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ショスタコービチ

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百科事典マイペディアの解説

ショスタコービチ

ロシア(ソ連)の作曲家,ピアノ奏者。ポーランド人の血を引く父とピアノ奏者の母の間に生まれる。早くから並外れた天分を示し,1919年−1925年生地のペトログラード音楽院(在学中にレニングラード音楽院と改称,現ペテルブルグ音楽院)に学ぶ。
→関連項目カバレフスキーグラズノフ交響曲ハルトマンピッコロポクロフスキーミヤスコフスキーリヒテルロシア国民楽派

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世界大百科事典 第2版の解説

ショスタコービチ【Dmitrii Dmitrievich Shostakovich】

1906‐75
ソ連邦の作曲家。技師でポーランドの血を引く父と,シベリア金山の監督官の娘でピアニストの母との間に生まれたひとり息子。少年時代に彼の異常な音楽的才能に気づいた母親はその才能をたいせつに育てた。彼は1919年ペトログラード音楽院に入学し,ピアノをL.V.ニコラエフ,作曲をM.O.シテインベルグに学んだ。卒業作品として書いた《交響曲第1番》(1925)はいち早く国際的な評価を受け,彼の出世作となった。卒業後劇音楽や映画音楽に広く接し,20年代ソ連の自由な雰囲気の中で職人的な腕を磨いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ショスタコービチ
しょすたこーびち

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世界大百科事典内のショスタコービチの言及

【映画音楽】より

…(1)ピアニストが画面を見ながらイメージに合わせて即興で演奏する。ショスタコービチも無名時代には家族を養うためにこうした映画館のピアニストをやっていたという。(2)やがて,映画のシーンの性格(愛のシーン,悲しみのシーン,追跡シーン等々)と音楽との関係に一定のパターンができて,伴奏音楽のために選曲,抜粋された小曲集が編まれ(1913年に初めて出版されたが,もっとも有名なものは19年にベルリンで発行されたジュゼッペ・ベッチュ編の《キノテーク》であったといわれる),それを基に映画館で演奏されるようになる。…

【社会主義リアリズム】より

…しかし,一部に見られたリアリズム万能論への傾斜は,スターリン体制確立の過程で,世界観,イデオロギー強化の立場から強い反撃を受ける。30年代半ばにはバーベリ,ピリニャークら,独自のスタイルをもつ作家が粛清で大量に抹殺され,さらに作曲家ショスタコービチ批判,メイエルホリド劇場解散など,芸術界全般に及ぶ〈形式主義〉批判キャンペーンもあって,社会主義リアリズムはソビエト文学画一化のための具と化していく。〈内容において社会主義的,形式において民族的〉というスターリンの定義は,この方法のいっそうの教条化につながった。…

※「ショスタコービチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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