改訂新版 世界大百科事典 「二官八省」の意味・わかりやすい解説
二官八省 (にかんはっしょう)
日本古代の律令制の官庁組織をいう語。狭義には太政官(だいじようかん),神祇官(じんぎかん)の二官と中務(なかつかさ)省,式部(しきぶ)省,治部(じぶ)省,民部(みんぶ)省,兵部(ひようぶ)省,刑部(ぎようぶ)省,大蔵(おおくら)省,宮内(くない)省の八省を指すが,広義には,この二官・八省に統轄される八省被管の職・寮・司や弾正台(だんじようだい),衛府(えふ)などの中央官庁および大宰府(だざいふ)や諸国などの地方官庁を含む律令制の全官庁組織の総体をいい,ふつうは後者の意味で用いる。このような官庁組織は,7世紀後半から8世紀初めにかけて形成された。
天武朝においては,古くからの官庁で神祇官の前身である神官と太政官・大弁官が並存し,唐の尚書省の六部(りくぶ)(吏部,礼部,兵部,刑部,戸部,工部)を模して設けられた法官(のちの式部省,以下同じ),理官(治部省),大蔵(大蔵省,ただしこれの歴史は古い),兵政官(兵部省),刑官(刑部省),民官(民部省)の六官は太政官・大弁官の統轄下にあったが,のちに宮内省となる宮内官や内廷の中小官庁はそれぞれ独立して存在していた。こうした状態は,689年(持統3)施行の飛鳥浄御原令の官制を経て,701年(大宝1)施行の大宝令の官制にいたって整理され,太政官を全官庁の統轄官庁として官庁組織の頂点に置く二官八省の体制が完成する。すなわち大宝令の官制では,同じ〈官〉の神祇官も太政官の管轄下に編入され,六官を省,宮内官を宮内省とし,中務省を新設して八省となったが,この八省も太政官の管轄下に置かれ,さらにかつての内廷諸官庁や新設の中小官庁は職・寮・司として八省に分属した。また八省の管轄下に入らない弾正台,衛府,大宰府,諸国などは,太政官が管轄する。このように二官八省は,太政官を中心に,官庁相互の統属関係を基軸として構成された官庁組織の総体をいうのであるが,こうした統属関係は,令外官(りようげのかん)の一部にも通用された。令外官には,四等官とその相当位の定められた官庁(たとえば造宮省,内匠寮(たくみりよう),勘解由使(かげゆし)など)と,そうでないもの(たとえば蔵人所(くろうどどころ),検非違使(けびいし)など)との2種があるが,前者の令外官もまた太政官の管轄下に置かれた。
執筆者:早川 庄八
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