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プロイセン改革 プロイセンかいかく

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百科事典マイペディアの解説

プロイセン改革【プロイセンかいかく】

1807年以降,ナポレオン戦争に敗れて危機に陥ったプロイセンで,フリードリヒ・ウィルヘルム3世の時代に行われた一連の改革。シュタイン=ハルデンベルクの改革による国家体制の近代化に始まり,W.v.フンボルトによる教育制度の改革,シャルンホルストグナイゼナウによる軍制改革が行われた。
→関連項目シュタインフリードリヒ・ウィルヘルム[3世]ユンカー

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世界大百科事典 第2版の解説

プロイセンかいかく【プロイセン改革 Reformen in Preussen】

1807年から22年にかけてプロイセン王国で行われた農制,営業・租税制度,行政,軍制,教育制度などの諸分野にわたる一連の近代的改革。指導した2人の宰相の名をとってシュタイン=ハルデンベルクの改革Stein‐Hardenbergsche Reformenとも呼ぶ。
[概要]
 1806年にイェーナの戦でナポレオン軍に完敗したプロイセンは,翌年のティルジットの和約で,領土の半ばを失い,多額の貢納金の支払,大陸封鎖令による対英貿易の禁止,フランス軍の駐留などの経済的圧迫を被り,国家存亡の危機にした。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

プロイセン改革
プロイセンかいかく

プロシア改革」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

プロイセン改革
ぷろいせんかいかく
Reformen in Preuenドイツ語

1807年から行われたプロイセン王国の諸改革、すなわちシュタイン‐ハルデンベルクの改革、シャルンホルストらによる軍制改革、ウィルヘルム・フォン・フンボルトによる教育制度改革などの一連の改革をさす。
 ナポレオン1世により屈辱的講和を強制されたプロイセンは、その国家的危機のなかで封建的社会制度と絶対主義的国家体制の近代化の必要に迫られた。1807年10月、フリードリヒ・ウィルヘルム3世によって国政指導をゆだねられたシュタインは、農民解放令(十月勅令)、都市条令等を発布。ついで中央政府機構改革に取り組むが、ナポレオン1世の圧力によって08年11月辞職したため、実現をみなかった。改革事業は、10年6月よりハルデンベルクによって引き継がれた。一連の工業関係立法が行われ、また中央政府の機構改革が試みられたが、ウィーン体制下で実施されていった農業改革では、ユンカーに大幅な譲歩をして、解放される農民を低く制限し多くの封建的特権を残したため、農業近代化はむしろユンカーの利益において遂行されることとなった。軍制改革は、シャルンホルスト、グナイゼナウなど非ユンカーの軍人によって推進された。彼らは、一般兵役義務制による国民軍の創出、軍における貴族特権の打破などを目ざし、前者は1814年に実現をみた。しかし、将校に対するユンカーの独占的地位は、結局揺るがなかった。教育制度改革はフンボルトを中心に進められ、国民精神発揚を目ざしたベルリン大学設立(1810)、ペスタロッチの思想にのっとった初等教育制度の整備、古典教育を柱とする人文ギムナジウム創設などが行われた。
 プロイセン改革は「上からの改革」に伴う不徹底さを多く有しているが、しかしそれはナポレオン1世の支配から脱する力をプロイセンに与えただけではなく、やがてドイツ統一を達成するプロイセンの発展の出発点となった。[岡崎勝世]

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世界大百科事典内のプロイセン改革の言及

【農民解放】より

…しかしその後革命の急進化に伴い,93年7月国民公会によりいっさいの領主権の無償廃棄が決定されて,農民解放は一挙に遂行された。(2)プロイセンでは,プロイセン改革の一環として1807年10月の〈十月勅令〉により隷農制Untertänigkeitが廃止されて,農民は人格の自由を得たが,物的負担の廃止は有償とされ,それは農民が自己の保有地の1/2~1/3を領主に割譲するという方式がとられた(1811年の〈調整令〉)。しかしこれは強制的ではなかったので,農民解放の完結は48年の革命を経たのちの50年3月の法律(物的負担の有償強制廃棄と地代銀行による償金支払の肩代り)を待たなければならなかった。…

【プロイセン】より

…しかしフリードリヒ2世の没後,統治能力の乏しいフリードリヒ・ウィルヘルム2世(在位1786‐97),フリードリヒ・ウィルヘルム3世(在位1797‐1840)のもとで,このような体制は有効に機能せず,国民から遊離した専断的政治の悪弊のみが表面に出てきた。このため,フランス革命の影響のもと,開明的な官僚のあいだに改革の気運が高まり,イェーナの戦(1806)の大敗北に続く国家的危機のなかで,シュタイン,ハルデンベルクらすぐれた大臣の指導による一連の国制・社会改革が着手された(プロイセン改革)。中央・地方行政機構の改組,農民解放,都市自治の再建,〈営業の自由〉原則の導入などがそれである。…

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