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フランスの貴族。日本では白山伯の名で知られた。パリに生まれ,21歳でフィリピンにフランスの代表として派遣されたが,日本に興味をもち,1858年8月フランス外務省の学術調査員として長崎に上陸した。日本語を覚え鹿児島で島津公に近づいた。61年帰国,渡仏中の薩摩藩の新納中三(にいろなかぞう),五代友厚らと知り合い,65年にブリュッセルで五代と商社をつくり,66年には翌年のパリ万国博覧会に薩摩藩から事務総長commissaire généralに任命され,幕府とは別に琉球国の名で薩摩藩に出品させた。博覧会後67年10月に長崎に薩摩藩軍事顧問として来朝,69年12月横浜より帰国の途についた。明治政府はモンブランをフルーリー・エラール(フロリヘラルド)Fleury-Hérardの後任としてパリ駐在の日本政府代表(公務辦理職)に任じたが,翌年11月鮫島尚信公使を後任として送りモンブランと交代させた。モンブランは領地のアンゲルミュンステルに戻り,94年パリで没した。長く日本研究協会の会長も務め,日本に関する多くの論文を協会の雑誌に書き,《日本事情1865-67》の著書のほか,《鳩翁道話》のフランス語訳がある。
執筆者:松原 秀一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…日本に置かれた最初は下田にアメリカ領事ハリスが開いたものであるが,日本が外国に領事館を設置したのは,幕府が1867年(慶応3)9月サンフランシスコにおいてアメリカ人チャールズ・ウォルコット・ブルークスを雇い入れて領事事務を委任したのと,それと前後してパリでフランス人フルーリー・エラールに総領事の事務を委任したのがはじめであるという。69年(明治2)に政府はエラールに代わりフランス人モンブランを雇い入れ総領事とし,70年10月には清国の上海に仮領事館を置き品川忠道を勤務させた。翌71年11月正院は総領事以下の官を置くことを布告し,サンフランシスコ,上海に続き,ニューヨーク(1872年3月),福州(1872年9月),香港(1873年4月),ベネチア(1873年3月),マルセイユ(1874年3月),ローマ(1874年7月),厦門(アモイ)(1875年4月),天津(1875年9月),ホノルル(1875年11月),牛荘(1876年3月),ロンドン(1876年4月),芝罘(チーフー)(1876年5月),ウラジオストク(1876年12月),ミラノ(1878年5月),シンガポール(1879年4月)と逐次設置した。…
※「モンブラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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