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ソロモン諸島 ソロモンしょとう Solomon Islands

翻訳|Solomon Islands

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ソロモン諸島
ソロモンしょとう
Solomon Islands

正式名称 ソロモン諸島 Solomon Islands。面積 2万8370km2。人口 53万5000(2011推計)。首都 ガダルカナル島ホニアラ。南西太平洋ソロモン諸島のうちブーゲンビル島およびブカ島を除く島々からなる国。

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ソロモン諸島
ソロモンしょとう
Solomon Islands

南西太平洋,ニューギニア島の東方に北西から南東へ 1400kmにわたり点在する島群。北部にブカ島,ブーゲンビル島,中央部に東西2列の島 (西側はベララベラ島,ニュージョージア諸島ガダルカナル島,東側はショアズル島サンタイザベル島マライタ島 ) があり,サンクリストバル島で合流する。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

ソロモン諸島

主要6島と千近い島・環礁が東西約1400キロに延び、日本と同じ環太平洋火山帯に位置する。人口約61万5千人(13年家計収支調査)。豪州プレート太平洋プレートの境界が近く、海溝型の大地震が発生しやすい。1931、39、88、2007、13年にM8前後の地震が起き、死者が出ている。1978年に英国から独立したが英連邦諸国の一つで、元首は英女王。

(2016-05-05 朝日新聞 朝刊 2外報)

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デジタル大辞泉の解説

ソロモン‐しょとう〔‐シヨタウ〕【ソロモン諸島】

Solomon Islands
南太平洋西部、ニューギニア島の東に位置する諸島。ブーゲンビル島・ブカ島はパプアニューギニアに、他の島はソロモン諸島国に属する。
メラネシアにある国。ソロモン諸島の大部分を占め、首都はガダルカナル島ホニアラコプラなどを産する。英国の保護領から1978年に独立。人口56万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

ソロモン諸島【ソロモンしょとう】

◎正式名称−ソロモン諸島Solomon Islands。◎面積−2万8370km2。◎人口−53万6000人(2010)。◎首都−ホニアラHoniara(6万5000人,2009)。
→関連項目サン・クリストバル[島]サンタ・イサベル[島]サンタ・クルーズ[諸島]ショアズール[島]ホニアラマライタ[島]メラネシア

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世界大百科事典 第2版の解説

ソロモンしょとう【ソロモン諸島 Solomon Islands】

正式名称=ソロモン諸島Solomon Islands面積=2万8896km2人口(1996)=40万人首都=ホニアラHoniara(日本との時差=+2時間)主要言語=メラネシア諸語ピジンイングリッシュ,英語通貨=ソロモン諸島ドルSolomon Islands Dollar南西太平洋,メラネシアの独立国。
[自然,住民]
 独立国としてのソロモン諸島は,地理上のソロモン諸島のうち,北部のブカ島とブーゲンビル島(いずれもパプア・ニューギニア領)を除いた島群で構成され,南緯5゜~12゜,東経155゜~170゜の海域に,ブーゲンビル島の南端からサンタクルーズ諸島まで,北西から南東方向に2列の島列をなす。

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大辞林 第三版の解説

ソロモンしょとう【ソロモン諸島】

〔Solomon Islands〕 南太平洋、ソロモン諸島を領土とする国。1978年イギリスから独立。主産物はカツオ・マグロなどの魚で、ほかにコプラ・ヤシ油・ラワン材など。首都はガダルカナル島のホニアラ。住民はメラネシア人。主要言語はビスラマ語・ペタツ語・英語。面積2万9千平方キロメートル。人口50万( 2005)。正称、ソロモン諸島。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ソロモン諸島
そろもんしょとう
Solomon Islands

オーストラリアの北東1800キロメートルに位置するメラネシアの群島国家。国土面積2万8896平方キロメートルで、太平洋島嶼(とうしょ)国のなかではパプア・ニューギニアに次ぐ広さである。人口48万3000(2006年推計)、52万3170(2009年、世界銀行)。1978年7月にイギリスから独立。使用通貨はソロモン・ドルで、英語が公用語。部族ごとにたくさんの言語があるので、人々の共通語としてピジン英語が使われている。首都はガダルカナル島のホニアラで、人口は約6万(2010年)。[小林 泉]

自然・地誌

大小1000もの島々からなる国土は、九つの州に区分されている。主要島は六つあり、北側にチョイスル島、サンタ・イザベル島、マライタ島、南側にニュー・ジョージア島、ガダルカナル島、サン・クリストバル島が2列に並んでいる。熱帯雨林に覆われた丘陵島が多いが、国内最大のガダルカナル島には標高2000メートルを超える山がある。古くはパプア・ニューギニアと陸続きだったため、古い地質の陸島(大陸棚が存在する島)と火山島が混在しており、地震のある島としても知られる。気候は1年を通じて高温多湿であるが、5月から12月にかけては比較的雨の少ない季節である。国土が海洋に分散しているが、パプア・ニューギニアやバヌアツの島が隣接しているために、排他的経済水域はクック諸島よりも狭い134万平方キロメートルにとどまっている。
 住民は95%がメラネシア系で、総人口の2割弱が都市部で賃金労働に従事しているが、そのほかの大半の国民はタロ、ヤム、キャッサバなどの根茎類や豆類を焼畑で耕作する伝統的自給農業や沿岸漁業で暮らしを立てている。[小林 泉]

歴史

南アメリカのペルーから出航したスペインの探検家アルバロ・デ・メンダーニアは、1568年に到達した島をサンタ・イザベルと名づけた。ペルーに戻った彼は、周辺島嶼を含めてこの一帯をソロモン諸島と命名する。これは旧約聖書に登場するソロモン王の失われた黄金伝説にちなんだもので、本国スペインの関心を集めて再度の探検資金を調達するためであった。しかし、二度目の探検が実現できたのはそれから27年後、結局メンダーニアは黄金をみつけられずマラリアで死亡した。その後の約300年間はほとんど忘れ去られた諸島となり、ふたたび関心が高まるのは19世紀に入ってからであった。捕鯨船の寄港、ナマコや白檀(びゃくだん)、べっこうなどを求める貿易商、キリスト教各会派の宣教師が行き交い、ビーチコーマーとよばれる白人たちも住み着くようになった。イギリスは1893年に中部・東部の島々の領有を宣言、さらに1900年にはドイツと領有権を争っていたサモアからの撤退を条件に、ドイツ領であった北西部を獲得して、現在のソロモン諸島全域を植民地とした。
 太平洋戦争が始まった翌年の1942年、日本軍がガダルカナル島に進出すると、同島および周辺海域は日米の主戦場と化し、日本人将兵2万人超の戦死者を出した。
 太平洋戦争終戦後はふたたびイギリスの統治が始まった。その後の各地での植民地独立機運の高まりのなかでイギリスはソロモン諸島からの撤退を視野に入れ、1970年に公選議員による自治評議会を発足させた。1976年には自治政府が樹立され、1978年にソロモン諸島として独立した。[小林 泉]

政治

政体はイギリス女王(国王)を元首とする立憲君主制で、女王の名代を務める総督は選挙で選ばれる。議会は議席数50の一院制で任期は4年。議院内閣制をとっており、政府は首相と20人の閣僚で構成される。
 この国の地理的範囲は、イギリスの植民地統治の都合により決められたもので、言語、慣習が異なるそれぞれの島の住民にとっては単一行政で統合される必然性は皆無であった。人々にはソロモン諸島を一つの運命共同体としてとらえる国家意識はなく、結果としてつねに出身島の利害や部族間の対立が政治に反映されることになった。この弊害が顕著に表面化したのが、1998年に起こった激しい部族衝突である。首都の置かれるガダルカナル島には、対岸にあるマライタ島出身の公務員や労働者が多数居住しているが、これを排斥しようとしたガダルカナル人に対するマライタ人の報復が激化したのである。これが2000年6月には、マライタ人武装勢力による首相拘束事件にまで発展。政権交代が起こり、政府とガダルカナル、マライタ双方の武装勢力代表の間で和平協定が結ばれたが、その後も混乱は収まらなかった。結局、2003年にオーストラリア、ニュージーランドの警察・軍が中心となったソロモン地域支援ミッション(RAMSI=Regional Assistance Mission to Solomon Islands)が派遣されて、ようやく治安が改善された。2010年8月、国際選挙監視団が監視するなか、総選挙が平和裏に実施されて新しい政権が発足したが、これで本質的な解決とはならない。中央集権制を維持するか、地方分権による連邦制国家にするかの議論は今後も続くであろう。[小林 泉]

経済・社会

国民の75%は自給的な農業や沿岸漁業に従事している。周辺海域は好漁場で、外国との合弁による水産業は早くから始まっている。魚貝類、コプラ(ココヤシの果実の胚乳を乾燥させたもの)、パーム油などの一次産品が数少ない輸出品目で、これらの輸出額は年間4000万ドル(アメリカ・ドル)程度。1990年代になって、主としてマレーシア資本の木材伐採事業が盛んになり、この輸出で年間6000万ドル(アメリカ・ドル)以上を稼ぎ出しているが、一方で森林伐採による環境破壊も問題になっている。ボーキサイト、金、銅、マンガン、ニッケルなどの鉱物資源の存在も確認されているが、開発は進んでいない。
 比較的大きな島が分散しているため、都市部を除いた伝統的な村落社会の開発がほとんど進んでおらず、貨幣経済も十分に浸透していない。それは植民地行政が地方まで及ばなかったからで、成人の識字率を60%程度の低い水準にとどめている原因である。国内生産の不足は、海外出稼ぎによる送金で補っているのがポリネシア、ミクロネシア諸国の典型的な経済構造であったが、ソロモン諸島などメラネシア諸国では西洋人との接触が少なく、植民地の影響を受けなかった分だけ現代社会への適応が遅れ、外国に出稼ぎに出る条件が整わなかった。国土も大きく潜在鉱物資源も豊富なこの国の1人当りGNI(国民総所得)が 910ドル(アメリカ・ドル、2009年)と域内で最低の水準にあるのは、そのためである。国全体のGDP(国内総生産)は4億8000万ドル(アメリカ・ドル、2009年)。しかし、原初的豊かさを秘めた伝統社会での人々の暮らしは、この現金水準で想像するよりもはるかに豊かだといえるだろう。
 19世紀に入って急増した西洋人の流入時からキリスト教が浸透し、いまではプロテスタント系の各会派の活動によってほぼ全国民がキリスト教徒になった。1998年に、最南端にあるイースト・レンネル島が世界遺産(自然遺産)に登録されている。
 教育制度は、6年制の初等教育と7年制の中等教育が設けられており、教育使用言語は英語。離島や未開発地域が多いため、初等教育の就学率は60%程度にとどまっている。高等教育機関としては、国内に南太平洋大学(本校はフィジー)の分校と教員養成短期大学があるが、奨学金を得られた者はオーストラリアの大学や南太平洋大学本校など海外に出る。[小林 泉]

日本との関係

太平洋戦争で日米軍隊の激戦地となったガダルカナル島やその周辺諸島には、いまでも日本からの慰霊団が訪れている。ホニアラ国際空港の滑走路は、旧日本軍が建設した跡を整備してつくった。また、空港ビルの建設には日本の援助が入っている。戦争という歴史があったものの、一般住民に反日感情はなく親日的である。日本は入漁協定を結んでおり、日本漁船がこの近辺海域で操業している。2009年(平成21)までの日本からの累積ODA(政府開発援助)供与額は283.41億円になっており、青年海外協力隊をはじめとする援助関係者を中心に70人ほどの在留邦人がいる(2009)。ホニアラにも駐在官事務所が置かれており、駐パプア・ニューギニア大使館が兼轄している。[小林 泉]
『秋道智彌・関根久雄・田井竜一編『ソロモン諸島の生活誌』(1996・明石書店) ▽大塚柳太郎編『ソロモン諸島 最後の熱帯雨林』(2004・東京大学出版会)』

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世界大百科事典内のソロモン諸島の言及

【メンダーニャ】より

…ペルー総督の甥であったメンダーニャは,うわさに聞く黄金のあふれる南方大陸を発見・領有すべく,1567年ペルーのカヤオ港を出帆,南太平洋に向かった。一行はエリス諸島を望見し,68年ソロモン諸島のサンタ・イサベル,ガダルカナル,マライタ,サン・クリストバル島を〈発見〉した。サン・クリストバル島に植民地を建設しようとしたが失敗し,68年カヤオに帰着した。…

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