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フロンドの乱 フロンドのらん Fronde

翻訳|Fronde

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フロンドの乱
フロンドのらん
Fronde

1648~53年フランスルイ 14世幼年期,集権国家体制を目指す中央政権に対する反乱。宰相 J.マザランへの反感に新旧官僚の対立,貴族の利害がからみ合い,さらに中央集権化に対する民衆の反乱が加わり,パリを中心にほぼ全国的な内戦が展開した。

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デジタル大辞泉の解説

フロンド‐の‐らん【フロンドの乱】

《Frondeは投石玩具の意》1648年から1653年にかけてのフランスで、宰相マザランの王権強化政策に反発する貴族たちが起こした反乱。内部分裂により鎮圧され、フランス絶対王政が確立された。

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百科事典マイペディアの解説

フロンドの乱【フロンドのらん】

1648年―1653年に起きたフランスの内乱高等法院を中心とする法服貴族とコンデ親王ら伝統的名門貴族とが国王の中央集権政策に反抗して起こしたもの。フロンドfrondeとは当時流行した投石玩具のこと。
→関連項目ボーバンラ・ロシュフーコーレス

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世界大百科事典 第2版の解説

フロンドのらん【フロンドの乱】

17世紀中期のフランスの内戦。1648年から53年にかけて,パリを中心にほぼ全国的に展開された。17世紀前半,枢機卿リシュリューが進めていた近代的行政国家組織創出の政策はマザランに受け継がれたが,それは長期化する三十年戦争のさなかに進行したため,高等法院を中心拠点とする旧官僚(官職保有者)や伝統的な旧貴族(剣の貴族),そして中央に対する地方勢力と,さらに生存の危機に直面した民衆にいたるまでの社会各層,諸団体の反発を招いた。

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大辞林 第三版の解説

フロンドのらん【フロンドの乱】

〔フロンド(fronde)は投石具の意〕
フランスの宰相マザランによる王権強化に対して起きた内乱(1648~1653)。貴族の抵抗が市民にまで波及したが、内部分裂により鎮圧された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

フロンドの乱
ふろんどのらん

フランスのルイ14世の幼少期における高等法院・貴族を中心とする反王権運動(1648~53)。フロンドfrondeとは、当時青少年に流行した石投げ器のことで、それをもじって名づけられたといわれる。運動の根底には、リシュリューの中央集権化政策路線を受け継ぐマザランに対する彼らの不満や、食糧・財政危機に対する民衆の不満があげられる。
 高等法院のフロンドFronde(1648~49)は、その第一段階であり、パリ高等法院、会計院、租税院、大評議会の法官たちは、1648年5月より一致してマザランによる既得権侵害に抗議し、国政改革案を示して王権に対抗した。これにはパリとその周辺地域の民衆も同調したが、翌年3月高等法院と王権の妥協が成立した。第二段階は、貴族のフロンド(1650~53)で、高等法院のフロンドの収拾に力のあったコンデ親王一族が、マザラン打倒を目ざし、旧貴族勢力の復権を図った。51年になると、パリ高等法院も貴族のフロンドに合流したので、パリは騒乱に巻き込まれた。成年に達したルイ14世は、コンデ一族との武力対決を続け、反国王派にいたチュレンヌを王党派に引き入れることに成功し、52年9月コンデはパリを離れて亡命した。
 フロンドの乱の背景には、局面に応じて民衆の蜂起(ほうき)がみられたが、それは高等法院や貴族のフロンド派によって反王権運動に利用されたにすぎなかった。ルイ14世は、幼少時に体験したフロンドの乱という苦い思い出を教訓として、親政開始後から、高等法院や旧貴族層の政治的特権を剥奪(はくだつ)し、国王絶対主義への道を切り開くことになった。[志垣嘉夫]

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世界大百科事典内のフロンドの乱の言及

【マザラン】より

…また,三十年戦争の継続の結果,危機に陥っていた財政を支えるためさまざまな形で租税の増徴をはからねばならず,そのことが民衆の不満を買った。王権に対するこうした反発が48年にフロンドの乱となって爆発すると,マザランは一時ドイツに亡命を余儀なくされるほどの苦境に陥った。しかし,彼は高等法院や大貴族といった特権階層と巧みに妥協することで内乱の平定に成功した。…

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