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ホノリウス ホノリウス Honorius, Flavius

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ホノリウス
ホノリウス
Honorius, Flavius

[生]384.9.9.
[没]423.8.15.
西ローマ皇帝 (在位 393~423) 。テオドシウス1世の子。 395年父の死とともに帝国は分裂し西方の単独帝となったが,408年までは義父 F.スチリコが実権を握った。その治世中,西ゴートアラリック1世ローマを占領 (410) ,バンダル族スエビ人がガリアを席捲,コンスタンチウス3世ブリタニアで帝位を僭称するなど,彼の無能,無力による失政と相まって帝国は大混乱に陥り,彼自身はかろうじてラベンナに難を避けるありさまだった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ホノリウス【Flavius Honorius】

384‐423
ローマ帝国西帝。在位393‐423年。テオドシウス1世の次子。父帝の生前,すでに正帝に挙げられていたが,統治の実権は後見役のスティリコが握り,スティリコ処刑(408)後は,オリュンピウスや将軍コンスタンティウスらが実力者となった。その治世には,ゲルマン諸族のライン渡河(406‐407),西ゴートによるローマ市略奪(410)などゲルマンの災禍が深刻化し,簒奪帝の相次ぐ興亡,ブリタニアにおける実質的な支配権喪失など危機的状況が続いたが,ホノリウスは主体的行動力・気力を欠き,ラベンナの宮廷を離れることはほとんどなかった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ホノリウス
ほのりうす
Flavius Honorius
(384―423)

西ローマ皇帝(在位393~423)。テオドシウス1世の子。共治帝とされたが、父の死後帝国を東のアルカディウスと分割し、西の単独帝となる。実権をバンダル人の将軍スティリコに握られ、のちこれを処刑した。410年西ゴートにローマ市を寇掠(こうりゃく)され、ブリタニアの支配権を完全に放棄し、スペインへのバンダルなどの侵入を許すなど、帝国衰退の進行をなすがままにした無能な皇帝であった。[松本宣郎]

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世界大百科事典内のホノリウスの言及

【イギリス】より

…4世紀に入り,ヨーロッパで民族大移動が始まったころ,ブリタニアでも北方からピクト人,西方のスコット人など外民族の侵入が開始された。ローマは大陸の防衛のためブリタニアの軍隊を引き上げ,410年皇帝ホノリウスはブリタニアの放棄を宣言し,ここにローマン・ブリテン時代は終わった。
[中世前期――アングロ・サクソン時代]
 ローマが引き上げた後のブリタニアは,ブリトン人の小部族国家分立の状態に復帰した。…

【ドミニクス】より

…オスマ司教ディダクスDidacusに従いローマへ赴いた際,南フランスに広がっていたカタリ派(アルビジョア派)の精神と運動に接触して彼らの教化を志し,みずから福音の中のキリストの清貧に従って信仰真理の巡回説教者となった。1215年初めトゥールーズに福音の説教者教育養成所を設立し,新修道会を計画したが,これはついに16年12月22日教皇ホノリウス3世Honorius III(在位1216‐27)から認可を得た。この修道会はベネディクト会的な修道院と異なって,使徒活動による教会奉仕や修道院定住の誓約なしに行う民衆との交流を,総会と総会長の下にある中央統治組織の管轄の中で推進する托鉢修道会として急速に全西欧に発展し,福音宣教の一翼をになった。…

【ローマ】より

…392年,フランク人出身ローマ軍司令官アルボガストを後ろ盾に,ウァレンティニアヌス2世(在位375‐392)を除去してローマに蜂起したエウゲニウスの簒奪(在位392‐394)は,テオドシウスによって鎮圧された。
[西ローマ帝国とその滅亡(395‐476)]
 テオドシウスの死(395)後,帝国の東半分をその長男アルカディウス(在位383‐408)が,西半分を次男ホノリウス(在位393‐423)が分治した。この分治の当初は従来しばしば行われた分治と同一性格のもののはずであったが,これ以後の両帝国の政治関係,侵入異民族との異なった関係などのゆえに,両帝国はしだいに独自の道を歩き始める。…

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