ダブリン(その他表記)Dublin

翻訳|Dublin

デジタル大辞泉 「ダブリン」の意味・読み・例文・類語

ダブリン(Dublin)

アイルランドの首都。ダブリン湾に面した港湾都市セントパトリック大聖堂・大学・ダブリン城などの歴史的建造物が多い。人口、行政区50万、都市圏100万(2002)。ブラークリーア。

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精選版 日本国語大辞典 「ダブリン」の意味・読み・例文・類語

ダブリン

  1. ( Dublin ) アイルランドの首都。アイルランド島の東岸、リフィー川の河口にある。九世紀ごろノルマン人が建設。一二世紀、イギリスに侵略され、イギリスのアイルランド経営の拠点となった。アイルランドの政治・経済・文化の中心地。

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改訂新版 世界大百科事典 「ダブリン」の意味・わかりやすい解説

ダブリン
Dublin

アイルランドの首都。ダブリン湾に注ぐリフィー川の河口に位置し,アイリッシュ海をはさんで東方220kmの対岸にイギリスのリバプールがある。人口50万(2002)。近郊を含むダブリン県の都市部人口は100万で,アイルランドの総人口の30%近くがここに集中している。

 ダブリンは全島で最大規模の都市であるが,産業都市としては北アイルランドのベルファストに次ぐ。これは多分に,植民地時代のイギリス統治政策がもたらしたひずみによるものであった。現在ダブリンの最も有名な産物はギネス(ビール)であろう。ギネス醸造所はヨーロッパでも第一級の規模を誇っている。このほか,製粉,ビスケットの類から繊維産業,近代諸工業(化学,エレクトロニクス関連など)も営まれている。また,ダブリンはアイルランド最大の貿易港で,各地の農産物がここから輸出され,石油,石炭,機械類などが輸入されている。リフィー川岸壁には,干潮時でも喫水7mの船舶が停泊できる。市街はリフィー川をはさんで南北に発達している。南岸地域には国会をはじめとする公共機関が集中しており,ダブリン随一の繁華街グラフトン通りが南北に走っている。また,クライスト・チャーチ大聖堂やJ.スウィフトが首席司祭をつとめたセント・パトリック大聖堂が威容を見せている。北岸は商業地域で,D.オーコンネルC.S.パーネルら独立運動の指導者の像が立ち並ぶオーコンネル通りを中心に商店街がつづく。通りに面した中央郵便局(略称GPO)の屋上には,イースター蜂起(1916)を記念してつねに国旗が掲げられている。また,アイルランド文芸復興運動の象徴的存在であったアベー座をはじめとする劇場,映画館なども集中している。西部のフェニックス公園には,大統領官邸や世界でも古い動物園(1830開設)がある。

 市の起源は古く,プトレマイオスの世界図にエブラナEblanaと記されているのが現在のダブリンとされている。アイルランド語では〈ブラー・クリーBaile Atha Cliath〉と呼ばれた。これは〈編み垣の渡瀬の町〉の意味で,タラとウィックローを結ぶ古道がここでリフィー川を横断したことに由来する。この渡瀬を中心にしだいに町が形成された。この古名は現在,中央郵便局の消印に用いられている。一方,ダブリンという地名はアイルランド語の〈ドゥブリンdubhlinn〉(〈黒いよどみ〉の意)からきており,これはリフィー川の水の色に由来している。

 アイルランドに初めて都市を築いたのは,北欧から侵入してきたデーン人であった。9世紀半ばに築かれたダブリンはその代表的なものであって,デーン人はここを商取引の中心として,アイルランドの獣皮や羊毛をイギリスやヨーロッパに運び,ブドウ酒や奴隷を輸入した。11世紀にアイルランドの族長ブライアン・ボルーがデーン人を打ち破ったのちも,ダブリンのデーン人はその勢力を保持し,キリスト教に改宗,アイルランド人と通婚して,長く平和裏に町を発達させていった。12世紀にはノルマン・コンクエスト後のイギリスに侵略され,1171年ヘンリー2世がアイルランド太守になってのちは,ペールと呼ばれるイギリス勢力圏の中心として,アイルランド支配の拠点になった。ばら戦争ではヨーク派の拠点となり,ピューリタン革命の際はO.クロムウェルに占領され,さらにウィリアム3世が進駐するなど,ダブリンは繰り返しアイルランドの歴史を大きく変える事件の舞台となった。こうした政治的激動のうちにも産業は発達し,17世紀にはダブリン・ウールとして知られる羊毛工業が栄えたが,18世紀初頭に,イギリス以外への輸出が禁止されて衰退した。代わってリネン,木綿,絹などの産業が一時栄えた。これにはユグノーの移住による技術の導入なども大きな役割を果たした。しかし,イギリスの統治政策により,またイギリスとの競争に十分耐えられなかったことなどから再び衰退した。

 名誉革命体制下の18世紀には,ダブリンはプロテスタント支配体制の中心となり,政治的にも安定,数多くの美しい建造物,広い道路,整った町並みが出現した。例えば川の南岸地域にあるダブリン城がほぼ現在の姿にでき上がり,イギリス支配を象徴するものとなったのはこのころであり,トリニティ・カレッジの大部分の建物やアイルランド議事堂(現在のアイルランド銀行)なども完成した。北岸沿いのカスタム・ハウス(税関),フォー・コート(裁判所)などもこのころ建てられた代表的な公共建造物である。また,ダブリンを大きく囲むグランド運河(1756着工)とローヤル運河(1789着工)が建設され始めた。しかし,このころベルファストに波及した産業革命の影響はダブリンにはあまり見られず,近代工業は発達しなかった。

 19世紀には,ユナイテッド・アイリッシュメンの蜂起(1798)につづく政治的激動の中で,プロテスタント支配層の多く住むダブリンにも民族主義の動きが多く見られるようになる。D.オーコンネルカトリックとして初めて市長に選出(1841)されたのはそのひとつのあらわれである。19世紀末にはアイルランド文芸復興運動もダブリンを中心にしておこり,1904年にはアベー座が開場した。しかし,イースター蜂起につづく独立戦争と内戦により,市中心部にある中央郵便局やフォー・コートなどが破壊された。20世紀初頭から独立にいたる時期のダブリンの様子は,J.ジョイスの《ダブリン市民》やS.オケーシーの戯曲などに描かれている。

 独立後は首都としてスラム街の一掃,近郊住宅地域の開発などがつづけられている。第2次大戦中アイルランドは中立を守ったものの,41年5月にはドイツ軍の空襲をうけ,数百人の死傷者をだし,300戸以上が破壊された。68年以降の北アイルランド紛争の影響はダブリンにも少しあらわれ,76年にはイギリス大使爆殺事件を機に緊張状態がつづいたが,近年はまったく平静になっている。
アイルランド
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダブリン」の意味・わかりやすい解説

ダブリン
だぶりん
Dublin

アイルランド共和国の首都。アイルランド島の東岸、ダブリン湾に面し、リフィ川河口に位置する。ゲール語でブラークリーアBaile Átha Cliath(「難攻不落の砦(とりで)」の意)、古称エブラナEblana。人口49万5101、首都圏人口112万2600(2002国勢調査速報値)。人口の約80%がカトリック教徒。市街地中央部は商業地域、南東部は歴史的建造物の多い旧市街である。市中には広い道路や広場があり、中心街オコネル街の中央には独立運動の指導者オコネルの記念像がある。近年都市化は郊外に拡大しクロンターフClontarf、ドニーブルックDonnybrook、サンディマウントSandymount、ラトファーンハムRathfarnham、ブランチャーズタウンBlanchardstownなどは新興の市街地となった。現在ダン・レアラやブレイなどの都市と連接し、アイルランド最大のコナベーション(連接都市地域)を形成するに至った。

 国際港としてのダブリン港は20世紀初頭に大きく改良され、ロイヤル運河、グランド運河と連絡し、内陸交通、海外貿易の要衝として、同国の輸出入の半分以上を取り扱う。家畜、肉、酪農製品、ベーコンなどが輸出され、とくにギネスの黒ビールは有名で専用タンカーで船積みされる。また、イギリスのランカシャー、クライドサイド工業地帯、カンバーランドなどからは、石炭、石油、たばこ、肥料、穀物、チョコレートなどが輸入される。外港のダン・レアラとイギリス(ウェールズ)のホリヘッドを結ぶ航路はほとんど旅客船によって占められている。工業には酒類の醸造・蒸留、繊維、造船、食品、鋳物、ガラス、たばこ製造などがある。ダブリンの位置するアイルランドの中央平野は低地で水はけが悪いため、集落は排水のよい氷河起源の砂礫(されき)層上に発達し、道路は曲がりくねったエスカー(氷堆積(たいせき)物による堤防状の地形)の上を走る。気候が温暖多湿で牧草の生育に適するが、粘土質土壌であるため、農作物の栽培には不適である。このためウシの冬期飼料が確保できないこともあって、この平野は夏期だけほかの地方から転送されてきたウシの肥育地帯となり、肥育牛はダブリンから船積みされる。北郊約20キロメートルにダブリン空港があり、ロンドンと空路1時間で結ばれる。

[米田 巌]

歴史

リフィ河口のこの地は古くからケルト人によって「難攻不落の砦」という意味のことばでよばれていたが、9世紀デーン人がここを占領し、城壁のある町をつくって以来、英語のブラック・プールBlack Pool(リフィ川の水の色に由来する)に相当する「ダブリン」の名でよばれるようになった。1172年イギリス王ヘンリー2世がアイルランド首長から臣従の礼を受けたのは、現在トリニティ・カレッジのあるカレッジ・グリーンであった。それ以来ダブリンはイギリスの支配の拠点となった。イギリスが開設したアイルランド議会もほとんどダブリンで開かれ、総督府も置かれた。現在市中にあるダブリン城(元総督府)、カスタム・ハウス(税関)、アイルランド銀行本店(旧議事堂)、トリニティ・カレッジ(ダブリン大学、1592創立)、国会議事堂(旧レンスター・ハウス)など歴史的な建物の多くは18世紀に建造されたり修復された。経済的にも中心都市の一つであったが、民族運動もここを中心に展開された。現在市内各所に、オコネル、パーネルなど民族運動闘士の立像や胸像がある。19世紀末から20世紀初頭にかけてのアイルランド・ルネサンスとよばれた新しい民族的文学運動は、リフィ河口北側のアベイ劇場(1951年に焼失、再建)を中心としていた。W・B・イェーツ、J・M・シングなどの作品がアイルランド演劇を世界的水準に高め、またJ・ジョイスの作品は別の視点から世界の注目を集めた。ほかにJ・スウィフト、T・ムーア、O・ワイルド、G・B・ショーなどの文学者、E・バーク、E・カーソンなどの政治家がダブリン生まれである。

[堀越 智]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダブリン」の意味・わかりやすい解説

ダブリン
Dublin

アイルランドの首都。アイルランド語ではバリアオーハクリア Baile Átha Cliath。アイルランド東部,レンスター地方北東部,ダブリン県中部の特別市で,同県の県都。アイリッシュ海のダブリン湾に臨む港湾都市で,リフィー川の河口に位置する。5世紀には聖パトリックによりキリスト教が伝えられ,9世紀にデーン人が侵入,その支配は 1170年アングロ・ノルマンに放逐されるまで続いた。1172年イングランド王ヘンリー2世はブリストル市民を移住させ,ダブリン経営を開始,市はペール Paleと呼ばれるイングランド支配地域の中心地となった。その後イングランドの植民化政策に対するアイルランド人の抵抗の歴史が続き,経済発展が妨げられたが,17世紀末頃よりヨーロッパ大陸から来住したユグノーやフランドル人によって織物工業が発展し始め,18世紀には繁栄の時代を迎え,市域も拡大した。中心市街にはこの時代に建てられた建築物が数多く残っている。1800年の合同法によりアイルランド議会が廃止されると,富裕階級の多くがロンドンに移ってしまい,しだいに衰退(→アイルランド合同)。その後イギリス支配からの独立を目指す民族運動の高揚に伴って,しばしば暴動が起こり,1916年には「復活祭の月曜日」として知られる武装蜂起(復活祭蜂起)があり,1週間にわたる市街戦が展開された。1921年のイギリス=アイルランド条約により,北部のアルスター 6県を除く全島が自治領アイルランド自由国となり,ダブリンがその首都となったが,北アイルランドの分離をめぐってその後も紛争が続き,市街は大きな被害を受けた。
このため近代工業の発展は遅れたが,1950年代後半以降政府によって新しい経済計画が実施された結果,ウイスキー,ビール(ギネススタウト黒ビールの一種〉が有名),製粉などの農産物加工のほか,機械,造船,金属加工,肥料,繊維,製菓など多様な工業が発達した。18世紀初めに建設された港から発展したダブリン港はアイルランドの主要港で,アイルランドの貿易の大部分を扱っており,ロイヤル運河,グランド運河により,内陸部を貫流するシャノン川とも連絡している。また文化中心地でもあり,ダブリン大学(1591),アイルランド国立大学(1909),図書館,博物館,美術館や,20世紀初頭アイルランド文芸復興運動において重要な役割を果たしたアビー劇場など教育・文化施設が多い。劇作家ジョージ・バーナード・ショー,詩人ウィリアム・バトラー・イェーツ,作家ジェームズ・ジョイスらの生地。水運のほか陸上交通の要地でもあり,鉄道,道路が市から放射状に延び,北郊には国際空港がある。面積 118km2。人口 52万5383(2011)。

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百科事典マイペディア 「ダブリン」の意味・わかりやすい解説

ダブリン

アイルランド語ではブラークリーア。アイルランド共和国の首都。同国東部,リフィー川河口,アイリッシュ海に臨む港湾都市。造船,ビール,ウィスキー,織物,ガラス,機械などの工業が行われ,またスタウト(ギネス),ポプリンの産は著名。19世紀に入ってイギリスの支配からの独立を志す運動が高まるにつれて,しばしば暴動の舞台となり,とくに1916年のイースター蜂起では市街戦が戦われた。1591年創立のトリニティ・カレッジ,アイルランド大学(1909年創立),13世紀のダブリン城がある。劇作家B.ショー,作家J.ジョイスはここで生まれた。52万7612人(2011)。
→関連項目アイリッシュ海アイルランド

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ダブリン」の解説

ダブリン
Dublin

アイルランドの首都。その東岸に位置し,アイリッシュ海に臨む。12世紀後半以降イギリスのアイルランド支配の拠点となり,20世紀初めには独立運動の中心。1922年以来アイルランド自由国の,49年以来同共和国の首都となった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のダブリンの言及

【アイルランド】より

…正式名称=アイルランドÉire(エール=アイルランド語)∥Ireland(英語)面積=7万0285km2人口(1996)=359万人首都=ダブリンDublin(日本との時差=-9時間)主要言語=アイルランド語,英語通貨=アイルランド・ポンドIrish Poundヨーロッパ北西部,アイルランド島にある共和国。アイルランド共和国は憲法で全島を国土と規定しているが,現実にはイギリスに属する北アイルランドを除く島の約8割を統治している。…

【アイルランド】より

…正式名称=アイルランドÉire(エール=アイルランド語)∥Ireland(英語)面積=7万0285km2人口(1996)=359万人首都=ダブリンDublin(日本との時差=-9時間)主要言語=アイルランド語,英語通貨=アイルランド・ポンドIrish Poundヨーロッパ北西部,アイルランド島にある共和国。アイルランド共和国は憲法で全島を国土と規定しているが,現実にはイギリスに属する北アイルランドを除く島の約8割を統治している。…

※「ダブリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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