ヘーゲル(年譜)(読み)へーげるねんぷ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘーゲル(年譜)」の意味・わかりやすい解説

ヘーゲル(年譜)
へーげるねんぷ

1770 8月27日、財務局書記官の長男としてシュトゥットガルトに生まれる
1788 チュービンゲン大学の神学校(シュティフト)に給費生として、ヘルダーリンとともに入学
1793 神学部卒。『国民宗教とキリスト教』に着手ベルンに赴き、シュタイガー家の家庭教師となる
1795イエスの生涯』を書き上げ、『キリスト教の実定性』を書き始める
1797ユダヤ教の精神』『愛』『信仰と存在』その他の重要な断片
1798 『カル親書』訳を匿名出版。『ビュルテンブルクの内情』(この2作は政治文書)。『キリスト教の精神と運命』
1799 父の死で遺産相続。スチュアート経済学を学ぶ。『ドイツ憲法論』
1801 イエナに移る。『フィヒテシェリングの哲学体系相違』出版。『惑星軌道論』でイエナ大学私講師。論理学・形而上学を講義
1802 シェリングと共同刊行の『哲学批判誌』に『哲学的批判の本質』『懐疑論と哲学の関係』『信と知』『自然法の学的扱い方』など。『ドイツ憲法論』ほぼ完成。『人倫の体系』
1806 『精神現象学』校了後、イエナにナポレオン軍侵入
1807 2月、下宿のブルクハルト夫人、ヘーゲルの庶子ルートウィヒを生む。3月、大学閉鎖。新聞編集者としてバンベルクに赴く。4月『精神現象学』刊
1808 ニュルンベルクにギムナジウム校長として赴く。『哲学予備学』
1811 20歳のマリー・V・トゥヘルと結婚
1812 『論理学』〈有論〉刊
1813 『論理学』〈本質論〉刊。1809~1816年に校長として「講話」6回、「進上書」4通
1816 『論理学』〈概念論〉刊。ハイデルベルク大学教授。聴講生、ときに4人
1818 ベルリン大学教授(没するまで)
1819デマゴーグ」取締りのための「カールスバート決議
1821 『法哲学』刊。ナポレオン死す
1831 11月14日、コレラ急逝

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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