日本歴史地名大系 「代官町」の解説
代官町
だいかんちよう
明治一二年(一八七九)に成立。かつての江戸城郭内北ノ丸で、
代官町
だいかんちよう
代官町
だいかんちよう
代官町
だいかんちよう
代官町
だいかんちよう
館林城下の北西、東を日光脇往還、南を太田往還(現県道足利―館林線)、北西付近は館林城の外堀で囲まれた一画にある。「館林寛文地方要録」(館林市立図書館蔵)には、徳川綱吉時代の館林藩代官として諸星伝左衛門以下八名が記される。延宝二年(一六七四)の城下町図によると、当町の東端付近に代官諸星をはじめ稲葉平右衛門・石黒小右衛門・笠原七郎兵衛らの屋敷地、その西には地方手代屋敷、さらにその西に接して城代金田遠江守正勝の下屋敷がある。天和三年(一六八三)には館林藩領は上知された。「館林御城地根記」(館林市立図書館蔵)によると、かつての館林藩の代官が幕府代官として館林におり、宝永四年(一七〇七)比企長兵衛が新城主松平(越智)清武に城地を引継ぐまで代官が当町に居住した。
代官町
だいかんまち
代官町
だいかんまち
代官町
だいかんまち
代官町
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代官町
だいかんちよう
代官町
だいかんちよう
代官町
だいかんちよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報