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ル・コルビュジエ ル・コルビュジエ Le Corbusier

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ル・コルビュジエ
ル・コルビュジエ
Le Corbusier

[生]1887.10.6. スイスラショードフォン
[没]1965.8.27. フランス,ロクブリュヌ・カプ・マルタン
スイス生まれの建築家,都市設計家。本名 Charles-Édouard Jeanneret。 18歳で最初の建物を設計したが,パリ,ベルリンで学んだのち,1917年以降パリを中心に活躍した。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

ル・コルビュジエ

スイス出身で、パリを拠点に活動。1階を吹き抜けにするピロティ屋上庭園、水平に連続する窓などの「近代建築の5原則」を提唱。日本の建築界にも多大な影響を与えた。

(2016-07-18 朝日新聞 朝刊 1総合)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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百科事典マイペディアの解説

ル・コルビュジエ

スイス生れ,フランスの建築家。本名シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ。パリに出てペレ事務所鉄筋コンクリート構造を学ぶ。1920年画家のオザンファンとともにピュリスムを提唱,芸術を総合的に扱った《エスプリ・ヌーボー》誌を刊行。
→関連項目機能主義建築キーファークセナキス国際様式建築国際連合本館国立西洋美術館コスタ坂倉準三丹下健三チャンディーガルニーマイヤーバウマイスターピロティベーレンス前川国男ユネスコ(UNESCO)吉阪隆正

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ル・コルビュジエ
るこるびゅじえ
Le Corbusier
(1887―1965)

スイス出身のフランスの建築家、画家。本名はジャンヌレCharles Edouard Janneretで、10月6日ラ・ショー・ド・フォンに生まれる。同地の美術学校に学んだのち、ペレやベーレンスの事務所で短期間働いたが、建築はほとんど独学。1917年からパリに定住し、1920年代から本格的に活動を開始する。まず画家オザンファンと『エスプリ・ヌーボー』誌によりピューリスム純粋主義)の運動を主張、旺盛(おうせい)な執筆活動のかたわら、絵画ではキュビスム風の静物画に基づき、さらに形と色の整頓(せいとん)された作品を描いている。『エスプリ・ヌーボー』の論文は、のち『建築をめざして』(1922)、『ユルバニスム』(1924)にまとめられ、また具体的に都市のスケールで計画した「現代都市」(1922)、「パリのボアザン計画」(1925)などによって、国際的な合理主義建築思想を打ち出していった。実作は住宅が中心で、エスプリ・ヌーボー館(1925)、シュトゥットガルト住宅博覧会の家(1927)、ガルシェのシュタイン邸(1929)、ポワッシーのビラ・サボワ(1928~1931)などが知られる。このうちビラ・サボワは、端正な白亜の幾何学的形態のなかに、いわゆる近代建築の五原則(ピロティ、独立骨組、自由な平面、自由な立面、屋上庭園)を織り込んだもので、初期のコルビュジエを結論づける作品となった。
 1927年、ジュネーブの国際連盟会館の競技設計で、彼の応募作が最終段階で審査員団に拒否されたことを契機に、近代主義の組織化の必要を痛感し、翌年CIAM(シアム)(近代建築国際会議)の結成を主宰し、以後この組織の事実上の推進者となった。1930年代の実作品には、パリのスイス学生会館(1932)、パリ郊外週末の家(1935)、ブラジルの教育保健省(協働、1936~1945)などがあるが、この時期はCIAMを舞台にした都市計画の提案に多くの労力を割いた。
 第二次世界大戦後は、国連の会議事務施設のための企画と基本設計に始まり、マルセイユのアパート「ユニテ・ダビタシオン」(1947~1952)、奔放な彫刻的形態のあるロンシャンのノートル・ダム・デュ・オー礼拝堂(1953~1955)のほか、リヨン近郊のラ・トゥーレット修道院(1957)、東京の国立西洋美術館(1959)などを残した。また、インドのチャンディガルの都市計画にも意欲を示し、最高裁判所(1950~1956)などの庁舎建築を設計している。1965年8月27日、南フランスのロクブリュヌ・カブ・マルタンで没。
 彼は生涯を通じて近代合理主義を推進しながらも、その基調にはギリシア以来の古典主義美学へ対する優れた感覚があり、これを同調させて鉄筋コンクリート建築の新しい局面を切り開いた。この意味でも、近代建築における巨匠としての位置づけがなされているのである。[高見堅志郎]
『吉阪隆正訳『建築をめざして』(1975・鹿島出版会) ▽樋口清訳『ユルバニスム』(1976・鹿島出版会) ▽W・ボジガー編、吉阪隆正訳『ル・コルビュジエ全作品集』全8巻(1977~1979・エーディーエー・エディタ・トーキョー) ▽R・D・フスコ著、横山正訳『ル・コルビュジエの家具』(1978・エーディーエー・エディタ・トーキョー) ▽C・ジェンクス著、佐々木宏訳『ル・コルビュジエ』(1978・鹿島出版会) ▽S・V・モース著、住野天平訳『ル・コルビュジエの生涯――建築とその神話』(1981・彰国社)』

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20世紀西洋人名事典の解説

ル・コルビュジエ
Le Corbusier


1887.10.6 - 1965.9.25
スイスの建築家,都市計画家,画家。
ラ・ショー・ド・フォン生まれ。
ラ・ショー・ド・フォン工芸学校卒。
本名Charles Edouard〉 シャルル・エドワール〈Jeanneret ジャヌレ。
1910年ベルリンのP.ベーレンスの事務所で働き、ヨーロッパ各地で学び、フランスを中心に活動。画家オザンファンとともに‘キュビスム以後’宣言を発表、キュビスムを批判し、ピュリスムを唱える。’20年雑誌「新精神」を創刊。’22年従弟ピエール・ジャンヌレと建築事務所を開く。著書に「建築をめざして」(1922年)、「今日の装飾芸術」(’25年)など。主要建築に「サヴォワ邸」(’30年)、「ノートルダム・デュ・オ教会」(’54年)、「大集合宅」などがある。日本人の弟子に前川国男坂倉準三、吉坂隆正がいる。

出典|日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)
(C) 1995 Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
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