ドイツの化学者。ベルリンその他の大学に学び、1894年にカールスルーエ工業大学の化学技術学の助手となり、1906年に昇進して教授、気体反応に関する多くの研究を残し、1912年カイザー・ウィルヘルム研究所(現、マックス・プランク研究所)の初代物理化学研究所長となり、また電気化学研究所長、ベルリン大学教授を兼ねた。本来は有機化学を学んだが、カールスルーエの助手時代に気体反応の熱力学を手がけ、1904年から翌1905年にかけてアンモニアの平衡を研究した。この測定結果は、熱定理を提唱していたネルンストの反論をよび、ハーバーは実験を繰り返すなかで、自己の測定結果を再確認するとともに、水素と窒素からのアンモニア合成の工業化の可能性を認めた。助手のロシニョルRobert Le Rossignol(1884―1976)とともに1908年からアンモニア合成の工業化研究をBASF社と共同で遂行し、同年にアンモニア合成の基本特許を取得した。アンモニアをその成分元素から合成した業績が認められ1918年にノーベル化学賞を受賞。
アンモニア合成以外での研究では、1909年にガラス電極を発明したこと、高温での各種の気体反応の研究が著名である。熱心な愛国者であり、第一次世界大戦中には実戦での毒ガスの使用を指揮、大戦後はドイツに課せられた莫大(ばくだい)な賠償金の支払いに応じるため、海水から金を採取する計画をたてたが失敗した。1924年(大正13)に来日、帰国後は日独両国の文化交流に努力した。1933年にヒトラーが政権をとってからは、ユダヤ人のゆえに公職を追放され、イギリスのケンブリッジ研究所へ招かれて4か月を過ごしたが、イスラエルのダニエル・シーフ協会の創立行事に参加するための旅行の途中、スイスのバーゼルでこの世を去った。1935年に多数のドイツの学協会はハーバーの一周忌を催したが、ナチスの妨害にもかかわらず、500人が参集し、盛大に行われた。
[加藤邦興]
ドイツの化学者。アンモニア合成法〈ハーバー法〉の創始者。ブレスラウ(現,ポーランド領ブロツワフ)の生れ。ベルリン,ハイデルベルク,チューリヒの各大学で学び,1894年カールスルーエ工業大学の助手となり,1906年同大学教授に就任した。11年新設のカイザー・ウィルヘルム研究所の物理化学・電気化学研究所長に登用され,ベルリン大学教授を兼任した。電気化学,気体反応の分野で多くのすぐれた業績をあげ,また1909年には薄い2枚のガラスの間の電位を測って,溶液の酸性度を測定するガラス電極を発明した。1904年ころから化学肥料の原料として,窒素と水素とからアンモニアを合成する研究を始め,化学平衡の考えから,圧力,温度,触媒などの条件をしらみつぶしに変えて実験を行い,08年に至り温度500℃,圧力150~200atm,オスミウム触媒という条件を見いだし,実験室でのハーバー法に成功した。ひき続きBASF(バスフ)社のボッシュの協力を得て,13年工業化に成功し,今日のアンモニア合成工業の先駆をなした。この功によって18年ノーベル化学賞を授与された。第1次世界大戦中ハーバー法は火薬の製造におおいに利用され,またみずからも毒ガス研究で指導的役割を演じた。24年来日し,各地で講演を行い,帰国後,日独文化交流に尽力した。多方面にわたる国家的功労にもかかわらず,33年ナチに追われて公職を退き,ケンブリッジ大学に招かれて渡英したが,34年イタリア旅行の途中バーゼルで病死した。著書に《工業電気化学要綱》(1898),《工業的ガス反応の熱力学》(1905),《ハーバー博士講演集Aus Leben und Beruf》(1927)などがある。
執筆者:矢木 哲雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツの化学者.ベルリン大学,シャルロッテン工科大学などで学び,1891年にインジゴの関連物質の研究で学位を取得.ユダヤ系だがイェーナ大学の化学実験室の助手時代にプロテスタントに改宗.1894年カールスルーエ工科大学助手となり,当時新しい分野であった物理化学・電気化学の分野に入り,頭角を現し,論文・著書を多く発表し,1906年に正教授になった.オーストリアの工場主の依頼でアンモニアの合成の実験をし,高温,常圧での実験結果から合成の可能性を否定.しかし,そのデータをH.W. Nernst(ネルンスト)が批判したので実験をやり直し,実験室における高圧下でのアンモニア合成に成功した.1913年ハーバーの方法によって,ドイツの化学大企業BASF社のC. Bosch(ボッシュ)とP.A. Mittaschら同社技術者が工業化に成功した.1912年ベルリンのカイザー・ウィルヘルム協会物理化学・電気化学研究所初代所長に就任した.第一次世界大戦がはじまり,戦争が長期化すると,毒ガスの使用を提案し,その開発に従事し,もと化学者の夫人Clara Immerwahrは,毒ガス戦に反対して,1915年ピストル自殺した.戦後の1919年アンモニア合成で,1918年度のノーベル化学賞を受賞.1924年星製薬社長星一の招待で日本を訪問して2か月滞在した.1933年に政権をとったナチスの研究所人事への介入に抗議して,辞表を提出.国外に出てイギリスに移る.翌年はじめ,旅先のスイスのバーゼルにて心臓麻ひで急死した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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… 微分音は,民族音楽において微妙な音程進行や,音の揺れとして多くみられるものであるが,その他の音楽においても表現上の意図からビブラートやポルタメントにおいて生じている。 20世紀になると,微分音は音楽語法の一つとして積極的に取り上げられ,とくにハーバは微分音による作曲を体系化し,4分音によるオペラ《マトカMatka》,6分音による《弦楽四重奏曲第10・11番》など多数作曲した。また第2次大戦後には微分音はペンデレツキらのトーン・クラスターとしても用いられている。…
※「ハーバー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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