1807年から22年にかけてプロイセン王国で行われた農制,営業・租税制度,行政,軍制,教育制度などの諸分野にわたる一連の近代的改革。指導した2人の宰相の名をとってシュタイン=ハルデンベルクの改革Stein-Hardenbergsche Reformenとも呼ぶ。
1806年にイェーナの戦でナポレオン軍に完敗したプロイセンは,翌年のティルジットの和約で,領土の半ばを失い,多額の貢納金の支払,大陸封鎖令による対英貿易の禁止,フランス軍の駐留などの経済的圧迫を被り,国家存亡の危機に瀕した。この窮境にあってシュタインらの開明的官僚・軍人が,国家の再興とドイツの民族的再起を期して,近代化のための内政改革に着手した。シュタインの〈ナッサウ覚書〉(1807)によれば,愛国心や自主独立の精神の喚起には,国内の封建制の打破が必要不可欠であると考えられ,これが改革の基本理念をなしている。改革過程の前半期(1807-13)には,農奴制や身分制的軍隊や国王親政に対する大胆な改革が着手され,これらがフランスに対する解放戦争の勝利にも貢献したが,ウィーン会議以降の後半期(1814-22)には国内外の守旧派勢力の台頭と国内のブルジョアジーの政治的未熟のために改革事業は挫折するか,あるいは国王や貴族・地主に有利な方向に展開した。ここに開明的政府主導の〈上からの改革〉の限界が認められる。とくに農制や地方行政の分野では,地主(ユンカー)の圧力により,真の〈農民解放〉には至らなかった。
1807年の十月勅令Oktoberediktで,従来農民を領主に人格的に隷属させていた世襲隷民制が廃止され,職業選択や土地売買の自由が認められた。しかし農民の保有地に対する所有権の取得や封建地代の償却に関しては,つづく11年の調整令と16年の同令〈布告〉によることとなった。この中で法令として実質的効力をもった〈布告〉は,賦役などの封建地代の有償廃止を定め,しかも上層農民だけを対象にして,保有地の2分の1ないし3分の1の割譲(または相当額の貨幣の支払)を代償とする地代の廃止を規定した。このため多くの農民は事実上解放の恩恵に浴さず,逆に代償金や保有地没収により土地と経営資本を拡大した地主の直営農場において雇用される農業労働者に転化した。ここに農業の資本主義化のいわゆる〈プロイセン型の道〉が開かれる。
→グーツヘルシャフト
商工業面では,1810-11年に,ツンフト(ギルド)に加入しなくても営業税を納付すれば営業しうる旨のいわゆる〈営業の自由〉が承認された。また1818年にはプロイセン国内関税が撤廃され,商工業躍進の素地が築かれた。財政的見地から貴族の地租免除特権の廃止も試みられたが挫折した。
中央では国王側近の内局を廃止して,1808年に新内閣制度を確立し,官僚主導型の統治を軌道にのせ,その後枢密院を設置してこの統治体制を強化した。また地方に州県制を施行し行政の合理化と集権化をはかった。他方,シュタインが念願した国民の参政に関しては,08年の都市条例Städteordnungによる市民自治制の導入(〈シュタイン市制〉とよばれる)のほかは成果が乏しく,郡や村落の農民の自治行政も,公約された国会の創設も,守旧派貴族や宮廷の反対で実現しなかった。
シャルンホルスト,グナイゼナウらの着手した軍制改革により,体罰としての笞刑が廃止されて兵士の自発性が重視されるとともに,貴族の特権としての将校の地位独占が改められ,能力による将校への登用制が定められた。他方フランス占領下の1812年まで実施できなかった一般兵役義務制度が,13年春の義勇軍や後備軍の編制により実質上発足し解放戦争を勝利に導いた(法制面では1814年の兵役法により定着)。
内務省文化局長に就任したK.W.vonフンボルトを中心に進められた教育改革では,個人の才能の開花と古典の教養とを重視するギムナジウム制度が整備され,1810年にはベルリン大学が創設された。
ハルデンベルクが〈リガ覚書〉(1807)で,革命を回避するためには革命の理念を〈政府の叡智により〉実現せねばならぬと説いたように,プロイセン改革は,フランス革命の〈自由と平等〉の理念を開明派官僚の主導のもとに〈上から〉部分的に実現し,これによって政治的革命を避けつつ近代市民社会の要請にこたえるとともに民族的自立を達成しようとした改革であり,その直接的契機は,フランスの軍事的侵略であった。このように外圧を契機とする〈上からの改革〉という点で,この改革はいわゆる後進的諸国の近代化の典型となっている。改革の結果ドイツの資本主義発展の素地が築かれたが,政治的には,農制改革で経済力を強化しえた貴族・地主勢力と,行政改革で立法・行政両面の権力を掌握しえた官僚層とが,緊張をはらみつつも相互に提携する官僚絶対主義的な統治が根を下ろし,政治の近代化は達成されなかった。
執筆者:末川 清
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1807年から行われたプロイセン王国の諸改革、すなわちシュタイン‐ハルデンベルクの改革、シャルンホルストらによる軍制改革、ウィルヘルム・フォン・フンボルトによる教育制度改革などの一連の改革をさす。
ナポレオン1世により屈辱的講和を強制されたプロイセンは、その国家的危機のなかで封建的社会制度と絶対主義的国家体制の近代化の必要に迫られた。1807年10月、フリードリヒ・ウィルヘルム3世によって国政指導をゆだねられたシュタインは、農民解放令(十月勅令)、都市条令等を発布。ついで中央政府機構改革に取り組むが、ナポレオン1世の圧力によって08年11月辞職したため、実現をみなかった。改革事業は、10年6月よりハルデンベルクによって引き継がれた。一連の工業関係立法が行われ、また中央政府の機構改革が試みられたが、ウィーン体制下で実施されていった農業改革では、ユンカーに大幅な譲歩をして、解放される農民を低く制限し多くの封建的特権を残したため、農業近代化はむしろユンカーの利益において遂行されることとなった。軍制改革は、シャルンホルスト、グナイゼナウなど非ユンカーの軍人によって推進された。彼らは、一般兵役義務制による国民軍の創出、軍における貴族特権の打破などを目ざし、前者は1814年に実現をみた。しかし、将校に対するユンカーの独占的地位は、結局揺るがなかった。教育制度改革はフンボルトを中心に進められ、国民精神発揚を目ざしたベルリン大学設立(1810)、ペスタロッチの思想にのっとった初等教育制度の整備、古典教育を柱とする人文ギムナジウム創設などが行われた。
プロイセン改革は「上からの改革」に伴う不徹底さを多く有しているが、しかしそれはナポレオン1世の支配から脱する力をプロイセンに与えただけではなく、やがてドイツ統一を達成するプロイセンの発展の出発点となった。
[岡崎勝世]
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ナポレオン軍の侵入による国家的破局(イエナ‐アウエルシュテットの戦い)を契機として,1807年以降プロイセンで行われた一連の改革で,これにより絶対主義体制のもつ前近代的性格は大幅に除去された。なかんずくシュタイン‐ハルデンベルクの改革を通じてグーツヘルシャフトの重圧よりする農民の身分的解放や都市の自治が実現され,営業の自由の原則が打ち立てられたほか,文化面では10年のベルリン大学創立に象徴されるフンボルトの教育改革,軍制面ではシャルンホルスト,グナイゼナウらの自由主義的将校による陸軍の近代的再編成が行われた。
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「プロシア改革」のページをご覧ください。
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…しかしその後革命の急進化に伴い,93年7月国民公会によりいっさいの領主権の無償廃棄が決定されて,農民解放は一挙に遂行された。(2)プロイセンでは,プロイセン改革の一環として1807年10月の〈十月勅令〉により隷農制Untertänigkeitが廃止されて,農民は人格の自由を得たが,物的負担の廃止は有償とされ,それは農民が自己の保有地の1/2~1/3を領主に割譲するという方式がとられた(1811年の〈調整令〉)。しかしこれは強制的ではなかったので,農民解放の完結は48年の革命を経たのちの50年3月の法律(物的負担の有償強制廃棄と地代銀行による償金支払の肩代り)を待たなければならなかった。…
…しかしフリードリヒ2世の没後,統治能力の乏しいフリードリヒ・ウィルヘルム2世(在位1786‐97),フリードリヒ・ウィルヘルム3世(在位1797‐1840)のもとで,このような体制は有効に機能せず,国民から遊離した専断的政治の悪弊のみが表面に出てきた。このため,フランス革命の影響のもと,開明的な官僚のあいだに改革の気運が高まり,イェーナの戦(1806)の大敗北に続く国家的危機のなかで,シュタイン,ハルデンベルクらすぐれた大臣の指導による一連の国制・社会改革が着手された(プロイセン改革)。中央・地方行政機構の改組,農民解放,都市自治の再建,〈営業の自由〉原則の導入などがそれである。…
※「プロイセン改革」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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