とくにシイタケについては制癌性のほか対ウイルス病に関しても期待がよせられている。そのほか中国で古くから霊芝(れいし)の名で不老長生のキノコとされたマンネンタケの栽培が開発された。
執筆者:今関 六也
キノコ栽培
食用や薬用のキノコ栽培は,世界的にみると,マッシュルームが生産量の過半を占め,シイタケがこれにつぐ。国別では日本が第1位の生産国であり,シイタケ,エノキなど十指をこす多品種が栽培されている。日本では古くから丸太にシイタケをはやすことが行われてきたが,それが栽培の名に値するものとなった時期は1960年に近いころである。その後の発展は目覚ましく,生産額はリンゴをこえ,ミカンに近づいている。本来,林家の副収入確保の意味で始められたが,需要の急増,対応する設備の充実のため専業家があらわれはじめ,必然的に種菌供給会社,関連装置製造会社が登場し,年商2000億円をこえる産業となった。
キノコは植物のような光合成能力をもたないので,栽培地(培地)からすべての栄養物をとる。また,キノコはカビの一種であるが,カビやバクテリアはどこにでもいるから,キノコだけが育つには条件が限られる。この培地と殺菌方法により,いま行われている栽培法は三つに分けられる。第1は原木栽培である。皮つき丸太に種菌をうめこみキノコの発生を待つ方法で,日本のシイタケ生産がこの代表例である(〈シイタケ〉の項を参照)。原木栽培はシイタケ以外のキノコでも広く行われていたが,これらは逐次木粉栽培におきかえられている。しかし大型,肉厚のキノコ生産には捨てがたい利点をもつ。第2は木粉栽培(菌床栽培,おが粉栽培)で,木粉と米ぬかとを体積比3対1で混ぜてプラスチック製の瓶に入れ,高圧蒸気で殺菌したものを培地に使う方法である。長野県中野市を中心にエノキタケ栽培で開発,発展した。エノキタケでは培地に種菌を接種後,18℃の部屋に20日おいて菌をまんえんさせてから,13℃の部屋へ移してキノコを発生させる。このままでとれるエノキタケは形状,歯ざわりが好ましくないので,さらに環境調節を行う。すなわち10日後に8℃の部屋へ移して瓶全体のキノコの大きさを整えてから4℃の部屋へ移して生育させ,収穫する。菌のうえつけから収穫まで約50日間である。ヒラタケ,ナメコ,マイタケなども似た手順で行う。第3はわら栽培である。わらは微生物の作用で分解されると,その際発生する熱で殺菌される。これを培地に使う方法で,マッシュルームの栽培で発展した。欧米では他のキノコにも似た方法を用いる。マッシュルームでは,培地の作成に約25日かかる。すなわち麦わらを窒素を含む鶏糞(けいふん)などとまぜて放置すると75℃にもなる。10日余で,堆肥ができる。堆肥を木でつくった枠にいれ,石灰などを加えて放置すると10日余で熟成する。これを培地として種菌をまく。20~25℃で2~3週間たち菌が生育したのを確認して,その上を土またはピートで覆う。これが刺激となりキノコが発生する。わらの堆肥化処理開始後,収穫まで約60日間である。フクロタケ,キクラゲなどもわら,バガスなどで栽培されるが,殺菌は簡単な方法で,また覆土は行われていない。
執筆者:善本 知孝
伝承,民俗
国により民族によって違うが,キノコには特別の関心をもつ人が多い。一方では魔性の生き物として恐れられ,一方では不老長生の霊薬とされ,あるいは幸福の使者とされ,ときにはおとぎの国,夢幻の世界に誘う神秘の生き物とされる。アメリカのモルガン商会の総裁であったワッソンR.G.Wassonは,趣味から取り組んだキノコにまつわる民俗学的研究を発展させて,キノコ民俗学ethnomycologyの分野を開拓した。ワッソンの研究はメキシコの山岳地帯に住む原住民に伝わる幻覚性キノコに伴う風習について,またインドのバラモン教の聖典《リグ・ベーダ》にある神にささげる聖なる供物ソーマについて考証をすすめ,これがベニテングタケであるという独創的な説を発表した。
ベニテングタケは毒キノコであるが,ヨーロッパではこれを幸福をもたらすキノコとして壁掛け,置物,服飾のアクセサリーなどの図案,題材に用いる。道教の思想をいだく中国人は福禄寿(ふくろくじゆ)を現世の理想とし,寿すなわち不老長生をもたらすものとして霊芝を瑞祥(ずいしよう)の象徴としてたっとび,絵画や置物の題材にとりいれた。霊芝によっていかに長寿を願ったかは,道教の15世紀はじめの経典《道蔵》の第1051巻に〈太上霊宝芝草品〉があり,これに1000年から10万年の長寿を保つという空想の芝草すなわち霊芝のたぐい127種を図説してあることによっても明らかである。
キノコの古名のタケの語源は〈猛(たけ)り〉〈長(た)ける〉で速やかな生長を意味するとする説もある。そしてキノコはその形から男根の連想を生んだ。この連想は日本民族だけのものではないが,日本の文化にかかわりの強い中国文化の影響ではない。キノコ形に石を刻んで金精様(こんせいさま)と同様に祭り,また夫婦和合,子宝を願って,おかめがマツタケ形のキノコを抱く人形を古くから民芸品としてつくる地方がある。中国文化の影響をうけてからは霊芝を幸福の使者とするようになり,福草(さきくさ),幸茸(さいわいたけ)の名でも呼んだ。庭にマンネンタケが生えると瑞兆とし,一家のあるじが旅立つときはマンネンタケを門先にさげて無事の帰還を祈る地方もあったといい,カドデタケの名も生まれた。霊芝はまた画材にもなり,これをかたどった置物,文鎮,はし置き,根付などさまざまな装飾品もある。これ以外にもマツタケ,ホンシメジ,ハツタケなども霊芝と同様にかたどられる。
執筆者:今関 六也 ヨーロッパでは日本ほど食用にされないが,イタリアでは食べ,その風習がキリスト教徒を介してドイツにも入った。赤い毒々しいキノコは悪魔に関係づけられ,生長がひじょうに早いため小人や妖精とも結びつく。なかでもホコリタケはほこりのいっぱい詰まった袋の形で人々の注意をひき,これが雨後多量にあらわれることから雨の妖精とみなされ,キリスト教改宗前には,人間に恵みの雨を降らせるトール神の娘とされた。キノコの起源に関係のある聖徒伝説もある。イエスと弟子たちに何も食物のないことがあった。ペテロはパンを盗んで,こっそり食べようとした。ひと口口に入れ食べようとすると,そのたびにイエスが話しかけるので,ペテロは全部吐き出さなければならなかった。そのパンが地上に落ちたところからキノコが生えたのだという。村の女子どもの楽しみの一つに茸狩りがある。俗信によるとキノコのたくさんできる年は飢饉になるとされる。
執筆者:谷口 幸男
日本での食用史
日本人は古くからキノコをよく食べたが,最も珍重されたのはマツタケである。マツタケに続いては,《梁塵秘抄》に〈聖の好むもの……松茸(まつたけ),平茸,なめすすき〉と見えるように,〈平茸〉や〈なめすすき〉が喜ばれた。ヒラタケの名は《今昔物語集》などに多く見られ,当時の国司らの“転んでもただでは起きぬ”式の強欲さの典型とされる藤原陳忠(のぶただ)が,転落した深い谷底から事のついでと取ってくるのも,ヒラタケということになっている。〈なめすすき〉は滑薄と書くこともあり,エノキタケの異名とされる。ほかにシイタケ,ショウロ,シメジ,イワタケなどが中世の文献にしばしば見られる。近世初期に刊行された《料理物語》には,以上のもののほかに,〈初茸〉〈いくち〉〈よしたけ〉〈木くらげ〉〈かうたけ〉〈鼠茸(ねずたけ)〉の名が見える。このうち,〈いくち〉はなん種類かの集合名ともいわれるが,次の〈よしたけ〉とともに実体不明,〈かうたけ〉はコウタケで,革茸,皮茸などと書き,〈鼠茸〉はホウキタケの別称である。
執筆者:鈴木 晋一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報