ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セウェルス」の意味・わかりやすい解説
セウェルス
Severus, Lucius Septimius
[没]211.2. ブリタニア,エボラクム
ローマ皇帝(在位 193~211)。セプチミウス・セウェルスとも呼ばれる。セウェルス朝の祖。騎士身分(エクイテス)の出身,軍人として活躍。190年執政官(コンスル),上パンノニア総督。コンモドゥス帝暗殺後の混乱に乗じ,193年カルヌンツムで皇帝に即位しローマに入る。近衛軍を解体して全軍団から新防衛軍を徴発し,軍団を各地に増設。同時に兵士の待遇も改善した。政策面ではイタリア偏重策を改め,ガイウス・ペスケンニウス・ニゲルを討って東方を平定,シリアを分割して反乱を予防した。王朝を開くため子のカラカラを副帝とし,みずからの家系をアントニヌス家に結びつけた。さらに西方の副帝アルビヌスを討ってブリタニアを二分し,197年クテシホンを落としてパルティアに大勝。202年カラカラを共治帝としてローマに帰還した。ブリタニアに遠征中,病とカラカラの離反に悩まされながら没した。セウェルスは帝権の拡大を目指し,権力の地盤が軍隊にあることを認め,元老院を抑圧,法制にも興味をもち,法学者ドミティウス・ウルピアヌス,イウリアヌス・パウルス,アミリウス・パピニアヌスを登用。また財源を増すため統制経済に踏み出したが,軍団増設,兵士給与の増加,戦費,植民市建設,大建築などのため死後多大の経済的負担を残した。
セウェルス
Severus, Flavius Valerius
[没]307. ガリア,トレス・タベルナエ
ローマ皇帝 (在位 306~307) 。イリュリクムの貧民から軍人となり,パンノニアで活躍。 305年コンスタンチウス1世の下で副帝となり,パンノニア,イタリア,アフリカを支配。 306年にはガレリウスとともに正帝。重税を課したため,ローマ市に反乱が起り,これを指揮したマクセンチウスとその父マクシミアヌスに敗れて捕われ,処刑された。
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