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スーサ Sousse; Sūsah

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スーサ
Sousse; Sūsah

チュニジア中央東部,ハンマメット湾南岸の港湾都市で,スーサ県県都。肥沃なオリーブ,穀物栽培地域にある商業中心地。イワシの缶詰,自動車組立て,オリーブ油製造,綿紡などの工場がある。リン鉱石,石油,エスパルト草 (パルプ原料) ,皮革,アーモンド,海綿の輸出港。前9世紀にフェニキア人が貿易基地として建設し,カルタゴ,ローマ時代を通じて繁栄した。初期キリスト教のカタコンベ跡が残る。ビザンチン時代からアグラブ朝までの城塞に囲まれた旧市街には大モスク,市場やイスラム教徒居住地があり,1988年世界遺産の文化遺産に登録。人口 10万 1071 (1989推計) 。

スーサ
Susa

イラン南西部の古代都市。スサとも表記される。ザグロス山脈南麓に位置し,今日のフージスターン州シューシュ Shushにあたる。エラム王国とアケメネス朝ペルシアの首都。前4000年頃から定住があったと推定され,アッカド時代にはエラム民族の国家が生まれ,その首都となったが,前640年頃アッシリアアッシュールバニパルによって破壊された。しかし前522年からアケメネス朝ペルシアダレイオス1世とその後継王たちがここを首都と定め,宮殿をはじめ都市が建設されて大いに栄えた。首都がペルセポリスに移ったあとも,冬宮,交易中心地として重んじられた。ヘレニズム時代にはセレウキアと呼ばれて自治都市となり,3~7世紀のササン朝ペルシアでは絹の産地として有名であった。14世紀末前後まで地方の中心都市として栄えた。2015年世界遺産の文化遺産に登録。(→スーサ遺跡

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デジタル大辞泉の解説

スーサ(Susa)

イラン南西部の古代都市。エラム地方の都で、前7世紀にアッシリアに滅ぼされたが、のちアケメネス朝ペルシアの首都として繁栄した。現在のフーゼスターン州の都市シューシュ
リビア北東部、キレナイカ地方の町。地中海に面し、ベイダの北東約30キロメートルに位置する。古代ギリシャの植民都市アポロニアの遺跡があることで知られる。

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百科事典マイペディアの解説

スーサ

イラン南西部,ジズフルの南東にある古代オリエントの遺跡。先史時代からメソポタミア文明との関係が深く,彩文土器彩陶)をもつ先史文化は,メソポタミアのウバイド期(ウバイド文化),ジャムダット・ナスル並行期に相当する。
→関連項目チョーガ・ザンビルペルシア帝国モルガン

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世界大百科事典 第2版の解説

スーサ【Susa】

イラン南西部のザーグロス山脈西麓,フージスターン平原にある古代都市遺跡。ペルシア湾頭から北へ約240kmの地点に位置する。先史時代からメソポタミアとイラン高原をつなぐ交通の要所として重要な役割を果たしてきたが,アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世がここに首都を建設したことによって巨大な都市跡を残した。 遺跡の主要な部分は南北に長い菱形で,南北1400m,東西800m,北に〈アパダーナapadāna〉,西に〈アクロポリス〉,東に〈王の都市〉,南に〈天主閣〉と便宜的に名付けられた4地区からなり,最高のアクロポリスで周囲からの高さが35mある。

スーサ【Sūsa】

チュニジアの東部地中海岸にある港湾都市。スースSousseともよばれる。古称ハドルメトゥムHadrumetum。人口約12万5000(1994)。チュニスの南280kmのハッマーマート湾に面し,前9世紀にフェニキア人によって建設され,古くから港町として栄えた。フランス植民地時代,鉱山鉄道がスファックスに敷設されるまでは,リン鉱石の積出港として発展した。現在は外国工業製品の輸入港,背後のサヘルのオリーブ油の輸出港であり,風光明媚な海岸にはホテルが並ぶ。

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大辞林 第三版の解説

スーサ【Susa】

イラン南西部にあるアケメネス朝ペルシャの都市遺跡。エラム時代の彩文土器や、エラム人がバビロンから持ち帰ったハンムラピ法典碑の出土で名高い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

スーサ
すーさ
Susa

イラン南西部のフーゼスターン地方にある、先史時代からイスラム時代にわたる遺跡。カールーン川に合流するシャーウル川左岸にあり、とくにアケメネス朝ペルシアの都市がもっとも有名である。遺跡の北端には玉座の間であるアパダーナとダリウスの宮殿、その南西にアクロポリスがあり、南東に王の都市と名づけられた計三つのテル(遺丘)が連続し、王の都市の東に技術者の都市とよばれるテルがある。アクロポリスからは、スーサI型と名づけられた彩文土器が出土しているが、それとともに動物文、人物文、幾何学文などの土器が出土し、それはシアルク期、ウバイド期と関係が深い。アパダーナ、ダリウス王宮のあるテルは、アパダーナの丘とよばれる。ダリウスの王宮からはバビロニア語、エラム語の粘土板文書が発見され、王の都市は、フランスのギルシュマンの発掘により、イスラムからエラム時代までの15層が確認されている。シャーウル川右岸でも大広間が発見されている。現在のスーサの東に接したアクロポリスの丘の麓(ふもと)には、出土品を収蔵した博物館がある。[糸賀昌昭]

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世界大百科事典内のスーサの言及

【エラム】より

…イラン南西部のスーサを中心とした平野部と,イラン高原南部の山岳部から成る地域に存在した古代の国家。エラムはメソポタミアの文献に現れる名称で,もともと山岳部の地方を指していた。…

【金属工芸】より

工芸【中野 政樹】
【オリエント,西洋】

[オリエント]
 オリエントで最も早く採取され利用された金属は銅で,主要な加工技法は鍛造と鋳造とであった。エジプトでは前5千年紀のバダーリの遺跡から銅製のビーズ,鎖,ピンなどの小品が出土しているし,一方,エラムのスーサでは,前3000年以前にさかのぼる鏡や斧が発見されている。青銅は前3千年紀の後半,西アジアにあらわれたが,エジプトにも輸入されて第12王朝ころから普及した。…

【ペルシア帝国】より

… キュロス2世はパサルガダエ,ダレイオス1世はペルセポリスに新しい王城を建設した。しかし,スーサエクバタナバビロンもまた王都として利用され,とくにスーサは事実上の首都の役割を果たした。王は政務に際して側近の重臣に意見を求めたが,重大な決定事項はすべての高官が出席する大評議会にはかった。…

※「スーサ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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