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タジキスタン タジキスタン Tajikistan

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

タジキスタン
タジキスタン
Tajikistan

正式名称 タジキスタン共和国 Jumhurii Tojikistan。面積 14万3100km2。人口 768万1000(2011推計)。首都 ドゥシャンベ中央アジア南東部の国。北はキルギス,東は中国,南はアフガニスタン,西はウズベキスタンと国境を接する。

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知恵蔵2015の解説

タジキスタン

タジキスタンでは1992年以来、内戦と国境紛争が続いていた。92年春には、ソ連時代以来の共産党系政府とイスラム再生党などイスラム勢力との間で内戦となった。同年12月には共産党系のエモマリ・ラフモノフ(現ラフモン)大統領(当時は最高会議議長)の政権が成立。この政権に対してイスラム勢力は、アフガニスタン・ゲリラの支援を得て、国境紛争となった。97年2月には政府と反政府勢力は連立政府のための国民和解委員会をつくり、同年6月にロシアなどの仲介で和平協定に調印した。しかし、イスラム勢力は98年1月、政府が和平協定を履行していないとして、国民和解委員会への参加停止を発表。イスラム原理主義の拡大阻止と中央アジアでの影響力保持を狙うロシアは、タジキスタンに3万の兵力を投じてラフモン政権を援護している。2001年の米同時多発テロ後は、対アフガニスタン政策で米国とも協力している。05年3月のキルギスの政変(チューリップ革命)の後、野党への締め付けも強まった。外交、経済面では、最近中国との関係を強めている。

(袴田茂樹 青山学院大学教授 / 2008年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

タジキスタン

ソ連崩壊に伴い、1991年に独立。翌92年、イスラム勢力などが旧共産党の体制派と対立し、内戦状態となった。体制派のラフモン氏が内戦下に最高会議議長に就任し、94年の選挙で大統領に選ばれた。 国土の9割以上がパミール高原などの山岳地帯。人口は約840万人でイスラム教徒が多数を占める。13年の1人あたりの国内総生産は1046ドル(約13万円)と中央アジア諸国で最も低い。

(2016-01-21 朝日新聞 朝刊 2外報)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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デジタル大辞泉の解説

タジキスタン(Tadzhikistan)

タジク語で「Tojikiston」と綴る》中央アジアの共和国。アフガニスタン中国と国境を接する。首都ドゥシャンベ。1991年ソ連邦解体に伴い独立。住民はタジク人ウズベク人が多い。綿・絹織物を産する。旧称タジク。人口749万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

タジキスタン

◎正式名称−タジキスタン共和国Jumhurii Tojikistan/Republic of Tajikistan。◎面積−14万3100km2。◎人口−756万人(2010)。
→関連項目ウズベキスタン中央アジアトルキスタン

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世界大百科事典 第2版の解説

タジキスタン【Tajikistan】

正式名称=タジキスタン共和国Jumhurii Tojikistan∥Republic of Tajikistan面積=14万3100km2人口(1996)=594万人首都=ドゥシャンベDushanbe(日本との時差=-4時間)主要言語=タジク語(公用語),ウズベク語ロシア語通貨=タジク・ルーブルTajik Rubl’中央アジア南東部の共和国で,独立国家共同体(CIS)構成国の一つ。旧ソ連邦の構成国であったタジク・ソビエト社会主義共和国が1991年独立し,改称したもの。

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大辞林 第三版の解説

タジキスタン【Tadzhikistan】

中央アジアの南東部、パミール高原に位置する内陸国。共和制。南はアフガニスタンと、東は中国に国境を接する。綿花を産し、牧羊も盛ん。1991年12月ソビエト連邦の解体により独立。住民はタジク人とウズベク人が多い。首都ドゥシャンベ。面積14万3千平方キロメートル。人口650万( 2005)。旧称、タジク。正称、タジキスタン共和国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

タジキスタン
たじきすたん
Republic of Tajikistan英語
Jumhrii Tojikistonタジク語
Республика Таджикистан Respublika Tadzhikistan ロシア語

中央アジアに位置する共和国。かつてはソビエト連邦を構成する15共和国の一つ、タジク・ソビエト社会主義共和国Таджикская ССР/Tadzhikskaya SSRであったが、ソ連崩壊(1991年12月)直前の1991年9月9日独立を宣言し、従来の地域名を採用してタジキスタン共和国と改称した。南はアフガニスタン、東は中国、西と北はウズベキスタン、キルギスに接する。面積14万3100平方キロメートル、人口699万2000(2006推計)。首都はドゥシャンベで、人口55万3000(2007)。[山下脩二・木村英亮]

自然

タジキスタンの東半はパミール高原、北西はトルキスタン、ゼラフシャン、ギッサールなどの山脈、北はフェルガナ盆地の西端、南西はバフシュ川とギッサールの谷、南はアムダリヤ右岸地域である。以上のように国土の90%は山地で占められている。パミール高原は標高5000メートルを超える高山地域で、コムニズム峰(7495メートル)やレーニン山(7134メートル)があり、アルピニストにはよく知られた地である。主要河川は北にシルダリヤ、ゼラフシャン、南にアムダリヤとその支流のバフシュ、カフィルニガンがある。気候は極端に大陸的で、平均気温は1月零下2℃前後、7月は27℃~30℃、年降水量は平均して700ミリメートル、東部では100ミリメートルにも達しない。大部分の地域は砂漠ないしステップ(短草草原)である。[山下脩二・木村英亮]

歴史・政治

タジキスタンを含む中央アジア最古の国家はバクトリアである。この地域は紀元前6~前4世紀にイラン人に占領され、さらにギリシア人、トルコ人によっても支配された。8世紀アラブに征服され、9世紀サーマーン朝が大国家を建設する。13世紀モンゴルが征服、16世紀ブハラ・ハン国がその大部分を併合する。ロシアは1868年、フェルガナ、サマルカンドなどを併合し、ブハラ・ハン国を保護国とした。1917年11月のタシケントにおけるソビエト政権の成立は、タジキスタン北部に大きな影響を及ぼした。ブハラ・エミール(汗)は、コルチャーク、ドゥートフなどの白軍やバスマチ運動とよばれるムスリム農民の反ソ暴動と結び、反動的な内外政策をとり続けたが、1920年8月、チャルジュイ(チャルジョウ、現トルクメナバード)での武装蜂起(ほうき)を機にフルンゼの率いる赤軍が入城し、10月ブハラ人民ソビエト共和国が成立した。これは1924年9月社会主義共和国となる。同年中央アジア民族的境界区分が行われてウズベク共和国の一部としてタジク自治共和国が誕生、ブハラ共和国の一部はそのなかに含まれることになった。タジク自治共和国は1929年に連邦構成共和国へ昇格、タジク・ソビエト社会主義共和国となった。
 1990年8月タジク最高会議は主権国家宣言を採択、タジキスタン共和国となり、1991年9月9日独立を宣言、12月独立国家共同体(CIS)に加盟した。
 タジキスタンでは共産党の勢力が強く、1991年のソ連における八月クーデター後も共産党勢力が攻勢をとり、11月24日の大統領選挙で共産党のナビエフRakhman Nabiev(1930―1993)を当選させた。1992年に急進改革派の民主党とイスラム再生党が結んで大統領に連立をのませ、9月にナビエフを辞任に追い込んだが、その後南部クリャブ州で結成された旧共産党系の人民戦線部隊が首都ドゥシャンベを取り戻し、12月にソフホーズ(国営農場)議長の経歴をもつ最高会議議長ラフモノフ(2007年4月ラフモンに改姓)の政府を樹立した。イスラム勢力はこれに対し、アフガニスタン・ゲリラの支援を得て攻撃したため内戦が続き、全人口の1割にも達する50万人以上の難民が発生、人民戦線議長サファロフも1993年3月末に殺害された。ラフモノフは1994年11月6日の大統領選挙で、私的所有を訴え企業家の支持を得たアブドラジャノフを破って当選し、同時に行われた国民投票で新憲法を採択した。政府軍のなかでも腐敗に抗議して反乱が起こり、1996年2月第一副首相などを解任した。ラフモノフは1999年11月の大統領選挙で再選、2006年11月には3選を果たした。
 内戦に対応するため、タジキスタンはロシア、アルメニア、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスタン(現キルギス)と1992年5月15日に集団安全保障条約に調印したが、8月7日にはこの中央アジア4か国とロシアが首脳会議を開き、集団安全保障条約に基づいて、タジキスタンの国境をCIS共通の国境とみなし共同防衛することを声明した。ロシア軍は約2~3万人のCIS合同平和維持軍を国境に配置しているが、ロシア軍と反政府ゲリラの間で戦闘が行われていた。1994年以降、政府と反政府との間で停戦の話し合いが続けられ、1997年6月に最終的和平協定に調印した。その後、1999年9月の憲法改正国民投票、11月の大統領選挙を経て、2000年に議会選挙が行われ、和平プロセスが完了した。
 大統領の任期は7年。議会は二院制で、議員定数は上院(国民議会)33、下院(代表者会議)63、任期はともに5年である。[山下脩二・木村英亮]

産業・経済

従来ヒツジ、ヤギ、ヤクの放牧を専業としてきた住民は、灌漑(かんがい)された農業用地(全土の30%を占める)で穀物、ビート(サトウダイコン)、ジャガイモの栽培や、スイカ、リンゴ、ナシの果樹栽培を行っている。山麓(さんろく)での細繊維種の綿花栽培も盛んである。フェルガナ盆地の絹、綿、アムダリヤ流域の綿はもっとも重要な作物となっている。食品工業はぶどう酒醸造と製油で、ぶどう酒は北部、製油は南部で盛んである。有色金属、希金属の宝庫でもあり、山麓地域の工業化が計画され、急流を利用していくつかの水力発電所も建設された。とりわけバフシュ川をせき止めてつくったヌレク発電所は出力270万キロワットで、工場や町村民に十分な照明、熱、動力を供給している。工業生産は少ないが、ソ連時代からアルミニウム生産が行われており、輸出産業の中心を占めてきた。対外貿易はアルミニウム、綿繊維などを輸出し、石油製品、電力、機械設備などを輸入している。1人当りの国民所得はCIS諸国のなかでも最低で、1995年には経済危機回避のため、ロシアとの間に援助協定が結ばれた。1993年4月には国際通貨基金(IMF)に加盟している。
 1995年5月15日独自の通貨タジキスタン・ルーブルを導入、それが2000年よりソモニに変更となった。[山下脩二・木村英亮]

社会

タジク人は中央アジア諸国の国の名称を名のる民族のなかで唯一のイラン系民族である。1989年の人口調査では、総人口509万人のうちタジク人は62.3%、ウズベク人23.5%、ロシア人7.6%であった(2007年にはタジク人64.9%、ウズベク人25%、ロシア人3.5%などとなっている)。首都ドゥシャンベではロシア人が32.4%である。ロシア人は首都とその北の都市フジャント(ソ連時代の名称レニナバード)に住み、工業労働者の6割以上を占め、研究、教育、医療、管理部門など高い資格を求められる部門で活躍してきた。ロシア人で公用語であるタジク語を知っているものは3.5%にすぎない。ドイツ人は3万2671人、ユダヤ人は9701人であったが、ロシア人と同様、混乱のなかでドイツ、イスラエルなどに移住し、現在では激減しているものと思われる。
 タジク人は1989年の人口調査で317万人であるが、アフガニスタンにはもっと多い370万人がおり、この隣国の内戦にさまざまなかたちでかかわらざるをえない。タジク人の一つの特徴は、第二言語としてロシア語を修得している者が3割と低いことである。もう一つの際だった特徴は人口の増加率が高いことで、1000人当り32.6、ウクライナ人の1.7と比べればその高さがわかる。1940年の総人口が151万5000人であったから50年間で3.4倍になったのである。1家族平均人数は6.1人であった。しかし、ソ連の解体後、1992年以降の出生率の低下と死亡率の増大のため、1000人当り人口の増加率は19.9へと減少した。これはCIS諸国共通の現象であるが、ソ連解体と資本主義化の政策が人々の生活にいかに大きな打撃を与えているかがわかる。
 タジキスタンはほとんど全土が高山で、国内東側にゴルノ・バダフシャン自治州が設けられている。山岳地帯に住むタジク人にはイスラムの影響が強い。農耕はわずかな盆地で行われているが、おもな生産物である綿の栽培が盛んなフジャント州や南西部のクリヤブ州は共産党の基盤である。
 学校教育(初等・中等)は11年制で、義務教育は6歳から9年間。公用語のタジク語のほかにロシア語も広く使われている。宗教はイスラム教スンニー派が多数を占めているが、パミール地方では同シーア派も多い。[山下脩二・木村英亮]
『橋田担編『中央アジア諸国の開発戦略』(2000・勁草書房) ▽小松久男・梅村担他編『中央ユーラシアを知る事典』(2005・平凡社) ▽清水陽子著『シルクロードを行く――中央アジア五カ国探訪』(2008・東洋書店)』

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